第331話 ガルドラ公爵領のゴブリン


「ギャギャアッ!」


 ジオと二人きりで話した日から、十日後。

 俺は今、ガルドラ公爵家領の、とある村近くの草原に来ている。

 理由は、小規模なゴブリンの群れを駆逐するためだ。


「ギャギャギャ!!ギャギャ――」


 不意に途切れる耳障りな鳴き声。

 その原因を断つため、黄色い歯が不揃いに並ぶ魔物の口から上を、黒のショートソードで斬り飛ばした。


 そのまま、歩くこと十歩。

 右、左、右。

 三歩ごとに手近のゴブリンの胴体を片手斬りに薙いで、最後の踏み込みで左手に握っていた石をゴブリンメイジの右目に命中させる。


「ギー!ギー!」


 最後に、瞬く間に手下がやられて混乱しているゴブリンナイトに向けて手をかざし、


「イグニッション」


 群れのリーダーの頭を初級火魔法で吹き飛ばして、組織立って村を襲ってきたゴブリン達を烏合の衆へと変えた。


「お疲れ様です、テイル殿。あとは我々が引き継ぎます」


「リーゼルさん」


 まるで、ゴブリンの群れが瓦解するのを予測したかのように、背後から声をかけてきたのは、騎士鎧姿のリーゼルさん。

 大の男でもまともに動くのは難しいフルプレートを着こなし、さっそうと歩いてくるその姿は、とても貴族のボンボンには見えない。


「その呼び方は正確ではありませんね。つい先日、公王陛下より準男爵位を授かりましたので」


「俺の表情で心を読むのはやめてください。っていうか、準男爵?」


「あいにく、父の隠居はまだまだ先の話になりそうなので、とりあえず公式の場で動きやすいようにとの、公王陛下のご配慮です。いえ、父がというより、母の活動のためと言うべきですね」


「ああ、キアベル伯爵が隠居すると、当然、キアベル夫人も従うことになりますよね」


 と、俺とリーゼルさんの横を、騎馬の一団が駆け抜ける。

 逃げていったゴブリン達を全滅させるために出撃した、公国騎士団の騎馬隊だ。

 そして、村の中では今頃、


「同伴した衛士隊によるタイタンの設置と調整は、明日の朝ごろまでかかることでしょう。それまではお付き合い願いますよ、テイル殿」


「分かっています。事前に聞いていたことですから。……あ、一ついいですか?」


「なんでしょうか?」


「準男爵の叙爵、おめでとうございます」


「はははっ!テイル殿からの祝いの言葉、ありがたく頂戴いたします」






 ジオによる、ノービスの加護の強化計画は、聖骸が持ち主の元に戻ったことで本格的に動き始めた。

 といっても、ジオグラッド公国の要所要所に初心教司祭を派遣して、エルフ族から提供された魔法陣を公国の領地全体を使って描くのが、具体的な方法らしい。

 当然、そんな人手も期間もかかる作業に俺が駆り出されても、せいぜい人夫の真似事か護衛くらいしかできることはない。

 その中で、「ちょうどいい頃合いだから、今の公国の実力を直接見てくるといいよ」と、あの日の翌日、二日酔いに苦しむジオから告げられたのが、ガルドラ公爵領行きだった。


「やはり、敗走兵の追撃は騎兵に任せるに限りますね。移動は馬に任せ、騎士は上から一方的に攻撃するので討たれる危険が少ない」


「リーゼルさん、本当にこれで終わりでいいんですか?特に疲れも怪我もないというか、正直、大したことをやっていなと思うんですけど」


「何をおっしゃるんですか、テイル殿」


 確かに、ゴブリンの群れの撃退には成功した。

 だけど、戦ったというよりは簡単な作業をやったくらいの手ごたえしか感じてない俺に、やや大げさな驚き方でリーゼルさんが反論してきた。


「相手は、ゴブリンナイトを中心とした、ゴブリンメイジやゴブリンビショップも含まれる、戦力バランスの取れた群れでした。あれを攻略するとなると、さすがに同数とは行かずとも八人程度の冒険者レイドでの討伐が推奨されるでしょう。少なくとも、一人で挑むのは無謀と言わざるを得ません」


