第353話 迫る刺客


「公王陛下、神聖帝国より、ヨシュア子爵が参られました」


「そうか。応対はヘルムント男爵に任せてある。丁重にもてなすように伝えてくれ」


「そ、その、ヨシュア子爵から、是非にとも公王陛下に拝謁の栄誉を賜りたいとの申し入れが……」


「その機会は、戦勝パレード直後のパーティーにて設けてある。すでに、公国中に通達が回っているはずだ」


「で、ですが、神聖帝国との関係を損ねては……」


「例外はない。そう、子爵に伝えよ」


「は、ははあっ!」


 額にびっしりと汗を浮かべた取次の役人が下がり、見送った従者が公王の執務室の扉を閉めた直後、盛大なため息が室内に響き渡った。

 その出所はもちろん、公王ジオグラルドである。


「まったく、公都に入ればどうとでもなると高をくくる神聖帝国も神聖帝国だけれど、唯々諾々と口を利く取次も取次だ。誰が主君だと思っているのか」


 役人が退室したのを契機に、公王付きの従者たちが一斉に動き出す。

 お茶の淹れ直し、人員の交代、次の予定の確認など、ジオグラルドの執務を補佐するために一切の遅滞を見せることなく動き回る。

 しかし、従者長ですら公務中に離しかける権限を持っていないため、公王の独り言にしては大きすぎる愚痴に、応じる者は誰もいない。

 再び出された熱いお茶で唇を湿らせ、執務机に用意された資料に目を通し、次の謁見の予定まで独り考えを巡らせる、ジオグラルド。


 その、ある種の静寂を破る影が、執務室の裏口から現れた。


「おや、お邪魔でしたら出直しますが」


「いや、ジュートノルの検分から戻ったようだね。ご苦労だった、リーゼル」


 貴族か役人のための通路は通れない、冒険者の変装で密かに帰還したリーゼルをねぎらうジオグラッド。

 その流れのまま、目顔で従者に一人分の席とカップを用意するように命じると、手ずからお茶を淹れて側近中の側近をもてなした。


「それで、ジュートノルを見てきた感触はどんなものだい?」


「事前に目を通した報告書の通りでした。大通りの豪商は今も看板を掲げているところが数多くありましたが、利権が小さい中小の店は軒並み閉まっていました」


「そのほとんどが故郷に帰ったか、公都に移住してきたからね。主要街道も概ね開通できたから、公都の経済はますます順調だよ」


「その分、ジュートノルの主だった商人からは不敬な噂が聞こえてくるようです。中には、具体的な意趣返しの方法を口にする者もいるとか」


「時勢が時勢だし、憂さ晴らし程度なら目を瞑っても良かったんだけれどね。それで、確認はできたのかい?」


「はい。かねてより潜入させていた衛士部隊と、ジュートノルの衛兵隊の協力により、旧商業ギルド幹部の生き残りが中心となって、多数のアサシンやはぐれ冒険者を密かに雇い入れていることが判明いたしました」


「決まりだね。早々に騎士団と衛士兵団を動かして、不穏分子を殲滅するとしよう。――と、言いたいところだけれど、そうもいかないんだよね」


「では、公王陛下」


「うん。マクシミリアン公爵からも知らせが来たよ。五大国の残党、その一部に不審あり、とね」


 そう言ったジオグラルドは、執務机に用意されていた書類から数枚を抜き取り、自身の懐刀に投げてよこした。

 それらを一瞥しただけでおおよその内容を把握したリーゼルは、思わずうめき声を上げた。


「ベルファナ魔法国からは『炎蛇の双子』、ガルバルド連邦からはダークハーフエルフの『紫毒の矢じり』、そして、神聖帝国からは『神聖帝国騎士第三席』、ですか……」


「それぞれ、各国の貴族の護衛として公国にやってくるそうだ。平時なら、用心深い貴族ならと納得もできる。けれど今は、およそ正気の沙汰とは思えない」


「各国で王都が壊滅した今、実力のある冒険者や騎士は貴重な防衛力のはず。本国から離すなどあり得ない話です。あるとすれば、それを押してでも達成したい、よほどの理由があるのでしょう」


