第333話 煌炎のゼルディウス
長い間、ガルドラ公爵家を悩ませてきた、過去に類を見ない大規模なゴブリンの群れ。
タイタンを有するジオグラッド公国軍の協力もあって、その本拠地である廃城まで追い詰めたまではよかったけど、最後の最後に詰めを誤った。
まさかの二匹目のゴブリンキングの登場に、慌てふためくガルドラ公爵軍。
だけど、公国軍を実質的に預かるリーゼルさんはこの事態を予期して、公国騎士団団長ゼルディウスさんという、最強の手駒を用意していた。
だというのに、この仕掛けを施した当の本人がなぜか不満顔だった。
「……抜かりました。実力のみなら、あの烈火騎士団長を凌ぐと言われる『煌炎のゼルディウス』の間近で見物する絶好の機会だというのに、なぜ私はこんな離れた場所にいるのか!?」
両手で頭を抱えるという、分かりやすすぎてちょっと芝居がかってしまっているリーゼルさん。
そう言えば、公国に来るまでは烈火騎士団に在籍していたと聞いた覚えがある。
つまり、リーゼルさんにとってゼルディウスさんは直属の上司にあたり、もっといえば理想の騎士でもあるはずだ。
確かに、元とはいえ、王国四大騎士団の副団長の一騎打ちなんて、そうそう見られるものじゃない。
だから、ゴブリンキングとの戦いを近くで見られなくて頭を抱えるリーゼルさんが、チラチラとこっちを何度か見てくる意図も、騎士でも何でもない俺にも察せてしまう。
……まあ、このくらいなら大した負担にもならないか。
「リーゼルさん」
「なんでしょうか、テイル殿」
「ノービスの加護のおかげで、ゼルディウスさんの雄姿はここからでも見えるんですけど、やっぱり遠すぎるんで、邪魔にならないところで見物したいんですよね。できれば、リーゼルさんに付き添いでついてきて――」
「すぐに向かいましょう!」
俺達がいる丘は半分がなだらかな傾斜、もう半分が切り立った崖となっていて、守るに易く攻めるに難い地形になっている。
崖の向こうに行くには、徒歩や騎馬なら遠回りになる道程も、切り立った崖から飛び降りれば一気にショートカットできる。
まあ、普通はそんな危ない真似には出ないんだけど、今回はリーゼルさんの許可もあるから特別だ。
なにより、主に脚力を強化するスピードスタイルなら、文字通りひとっ飛びだ。
「……は、ははははは、噂に違わぬ、いえ、噂以上の速さでした。まだまだこの世は知らぬことばかりです」
跳躍。着地。疾走。
着地の衝撃とか、急激な風圧を受けたせいで、俺の背中から降ろしたリーゼルさんの顔からは完全に血の気が引いていたけど、おかげであっという間に正門前まで連れてくることができた。
なにより、戦いの始まりに間に合った。
「グガアアアアアアアアア!!」
先に仕掛けたのは、巨大な斧を手にゼルディウスさんを睨みつけていたゴブリンキング。
攻撃は単純。技の片鱗すら見えるはずもない、力任せの振り下ろし。
だけど、オーガと見間違えるほどの巨体から繰り出される一撃は、人族の小手先の駆け引きや武具など相手にならないほどの威力がある。
勝利を確信したんだろう、まだ得物を肩に担いだままのゼルディウスさんを見て、邪悪に口元を歪めるゴブリンキング。
その目が驚愕で開かれたのは、一瞬の後のことだった。
ガギイイイィン
重量級の武器同士がぶつかり合う、低い低い金属音。
ゴブリンキングのそれをはるかに凌ぐ速度で繰り出されたゼルディウスさんの大剣は、自分の頭に触れそうなところまで来ていた、魔物の骨でできた斧を弾き飛ばした。
後退こそしないものの、思わずのけぞるゴブリンキング。
だけど、一度動き出したゼルディウスさんの剣戟は止まらない。
「行くぞ、ゴブリンキング。ガルドラの騎士達の仇だ」
「グ、グ、グガアアアッ!!」
正門前に出現したのは、死の暴風。
かすっただけで致命傷になりそうなほどの刃の乱舞は、ゼルディウスさんとゴブリンキングの周囲からお互いの配下を遠ざけた。
廃城の正門前に作られた結界の中で、一人と一匹の戦いぶりは一見、全くの互角のように見える。
だけど、その種類は別々のように思う。
「加護の恩恵で稀に見る体格に恵まれたゴブリンキングに対して、『聖騎士』のジョブを持つゼルディウス騎士団長といえど単純な膂力ではかないません。その欠点を補っているのは、長年の研鑽の末に獲得した圧倒的な技量です。その違いは、それぞれの得物の軌道を見れば一目瞭然でしょう」
血色と声の張りが戻ったリーゼルさんの言う通り、大して体重も乗せずに腕の力だけで斧を振るっているゴブリンキング。
その一方、ゼルディウスさんの斬撃は、人族の骨格と大剣の特性を熟知した上で、理にかなった動きを極めていると、素人目にもわかる。
その、暴力と技量の極致同士のせめぎ合いは絶妙なところで拮抗しあって、この戦いが無限に続くような錯覚さえ覚える。
だけど、リーゼルさんの考えは違った。
「そろそろ、ゴブリンキングの底を見極めたころでしょう。もうすぐ決着ですよ」
刹那。
見逃したつもりはない。それほどまでに、ごく自然で無駄のない魔力の流れだった。
何が起きたのか理解していない様子の、筋骨隆々な胸を横一文字に浅く斬られたゴブリンキングに対して。
黒い血しぶきを上げさせたゼルディウスさんの大剣には、赤く輝く炎のようなオーラが立ち上っていた。
