第334話 来襲のドラゴン


 実は、衛士兵団の前身である衛士隊を立ち上げるにあたって、ジオから助言を求められたことがある。

 つまり、ノービスとしての訓練、特に魔法の使い方を学ぶために優先してやるべきことは何なのか、と。

 そんなものは本職に――魔法使いや治癒術士に聞いてくれと言ってやったが、それでもジオは食い下がった。

 教本に載っているような一般論じゃなく、直接の先達の経験と工夫が知りたいのだと。

 そこまで言われたら、教えないわけにもいかない。

 その時に俺が伝えたのは、まずは一つの魔法を使いこなせるようになる、ということだった。

 火、水、土、風の、四つの初級魔法。その内の一つを優先してマスターすることをお勧めしておいた。

 もちろん、個々の適正っていうものはあるし、中には俺のやり方を根本から否定する専門家もいるだろう。

 だから、あくまで素人の戯言くらいに聞いておいてくれと、最後につけ足したんだけど、ジオは律義に俺の流儀に従った。


 その成果が、王都奪還戦争以来、再び試されようとしていた。






 遠くから、騎馬の一団がこっちに近づいてくる。

 先頭の隊長らしき騎士の兜の形から、さっきゴブリンの残党を追っていったガルドラの騎士達だろう。

 あっという間に距離が縮まり、すれ違う時に、こっちを一瞥もせずに一心不乱に廃城の中へと入っていった。


「おそらく、通信系の魔道具でも持っていたんでしょう。でなければ、あまりに帰還が早すぎますから」


 騎馬だけじゃない。

 今や、ジオグラッド公国軍とガルドラ公爵軍が本当の意味で一つになって、立場や身分の違いなんて関係なく、曇天の壁の向こうまで来ているドラゴンを迎え撃つために動いている。

 その中で、この連合軍で何の役割も与えられていない俺はともかく、ある意味で誰よりも危機感を持たないといけないはずのリーゼルさんが話しかけてきた。

 いや、危機感は持っているのか。


「テイル殿、一つお願いがあるのですが……」


「リーゼルさん、それ以上言われなくても分かっています」


 心苦しそうなリーゼルさんの言葉を遮って、廃城に向かって歩き出す。


「全員、作業を停止せよ!!今から大規模魔法の行使に移る!!」


 完全に破壊された正門をくぐると、リーゼルさんのよく通る美声が響き渡って、廃城に静寂をもたらす。

 俺がこれからやろうとしていることをどこまで把握しているのか、阿吽の呼吸と言えるほどの的確な指示に、感謝よりも驚きが勝るくらいだ。

 とはいえ、機会は機会、全員が動かなくなってやりやすくなったこの間に、やるべきことをやっておこう。


『クレイワーク』


 風の吹く音、木々や草が揺れて葉がこすれる音に紛れるほどに、初級土魔法の影響は静かだ。

 一か所から一気に土を持ってくるつもりはない。

 広く、そして深く、両の手のひらを密着させた地面から、素早く淀みなく魔力を生き渡らせる。

 やがて、魔力の一端がさっきまで居た丘に到達する。

 ――まあ、あの辺りにはもう人族の気配はしないし、いただいてきても害は少ないだろう。


「お、おい、あれ……!!」


「丘が、消えていく!?」


 イメージは、川から城の堀に流れ込む水のように。

 初級土魔法で廃城をぐるりと囲むように積み上げた大量の土砂は、静粛を命じられたはずの兵士達に、さっき以上の喧騒を起こさせるのに十分な威力があった。


 むしろ、命じた側のはずのリーゼルさんの声の方が、廃城の隅々まで届いた。


「諸君!長い歴史の中で忘れられたこの廃城を、強固な要塞として復活させる日がやってきた!各々、慌てるな!!だが、急げ!!」


 オオオッ!!


