第351話 黒竜の亡骸を前に
「ご苦労だったね、テイル。よく公都を守ってくれた」
「ジオ」
騎士と衛士を合わせて百人くらいはいそうな厳重な護衛に囲まれたジオが俺のところに来たのは、黒竜襲来から丸一日経った頃だった。
「なあ、ここまでする必要があったのか?」
「確かに、知性あるドラゴンに対して、あまりにも尊厳を無視した行いだったとは思うよ。けれど、究極の生命に対して下手に手加減をすれば、死ぬのは僕達だったことは間違いない」
ジオは護衛の隙間から、遮るものが何もない俺は正面から、無数のタイタンの槍を撃ち込まれた黒竜の亡骸を見据える。
あの時、ドラゴンブレスを放つために黒竜が開けた口から貫通したタイタンの槍は、確かに致命傷だったはずだ。
だけど、遠く離れた公都に籠城している公国軍は、そうは思わなかった。
横倒しに倒れてピクリとも動かなくなった黒竜の体に、公都から飛んでくる超大型のタイタンの槍が延々と撃ち込まれたのだ。
気持ちはわかる。
黒竜が大天蓋に向けて放ったドラゴンブレスは、あと少しで公都の内部を焼くところだった。
あそこまでのダメージを受けたら、いくらクレイワークで修復が可能といっても相当な手間がかかる。
少なくとも、次のドラゴンブレスが来るまでには絶対に間に合わない。
例えるなら、加護を持たない平民が魔物と遭遇し、奇跡的に倒せたようなものだ。
いくら訓練を積んできた衛士達とは言っても、相手は未知の存在であるドラゴン。
その討伐方法を知っている者は誰もおらず、どこまで傷つければ絶命するのか誰にも分からない。
もし、頭を破壊されてもドラゴンブレスを撃つことができたら?
だから、タイタンの槍は屍となった黒竜を貫き続けた。
ほとんどは鱗に阻まれ、一部が鱗のない腹、首、足などに次々と突き立っていった。
夕暮れまで続いたその処刑の光景を、俺はずっと見ていた。
別に、残虐趣味があるわけじゃない。
直後に駆けつけてきた、衛士兵団の使者が話してくれた説明に、俺も納得したからだ。
つまり、大天蓋が使い物にならなくなった以上、ジオグラッドを守れるのは俺一人だけ。
公国軍が黒竜の死亡が確認できるまで、俺にこの場に留まってほしい、というわけだ。
そんなわけで、日没と共に終了したタイタンの槍による攻撃が終了した後も、念のためにここに残って監視を続けた翌朝、ようやく役目から解放されると思った矢先に、ジオが現れたというわけだ。
ちなみに、群れで襲ってきたはずの他の黒竜はなぜか現れなかった。
まさか、人族に恐れをなしたはずがないし、黙って撤退したんだとしたら不気味以外の何物でもないけど。
まあ、ドラゴンの考えなんてわかるはずもないか。
「悪いけれど、これからテイルと話がある。皆は離れていてほしい」
「で、ですが、宰相閣下から決してお側を離れるなとの命が……」
「分かった、言い直そう。公王として命じる、下がれ」
「……御意」
今まで聞いたこともないような、鋭利で冷たいジオの命令に、護衛達がその場にとどまる。
それを一瞥もせずに、一人で俺のそばまでやってきたジオは、
「座らないか?」
「あ、ああ」
公王としてあるまじき、地べたに座るという真似に出たと思ったら、俺に隣に来いと促してきた。
有無を言わせないジオに俺が付き合うと、黒竜の亡骸を見ながら低い声で話し出した。
「参ったよ。予想外の出来事の連続だ。なにより、僕が今ここにいること自体が驚きだよ」
「まさか……勝手に公都の外に出てきたとか言わないよな?」
「そのまさかだよ。自室にこもって戦況を逐一聞いている内に、気づいたら外出の支度をしていたんだ。あとで、マクシミリアン公爵に烈火のごとく怒られるだろうね」
「じゃあ、なんで……?」
「考えをまとめる時が欲しかった。政庁にいたんじゃ、目の前の問題に集中せざるを得ないからね」
「そ、そりゃ、目の前の問題に向き合うのは大事だろう」
「少し、疲れたんだ」
ぽつりと。
黒竜の亡骸を前にして俯き加減のジオが、らしくもない弱音を吐いた。
「公国のため人族の未来のため、出来ることはすべてやってきたし、相応の備えもできたと自負してきた。それでも、ドラゴンの力は想定をはるかに超えてきた」
「でも、ドラゴンブレスは防げたし、タイタンの槍も十分に通用しただろう」
「……そうか、テイルはまだ公都を見ていなかったね。それなら無理もない」
「無理もないって、ドラゴンブレスは大天蓋を貫通しなかったんだろう?」
「貫通はしなかった。黒竜のドラゴンブレスは三枚の装甲を溶かして、最終装甲で勢いを失って、亀裂から洩れた一部が広範囲に降り注いだ」
「そ、それって……!?」
「まだ全容は把握できていないけれど、死者約百人、重軽傷者千人以上、行方不明者は五百人と聞いているよ」
「そんな……」
「タイタンの槍も、黒竜の鱗の硬さが想定を大きく上回ったことで、通常の砲弾では効果がなかった。ドラゴンの戦意をくじく程度のダメージを与えて撤退を促すはずが、逆に怒りを買ってドラゴンブレスを誘発してしまった。まさに、逆鱗に触れたというやつだ」