「アドナイ王国の歴史の中でも、五指に収まる猛者しか習得できなかった魔法剣の一つ『煌炎』です。効果自体は、武器の威力を増大させるという単純なものですが、オーラそのものを刃と変え、魔物の爪牙や武器、魔法が大剣の本身に触れることすら許しません。その戦いぶりはまさに騎士の王道。彼のグランドマスターレナートに並ぶ、王国最強の一人です」
興奮を隠せないリーゼルさんの説明の間にも、ゼルディウスさんの猛攻は続く。
地面を砕くほどの踏み込み、重くゆっくりとした腰のひねり、その力が十全に乗った腕の振り。
これらが一つに組み合わさって繰り出される大剣の斬撃は、目にも止まらない神速の光となってゴブリンキングを追い詰める。
左腕を失い、右足の五指が吹き飛び、袈裟懸けに腹が裂け、魔物の骨の斧が持ち主から離れて宙を舞う。
最後に、
「幕だ。秘剣、『火柱』」
小さくつぶやいたゼルディウスさんが放ったのは、愚直な振り下ろし。
だけど、これまでで一番の輝きを放った炎のオーラは、その顔に恐怖を貼りつかせたゴブリンキングの巨体を縦一直線に両断した。
そして、真っ二つになったゴブリンキングが倒れ伏し、一瞬の静寂の後、
「ガルドラ公爵家騎士団の方々、あとの始末を願えないだろうか?」
残身を取り終えたゼルディウスさんの一言で、全てが動き出した。
王を失って四方八方に逃げ惑うゴブリン達。
それを追うガルドラ公爵軍の騎士の一団。
指揮官を先頭に廃城へと突入する部隊。
それを横目に、再び大剣を担いだ格好でこっちに歩いてきたゼルディウスさんに、リーゼルさんがねぎらいの言葉をかけた。
「ゼルディウス騎士団長、お役目ご苦労様でした」
「これでよろしかったですか、リーゼル卿」
「もちろんです。本来なら、我ら公国軍も協力すべきところなのでしょうが、ガルドラ公爵軍の方々も、廃城の内部には立ち入られたくないでしょうから」
「どういうことですか?」
話についていけていない俺に、なぜか顔をしかめたゼルディウスさんに代わって、表情を消したリーゼルさんが、
「テイル殿、ゴブリンの特徴は覚えていますか?」
「は、はい。体力も魔力も弱い代わりに、ものすごい繁殖力を持っていると聞いた気がします」
「その通りです。そして、もっとも厄介なのが、ゴブリンの母体として必要とされるのは、何も同族に限らないという一点に尽きます」
「そ、それって、まさか……」
「ゴブリンキングの居城となっていたこの廃城には、他の種族の雌が囚われている可能性があります。そして、もっとも数が多いと思われるのは、この一帯に住んでいたガルドラ公爵領の民でしょう」
「救出や埋葬ならばまだ良いですが、中には騎士の情けで命を絶ってやらねばならぬ者もいるはずです。ならば、せめて余所の貴族や騎士の手を借りたくないと思うのは、当然の感情でしょうな」
ゼルディウスさんの言葉の通り、正門前にいたはずの公国軍はすでに撤収を始めていた。
いちいち上官の命令がなくても、ガルドラ公爵領に住む人達のことを思えば、当然の配慮だとわかっているんだろう。
わかっていなかったのは、騎士でも衛士でもない俺だけだったみたいだ。
「とはいえ、新たな王が出現するほどに大規模になったゴブリンの群れです。本拠地を潰しても、コロニーの広さや深さは過去に例を見ません。我らジオグラッド公国軍にも、まだまだ協力できる余地が残っていることでしょう。ゼルディウス騎士団長、この後はどうするおつもりで?」
「私の側近の数名と公国軍の一部を残し、ゴブリンの残党狩りに当たらせます。ガルドラ公爵軍一部隊に三名ほどの衛士が加われば、戦術の幅が大きく広がるでしょうから」
「そんなところでしょうね。ゴブリン殲滅の功績はあくまでガルドラ公爵家に、公国は同盟の強化ができればそれでよし、というのが公王陛下の思し召しですから」
「タイタンの有用性も、ガルドラ派貴族に広く知らしめることができたはずです。各集落への配備に当たって、最大の障害となり得るのが彼らでしたが、これで理解も深まるでしょう」
「こちらも準備を急がなければ。ガルドラ派貴族の協力が得られても、肝心のタイタンが来なければ意味が――テイル殿?」
リーゼルさんの呼びかけに、俺は答えない。
視線と意識が空を向いていたからだ。
「テイルど――」
「待て、リーゼル卿。空に、何かいる」
ゼルディウスさんも違和感を覚えたように、空がおかしい。
ゴブリンを一匹も逃さないということで、わざわざ晴天の空模様を選んだ結果が、今日という日だ。
少なくとも、夜までは雨雲がやってこない予想のはずなのに、上空は鉛色の曇天が支配していた。
それだけならまだいい。この辺りの気候を熟知したガルドラ公爵軍だって間違えることもあるだろう。
だけど、分厚い雲の向こう、遥か高い場所に一つの気配がある。
絶対に、二度と見逃したりしないと誓ったアレに、よく似た気配が。
「ドラゴンが、たぶんいます」
「――っ!!公国軍全軍!!対竜災戦術発動!!直ちに全てのタイタンを廃城に集めろ!!」
撤収を始めた公国軍の動きを一斉に停止させる騎士団長の怒号が、一帯に響き渡った。
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