第337話 笑顔の別れ
「テイル」
目覚めたリーナと再会したのは三日後、公都にあるマクシミリアン公爵邸の、日当たりのいい一室だった。
「……リーナ、元気そうで良かった」
「心配をかけてごめんなさい。けれど、こんな姿で元気と言われても、ね」
そう言って、薄い笑みを浮かべるリーナの姿は、素肌が透けないタイプの寝間着に厚手のカーディガンを羽織って、寝台の上で起き上がっている状態だ。
気を利かせてくれたんだろう、俺が部屋に入るのとすれ違うように出ていった人たちの中に治癒術士が混じっていた辺り、まだまだ全快には程遠いと推測できる。
そして、推測じゃない理由も、俺は知っている。
「体の方は大丈夫なのか?今も、治癒術士が来ていたみたいだけど」
「あれは、マクシミリアン公爵家のお抱え治癒術士よ。私が公都に帰ってきてからずっと診ていてくれていたみたいだから、今さら断りづらくって。ヒュドラの毒も完全に体から消えたみたいだし、心配ないって言っているんだけれど」
「それならよかった。それと、その、リーナが眠っていた間のことだけど……」
「話は聞いたわ。私を助けるために――ミザリー大司教が命と引き換えに蘇生させてくれたって」
「あの人は、俺とリーナの未来を守りたいって言っていたよ。俺達の子供や孫、災厄の先の長い長い道を二人で歩いていってほしいって」
「お見舞いに来てくれたジオ様からも、同じようなことを聞かされたわ。本来なら、王家の血を絶やさないための蘇生の秘術を、私なんかに使ってもらった負い目がないわけじゃない。それでも、こうしてミザリー大司教のおかげで蘇った以上、なにがなんでも災厄を生き抜いてやるつもりよ」
――けれど。
常に真正面を見据えて、誰が相手でも目を逸らすことの無いリーナは、この部屋にはいない。
長い眠りの間にすっかりやせ細った体を向けることすらせずに、ずっと窓の向こうを見続けている。
まるで、決して戻らない過去を引きずるように。
「今の、これからの私には、テイルと一緒に道を切り開いていく力はもう無いわ。ヒュドラの毒が、私の命ごと加護を奪ってしまったもの」
時は少し遡る。
リーゼルさんが用意してくれた特別製の馬車によって、信じられないくらいの速さで公都に帰り着いた俺を待っていたのは、ジオでもマクシミリアン公爵でもなかった。
「公王陛下もマクシミリアン公爵も、風竜との戦いの件で多忙を極めているのよ。私は御二方の名代。そして、治癒術の専門家として、リーナ様の病状を説明させてちょうだい」
政庁の裏、馬車の停留場で出迎えてくれたのは、なぜか初心教の法衣に身を包んだテレザさんだった。
「出迎えてくれたのはありがたいんですけど、まずはリーナに会わせてもらえませんか」
「逸る気持ちは分からないでもないけれど、ひとまず移動しましょう。大丈夫、少しくらい遅れても、リーナ様は逃げはしないから」
そこまで言われたら、強引にリーナのところに行くわけにもいかない。
とりあえず、テレザさんの後に従って、地上まで続く長い階段をのぼって、十層くらい上がったところの一室に到着、少ない俺の荷物を片隅に置かせてもらって、ようやく話を再開することができた。
ちなみに、お茶は出なかった。
俺とテレザさん以外に、本当に誰もいなかったからだ。
「さて、テイルさん。リーナ様のことがご心配でしょうから、手短に行くわね」
テレザさんの、俺への眼差しが優しい。
その眼に、王都で戦った時に見せていた険はもうない。
たぶん、レナートさんとうまく仲直りできたんだろう。
幸せそうな雰囲気が、俺にも伝わってくる。
それだけに、二人きりにならないと話せない中身を想像して、身震いがした。
その予感は当たっていた。
「結論から言います。あらゆる治癒術が効かないヒュドラの毒は完全に取り除かれ、さらにリーナ様も無事に目覚められました。ただし、ヒュドラの毒はリーナ様の加護を奪っていきました」