俺が知らなかった公都の状況に愕然としながら、遠く離れた黒竜の亡骸を改めて見る。
公国の奥の手、決戦兵器だったはずの、超大型タイタンの槍。
詳しくは聞いていないけど、砲弾一発を作るための手間と魔力は、通常砲弾の比じゃなかったはずだ。
それを、たった一匹の黒竜を仕留めるために数十発。
非効率なんてレベルじゃないことは一目瞭然だ。
「問題は、公都の外に派遣した衛士部隊なんだ」
「確か、タイタンの槍と盾とセットで、主要な町や村に配備したんだよな」
「公都ですら、たった一匹の黒竜にここまでしてやられたんだ。いちおう、公都を模した地下施設を各地に設けてあるけれど、大天蓋に劣る防御で、ドラゴンブレスに耐えきれると思うかい?」
「それは……」
「実質的には独立した国とはいえ、ジオグラッド公国がアドナイ王国の領内に存在することは紛れもない事実だ。そして、アドナイ王国の繁栄の裏に、過剰なまでの領域の拡大がある以上は、竜災の範囲は王国全土に及んでいる恐れがある」
「つまり、公都以外の町や村が全部襲われているかもしれないって、そう言っているのか?」
「全ては、今朝から各地への派遣を始めている急使の帰還次第だよ。それまでは、公都の復旧に全力を尽くす」
言葉でこそ決然と語ったジオだけど、うつむいたままのその顔色が優れないのは変わらない。
むしろ、ここまではただの前座だと言わんばかりに。
「他にも気がかりなことでもあるのか?」
「気がかり?気がかりだらけだよ。都市防衛戦がこれほど難しいものだとは思いもしなかった」
という枕詞を皮切りに、堰を切ったように溢れだしたジオの愚痴。
あまりに長すぎたから話半分に聞かざるを得なかった内容を簡単にまとめると、こうだ。
黒竜襲来の当初、厳戒態勢をとっていた公都は、おおむね秩序を保っていたそうだ。
大天蓋の展開中、非戦闘員は基本的に家に籠っているように戒厳令が敷かれていたし、巡回担当の衛士が頻繁に声をかけて不安を軽減していた。
それが、一発のドラゴンブレスで一気に崩れた。
政庁こそ運よく無傷で済んだそうだけど、大天蓋で防ぎきれなかったドラゴンブレスの一部は広範囲に降り注ぎ、貴族平民の区別なく大きな被害をもたらした。
もちろん、衛士兵団や治癒術士による救助が公都中で行われているけど、思わぬ形で邪魔が入った。
助けられる立場のはずの公都の住人が、ドラゴンブレスのあまりの被害に気が動転したのか、あちこちで無秩序的に暴動を起こしたのだ。
「治癒術士を独占しようとする貴族、公都門に殺到する集団、どさくさに紛れて盗みを働こうとする衛士。救助よりも混乱の鎮圧に人員を割かなければならない事態は、さすがに予想外だったよ」
「まさか、鎮圧の指揮も放り出してここに来たなんて言わないよな?」
「さすがにそれはないよ。ある程度の公都内の鎮静化を見届けた後で、さあ復旧に向けて動き出そうとしたところで、ジュートノルから猛抗議が来たんだ。息抜きをしようと思い立ったのはそれが原因だよ」
「ジュートノルから!?あっちは無事なのか?」
「テイルも知っての通り、ドラゴンブレスは大天蓋に命中した一発のみ。黒竜の落下地点からも離れているし、ジュートノルに被害は出ていないよ」
「じゃあ、なんの問題もないじゃないか」
「ところが、火のないところに煙を立たせようという輩はどこにでもいるようでね、今頃になって、衛士兵団の駐留とタイタンの配備を要望してきた」
「できるのか?今になってそんなことを」
「できるはずもないよ。盾の方はともかく、タイタンの槍の生産は公国の技術では不可能で、ドワーフ族に完全に頼り切っている状況だ。それだって、法外な対価を払うことで工房を限界まで稼働してもらい、ようやく最低限の数が揃ってきたところだ。この先も、ガルドラ派や旧王太子派への提供が最優先だし、今回破損した分の補充もある。ジュートノルに回す余裕なんて、最初から無いんだ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今回破損した分?つまり……」
「……タイタンの槍の射出口は、当然無防備だよ」
それだけ聞いてしまえば、それらのタイタンの槍が破損した原因が何なのか、担当していた衛士達がどうなったのか、聞くまでもなかった。
「話を戻そう。――今回、辛うじて竜災を退けることに成功し、成り行きとはいえ一匹の黒竜を討伐し、公都への被害も最小限に抑えられた。とはいえ、ジュートノルの要望に応えるのは不可能に近く、このままだと公国内での分断を招きかねない」
そこで、とジオは初めて声のトーンを上げた。
他の誰でもない、俺に命じるために。
「そこで、公国の結束力を強めるために、黒竜討伐を祝う戦勝パレードを執り行おうと思う。もちろん、ドラゴンブレスを防ぎ公都を守ったノービスの英雄は強制参加――今回のパレードの主役となってもらう。これは決定事項だ、拒否は許されない」
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