第338話 五大国


 俺は言われればどこにでもついていく方だけど、今日ほど簡単なことはなかっただろう。

 憶えているのは、何か一言だけリーナに言って、部屋を出たところまで。

 気が付いた時には椅子に座っていて、大きなテーブルを挟んだ向かいにはジオが、左右にはそれぞれマクシミリアン公爵とテレザさんがいた。

 さらには、部屋のそこかしこに騎士や衛士が立っていて、物々しい雰囲気を醸し出している。

 これだけの面子ということはつまり、公国に関する重大な話だろう。


「すまないね、テイル。リーナのことで動揺している直後に呼び出してしまって」


「いや、一人でいると考えすぎてしまいそうだから、構わないけど……」


「偶さかに我らの予定が一致したのでな、無理を承知でお前にも来てもらった」


「だというのに、あのろくでなしはどこで何をしているのかしら……」


 公務が忙しいんだろう、眼の下にくっきりと隈が浮き出ているジオとお兄さんとは対照的に、静かな怒りをにじませているテレザさんが、一つだけ空いている椅子を睨みつけていた。

 その思いが通じたのか、


「悪い悪い。悪さをしてる冒険者パーティをシメてたら、遅くなっちまった」


 扉をあけながら形ばかりの謝罪をしてきたのは、失った腕の袖をひらひらさせているレナートさんだった。

 これで全員揃ったらしく、レナートさんを叱ることもなくお兄さんが開口一番に切り出した。


「話というのは他でもない、我が愛しのアンジェリーナについてだ」


「リーナのことですか?」


「テイルも知っての通り、ヒュドラの毒を受けたアンジェリーナは、ミザリー大司教のお陰で九死に一生を得たものの、ジョブの加護を失ってしまった。ひとまずは、長い眠りの間に弱った体力の回復に努めることになるが、その先についてよく考えておく必要がある」


「考えるって、それはリーナが決めることじゃないですか」


「事はそう単純じゃあないんだよ、テイル。忘れたのかい?加護を失ったということは、リーナが冒険者ギルドから追放されることでもあるんだ」


「まあ、公王陛下の言う通りだわな」


 そう言ったのは、リーナの上司と言える立場のレナートさんだ。


「冒険者ギルドに来る依頼は、加護持ちでないとこなせないレベルってのが相場になってるから、今のリーナ嬢にはちと厳しいだろう。とはいえ、追放処分は罪人に適用するために作られたようなもんだからな、リーナ嬢が加護を再取得するつもりがあれば、特例として処分を保留してもいいんだが」


「それはできん」


「なんでですか?これまでお兄さんは、リーナの思う通りにさせてくれてたじゃないですか」


 そう言ってから、これまで直接は口にしたことの無い、マクシミリアン公爵への呼び名で呼んでしまったことに気づいた。

 当然、何かしらの反応――下手をすれば殴られるくらいの覚悟をしたけど、鋭い眼光からは予想できない返事が待っていた。


「テイル。なぜアンジェリーナが加護を得ようとしたのか、その理由を思い出してみろ」


「それは、貴族の実家に縛られるのが嫌で……あ」


「私がアンジェリーナの自由を許してきたのは、冒険者としてかなりの実力に達しており、多少の困難も独力で切り抜ける力が備わっていると判断していたからだ。だが、今のアンジェリーナは家からの庇護もなく、マクシミリアン公爵家の令嬢という立場だけが残っている。それがどれほど危険なことかわかるか?」


「このことは内密にしておくつもりだったんだがな、実際、リーナ嬢を狙っている貴族はまだまだいるんだよ。と言っても、命の危険があるわけじゃない。婚姻の相手としてって意味だ」


「婚姻って……!?」


 貴族の世界なんて俺には無縁――って言いたいところだけど、ことリーナに関しては、レオンという悪い前例があるからよくわかる。

 要は、リーナの身柄を押さえて自由を奪って、一方的に結婚の宣言をしてしまう。

 誘拐どころじゃない犯罪だけど、どういう理屈か、貴族の間じゃそれがまかり通る。

 そうすれば、その貴族家はマクシミリアン公爵家の身内になって、ジオグラッド公国の要職に就くことも夢じゃなくなる、ということらしい。

 もちろん、彼らは平民の俺の存在なんて眼中にないし、問題にすらならない。

 それが、貴族の世界だ。


「これまでは、マクシミリアン公爵と俺の方で何とか抑えてきたんだが、それもリーナ嬢が自衛する実力があっての話だ。これからは、普通の大貴族の令嬢として厳重な管理下に置く必要がある」