「例えば、要人の暗殺や公都での破壊行為など、公国に打撃を与える目的かもしれないね」


「商人ごときがどれほどごろつきを用意しようと、衛士兵団の数の前には敵ではありません。問題は、各国が送り込んでくる三組の刺客です」


 ジオグラルドとリーゼルの視線が、改めて数枚の資料に注がれる。

 そこには、三組の刺客の煌びやかな実績と戦歴が網羅されていて、それだけで一筋縄ではいかない相手だと確信させるものだった。


「ベルファナ四姉妹ですら手を焼いたという火魔法の使い手の双子姉妹。長女フレイナに二人がかりにも拘わらず敗北して、ようやく大人しくなったそうですが」


「その枷がはずれた今、どんな暴挙に出てくるか予想もつかない。とにかく街中で魔法を使わせたら終わりだ。その前に捕らえるのは至上命題だ」


「紫毒の矢じりに至っては、その姿を見た者がいないというほどの、凄腕のアサシンです。かつて、ガルバルド連邦と敵対していた国の王族を皆殺しにしたのも、こいつの仕業だとか」


「公国への入国の情報が得られたことは、なんとも僥倖だった。さらに、相手は外見に特徴のあるハーフダークエルフだ。魔法的な変装さえ気を付ければ、発見はそう難しくないはずだ」


「神聖帝国騎士第三席、またの名を双輝のテラブリオ。ある意味で、アドナイ王国が最も恐れた敵の一人です」


「帝国の象徴である聖剣騎士団長と聖盾騎士団長。彼らが表の最高戦力なら、第三席は裏の最高戦力。常に最前線での指揮を求められ、命の危険が多いことから入れ替わりが激しい。その中で、テラブリオという騎士は五年もの長期間、その座を守り続けているとか」


「三組共に一騎当千の強者ばかり。突出した精鋭を持たない衛士兵団が対処すれば、甚大な被害が出ることは必至です。また、そのような事態になれば公国軍の威信は地に落ちかねず、正面切っての戦いは得策とは言えません」


「襲撃地点が公都かジュートノルか、そもそも本当に襲撃が起きるのかどうか、調査がまだまだ不足しているし、その余裕もない。ゆえに、打てる手はただ一つ」


「先手を取って、こちらの最高戦力をぶつけるしかありませんね……」


 解決策は歴然。

 それはジオグラルドもリーゼルも十二分に理解していたが、それこそが難題だった。


「やはり、グランドマスターレナートは除外せざるを得ませんか?」


「残念ながら、打診するまでもないね。本人の話じゃあ、加護の力は全盛期の半分ほどに落ち込んでいるというし、レナートにはアドナイ王国中の冒険者をまとめ上げるという重責を担ってもらっている。現状、冒険者ギルドが崩壊していないのは、彼が睨みを利かせてくれているからだよ」


「公国としても、無謀な戦いで消費できる人材ではありませんね。――ゼルディウス騎士団長はいかがですか?単体の戦力としては申し分ないと思いますが」


「難しいだろう。戦勝パレードの顔と言えば公国騎士団、ゼルディウスはその長だ。パレードには身代わりを立ててもらう策も考えないじゃあないけれど、万が一にも露見した場合は公国の威信が大きく傷つく」


「……否定寄りの要検討、と言ったところですね。状況次第では、公国騎士団の手練れを何人か借り受けることも選択肢とするべきでしょう」


 と言ったところで、主の眉間に深い皺が刻まれていることに、リーゼルは気づいた。


「公王陛下?」


「……ガルオネ伯爵と、ギュスターク公爵に助力を求めようか」


「っ!?それは……」


「分かっているよ。この戦勝パレードにおいて他勢力の力を借りることもまた、公国の体面に関わるというのだろう?けれど、この辺りで転機とするのも悪くはないと、リーゼルも思わないか?」


「ガルドラ派と北部貴族も、公国に加えると?」


「もちろん、全てはマクシミリアン公爵に図ってのことだけれどね。ノービスの加護とタイタンの提供で大きな貸しを作り、今回その一部を返してもらうことで、かねてより計画していた公国評議会への参画への布石とする。その機会と捉えるのも悪くはないんじゃあないだろうか」


「……公王陛下のご意志、このリーゼル確かに承りました。さっそくマクシミリアン宰相にお伝えして、具体的な検討に入っていただきます」


「頼む。願わくば公国の――ノービスの英雄の手をこれ以上煩わせることのないように」


 初心教の総司祭として世俗からの離脱を宣言しつつも、未だ政治の舞台から降りられないジオグラルド。

 しかし最後の一言には、聖職者らしい真摯な願いが込められていた。

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