「……ヒュドラの毒が、加護を奪った?冗談ですよね?」
「私自身、未だに信じられない思いよ。本来、ジョブの加護とは、神と加護を受ける者との間でのみ交わされる契約。これが解除されるとすれば、加護を受けた者が神に背いた行動をとるか、神の代弁者である教会の儀式以外にはあり得ない。あってはならないの」
「じゃあ、どうしてリーナの加護が消えたなんて言えるんですか。何かの間違いってことはないんですか?」
「間違いの可能性はないわ。私を含めた初心教の高位司祭達に、マクシミリアン公爵家の治癒術士団を動員して、目覚めた後のリーナ様の体を調べさせていただいたの」
「それじゃ、リーナは……」
「かつて、世界中から強力すぎる毒を恐れられた果てに、骨一本に至るまで滅ぼされたと言われるヒュドラ。でも、毒そのものは研究熱心な魔導士に、解毒の極みを目指す治癒術士に、政敵を殺したい貴族に密かに回収され、歴史の裏で使われ続けたとされているわ。その全ての事例で被害者の死亡が確認されていて、命を拾った者は一人もいない。つまり、死と同時に加護を失っていたかどうか、確認できた事例は一つもないの」
「な、なんとか、リーナの加護を元に戻してあげることはできないんですか?」
すぐ後でリーナに会いに行く以上、ここで取り乱すわけには行かない。
なにより、リーナが心配するような姿は見せられない。
それでも、声を震わさずにはいられない俺を見て、テレザさんの口元がわずかに歪んだ。
「前例のないことだから確かなことは何も言えないけれど、望みは薄いわ。今回のことは、理由はどうあれ加護者の方から神とのつながりを切った形になっている。おそらく、その時点でリーナ様の加護は消失したと考えられるわ」
「テレザの話だと、ジョブの加護をもう一度授かること自体は可能だそうよ。またノービスから始めて、戦士になって魔法剣士にクラスチェンジして。お兄様も、私が選んだ道なら応援すると言ってくれたわ」
俺に背を向けたまま、リーナは話す。
だけど、救われているのは、胸が張り裂けずに済んでいるのは、むしろ俺の方かもしれない。
「良かったじゃないか。もちろん、俺にもできることがあったら言ってくれよ」
「違うの。もう一度魔法剣士になりたいわけじゃないの。私は、テイルの隣に立ちたかったの」
そう言って、振り返ってきたリーナの頬は、涙で濡れていた。
いつものリーナらしい悔しさや憤りじゃない。決して望みに届かないと知ってしまった、絶望の慟哭だった。
「最初は、テイルの背中を守って戦おうと思っていたわ。けれど、すぐに気付いた。テイルの背中は、テイルが帰る場所には、とっくの昔にターシャがいたんだって。テイル、気づいてた?ふとした時に、ジュートノルの方角を向く癖があるって」
もちろん、そんな自覚はない。
だけど、俺は俺のことが分かっているタイプじゃない、リーナの言葉の方が的を射ているのは間違いない。
つまり、俺の中には――
「だから、私はターシャが立てない場所でテイルを守ることにしたの」
「それが、俺の隣……」
「ヒュドラの毒にやられたのはテイルを守った上での結果だから、欠片も後悔していない。けれど、私がテイルと歩ける道はここまで。この先、加護を再び授かって修練を重ねたとしても、今まさにドラゴンと戦おうとしている公国の戦力には絶対になれない。足手まといにしかならないなら、潔く身を引くしかないじゃない」
リーナが笑う。
大きな窓から差し込む光に照らされたリーナの笑顔は切なくも清々しく。
その心配をかけまいとする気丈さが、未練とか言葉にならない想いとか、リーナの側に居続ける理由を全て奪っていった。
「さようなら、テイル」
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