 地鳴りのような雄たけびが巻き起こった直後、ジオグラッド公国軍もガルドラ公爵軍も、騎士も衛士も兵士も関係なく、全員が一斉に動き始めた。


「ひとまず、テイル殿と私はこれでお役御免ですね」


 俺が地面から手を離すのと入れ替わりに、廃城のあちこちに散っていた衛士達が土砂に向かって魔力を流し始める。

 訓練の賜物か、俺が筒状に積み上げた土砂は、衛士達によって粘土細工のように形を変えていき、あるゆる方角から廃城の空の一点に向かって伸びて、そこで一斉に結合した。

 途端に真っ暗になる廃城。

 その暗闇が晴れたのは、ガルドラ公爵軍の紋章入りの鎧を身に付けた兵士たちが魔力灯に明かりをともして、あちこちに置き始めてからだった。


「ふう、万が一に備えて、ガルドラ公爵家に魔力灯の用意を要請しておいて正解でした」


「ですな。民はむろんのこと、加護持ちと言えど、皆が五感に優れると言うわけではありませんからな」


 声の主、薄暗い廃城の中で、行き交う兵士を避けながらこっちに歩いてきたのは、ゼルディウスさんだ。

 ゴブリンキングとの戦いを終えたばかりなのに、息が乱れている様子はなく、名残りと言えば再び肩に担いだ大剣に黒い血がこびりついていることだけだ。

 さすがは公国騎士団長、ジオの目にかなっただけのことはある。


「しかし、これでは外の様子がまるでわかりませんな。騎士としては心許ない限りだ」


「確かに、これじゃいつドラゴンが襲ってくるかわからないじゃないですか。リーゼルさん、どうするつもりなんですか?」


「はるか高みから大地を見下ろすドラゴンの目から逃れる目的もありますので、このくらいがちょうどよいのですよ。それに、何も全員がドラゴンを目にする必要はありませんから」


「どういうことですか?」


「彼らに任せよう、そういう意味ですよ」


 そう言うリーゼルさんが指差した先には、クレイワーク製の天井から洩れる数条の光。

 そして、その真下に設置されたタイタンと、一様に空を睨みつける衛士達の姿があった。






 そのドラゴンの名は、人族には発音も書き記すこともできない言葉で構成されていた。

 似たような人族の言語に当てはめることもできるが、竜王でもない彼には不要な作業だ。

 ましてや、今回の彼の役割は、担当する区域の人族の力を量るだけ。

 恐怖の象徴として名を知らしめる必要はなかった。


 ドラゴンは、わずかに迷っていた。

 ここに至るまでの人族と言えば、ドラゴンを見るなり逃げ出すか、手製の巣に隠れ潜むかのどちらかだった。

 たまに攻撃してくる愚か者もいたが、それらは全てドラゴンに届くまでに力を失うか、鱗に弾かれて空しく地に落ちていった。

 そんな愚か者達には相応の報いを受けさせ、それ以外は無視して、ドラゴンは担当する区域を虱潰しに見て回った。

 そんな中、ここまで飛んできたのは、多くの人族が集って何やら騒いでいる様子が見えたからだ。

 どうやら、人族は同じ二足歩行の魔物の群れを追い詰めているようだったが、そのこと自体にドラゴンは興味を持たない。

 魔物が混じっていようが関係はなく、特に遠慮するつもりもないので、必要ならば人族ごと滅ぼすだけだった。


 ところが、人族の群れは逃げるでも、巣に籠るでもなく、思わぬ方法に出た。

 魔法で土を集めたかと思うと、それで新たな巣を作ってその中に入ったのだ。


 ドラゴンは少しの逡巡の後、放置ではなく観察を選択した。

 ただし、観察といっても、軽く一当てして反応を見る、極めて攻撃的なものだが。


 ドラゴンは緑竜王の眷属として、大気を操る。

 風を起こし雲を動かし、日の光を閉ざすことも雨を降らせることも自由自在。

 少し魔力を使えば、こんなこともできる。


 閃光。そして、一呼吸の後の轟音。


 重なり合った雲が蓄えた力が特大の雷となって、ドラゴンの誘導通りに人族が隠れる土の塊の上に命中した。


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