「ゆえに、アンジェリーナがある程度回復し次第、公都の私の屋敷に引き取る。異存はないな、テイル」


「……それは、これまでのようにリーナと自由に会えない、ということなんですよね」


「そうだ。貴様にはやるべきことがある。アンジェリーナに始終寄り添って暮らす余裕など、今はないはずだ」


 残酷な現実を突き付けているのは、あくまでもお兄さん一人だけ。

 それでも、ジオも、レナートさんも、テレザさんも、黙って見ている以上、同じ考えなんだろう。


 ――ああ、そうか。

 これは、俺を説得するための場なんだ。

 いや、説得ですらないかもしれない。

 万が一、俺が我を失って暴れ出した時に力づくで止めるための戦力が、ここにはある。

 いつもよりも、騎士や衛士の数が多いのも納得だ。


 そんな必要はどこにもないのに。

 リーナのことを一番に考えれば、お兄さんへの答えなんて一つしかない。


「わかりました。こんなことを俺が言うのも何なんですが……」


「なんだ、言ってみろ」


「リーナのこと、よろしくお願いします。お兄さん」


「任せておけ」


 頭を下げる俺に対してただ一言、お兄さんはそう言った。






 有言実行と言わんばかりに、テレザさんが治療のためにリーナの元に戻っていき、テーブルに残ったのは俺を含めて四人。

 この中で最高権力者であるジオが、従者の一人に大きな地図を持ってこさせたところで、話が再開された。


「テイル以外には知らせが行っていると思うけれど、集まってもらった理由はリーナの件だけじゃあない。かねてより密偵に調べさせていた件について、ようやく確証を得られた」


「確証?なんのことだ?」


「ドラゴンによる災厄、竜災が起きるであろう場所についてだ」


 その言葉と一緒に、マクシミリアン公爵自ら地図の上に五つの駒を置いていく。

 色以外は全く同じ、ドラゴンを模した駒だ。


「人族が暮らす大小様々な国がある中で、特に隆盛を誇っている国は『五大国』と呼ばれている」


 そんな風に切り出しながら、マクシミリアン公爵は五つの国の話をしてくれた。



 ロルムンド神聖帝国。

 五大国の中でも最古の歴史を誇る宗教国家。四神教の総本山としても有名。


 ネーレイス海国。

 四方を海に囲まれた、本国と大小の島を領有する海洋国。強力な水軍を擁する。


 ベルファナ魔法国。

 魔法至上主義を信奉し、魔導士だけが貴族となれる魔導国家。四大属性を司る四人の魔女が支配している。


 ガルバルド連邦。

 五大国の中で唯一亜人族の権利を認めている多種族国家。王は血筋ではなく実力のみで決められる。


 アドナイ王国。

 神聖帝国を起源とする封建国家。四神教を現実に即して加護を利用した結果、世界屈指の強国となった。



「さすがに、正式に公表した国は一つもないが、これまでの魔物の群れによる被害と、巷に流れる噂などから、これら五大国の都が標的になっている恐れが高い」


「なにより、それぞれの都で人と物の出入りが活発になっている一事だけでも、ドラゴンに備えていることは確実だ。もっとも、我らが王都アドナイについては知っての通りだから、次にどこが狙われているのかは不明なのだけれどね」


 そんな言葉とは裏腹に、ジオの表情はこの場の誰よりも引き締まっている。

 王都でもガルドラ公爵領でも北部でもなく、ここ公都ジオグラッドにドラゴンが来ると確信しているように。

 そうじゃなきゃ、タイタンの配備をこれだけ急いでいる理由の説明がつかない。


「問題は、いつ、どこをドラゴンが襲うか、襲来の詳細だ。バラバラに襲ってくるのか、連携して一斉に来るのか。為政者の立場としては、収穫の時期だけは避けてほしいところだが」


「あるじゃないですか、判断材料。頭一つ抜けてる、確実にドラゴンに恨まれてる国が」


 真剣に思い悩んでいる様子のマクシミリアン公爵に対して、駒の一つをつまんでぐりぐりと地図に押し付けて――神聖帝国の帝都を指し続けるレナートさん。

 公王と公爵を前にしてさすがに行儀が悪すぎるだろうと、テレザさんの代わりにたしなめようとした俺の言葉は、部屋の扉を激しく叩く音に邪魔された。


 ほんの少しだけ開けられた扉から差し込まれた紙片。

 それを受け取った側仕えが、主であるマクシミリアン公爵にそのまま渡し、元の位置に戻る。

 その間に、紙片の中身にさっと目を通した公爵は、


「レナート、慧眼だったな。ドラゴンの襲撃が起こったそうだ」


「やっぱり、神聖帝国ですかね?」


「正解であり、不正解だ」


 アドナイ王国を除く四つの国の都。

 そこに、四種のドラゴンの群れがまったくの同時に襲撃をかけた。


 そう、マクシミリアン公爵は言った。

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