「いや、現に俺は一人で戦えましたけど」


「そうですね。実にお見事な手際でした。まさに、背筋が寒くなるほどに」


「リーゼルさん?」


 リーゼルさんの言葉は、いつものようなお世辞とは少し違う。そんな感じがする。

 なにより、端正な顔立ちに浮かぶ笑顔には、少しの戸惑いが見え隠れしていた。


「まるで散歩でもするようにゴブリンの群れに無造作に近づき、前衛のゴブリンソルジャー三匹が武器を構える前に首筋を斬って倒し、後衛のゴブリンメイジを一度の投石で無力化。さらに、ゴブリンナイトまでの視界が通った直後に、正確無比の初級火魔法を撃ちこんだ。言ってしまえばこれだけの動きですが、これほど迷いも恐れもなく魔物の群れを狩れる猛者は、冒険者の中でも一握りしかいません。控えめに言っても、テイル殿の技量は一流冒険者のそれですよ」


「そんな大げさな。たかがゴブリンの群れですよ?」


 と、特に考えもせずに言った自分の言葉に。

 それと、奇妙なものを見るようなリーゼルさんの反応に、引っかかった。


 少し前までの俺は、こんなに魔物の討伐に関して自信たっぷりに語る奴だったか?

 そんなことはなかった。

 手を出すのはやむを得ない時だけで、自分から首を突っ込むような言動はしなかったはずだ。


 ただ、なんとなく感じている。

 風に触れる肌が、遠くの森の中まで見通せそうな目が、微かだけど確かに響く馬蹄の音が、薄れゆく魔物の匂いを嗅ぎ分ける鼻が。

 戦いの気配は去ったと。もうこの辺りは安全だと。

 なにより、あの程度の戦いじゃ怪我一つ負うことすら難しいと、俺の中の何かが強く訴えている。


「公王陛下から伺ってはいましたが、強くなられたのですね、テイル殿は」


 きっと、リーゼルさんの言う通りなんだろう。

 さっきのゴブリンの群れと戦った時、まるで人形を相手にしているような感覚だった。

 いや、勘違いだってことは分かっている。

 それでも、ゴブリン一匹一匹の動きが驚くほど遅く見えて、しかも完全に予測がついてしまえば、それはもう指一本動かせていないのと同じことだ。

 そうなれば、あとはもう据え物斬りと何ら変わらないだろうし、実際俺の感覚はその程度のものだった。


「同時に、公王陛下のご懸念もよく理解できました」


「ジオの懸念?それは、俺の加護のことですか?」


「加護の件もそうですが、私個人の気がかりとしては、テイル殿の孤立化の方を問題視しています」


「孤立、ですか」


「英雄の存在は味方や民に大きな安心感を与えますが、その反面、強く依存してしまう傾向も否めません。そうなれば、魔物への対処を頼り切り、自らが戦う意志や力を失ってしまう者も出てくるでしょう。そのくせ、被害が出れば全ての責任を英雄に押し付ける。ある意味で、最も効率的かつ醜悪な生き延び方と言えます」


 珍しく、リーゼルさんの声に熱がこもっている。

 そして、その言葉はそのまま、一人でゴブリンの群れを全滅させようとした俺への遠回しの非難なんだろう。

 はっきり言って耳が痛い。耳が痛すぎて、謝罪の言葉すら出てこない。


 いや、謝る気持ちがあるなら、言葉じゃなく態度で示すべきなんだろう。

 何もかもを一人で片づけようとしない、という態度で。


「あの、テイル殿」


「あ、はい、なんですか?」


 いつの間にかに、ついつい考え込んでしまっていたらしい。

 リーゼルさんの声に我に返ると、端正な顔立ちにばつの悪そうな色が浮かんでいた。


「謝罪します。少々、いえ、かなり言葉が過ぎました」


「いや、そんなことは……」


「この地は、ガルドラ公爵領の主要街道の近くにありながら、他の街や村とは距離が離れていることから守るに難しく、長らく防衛上の戦略において大きな懸念となっておりました。そこに、衛士部隊の駐留とタイタンの設置を迅速に行えたのは、この辺りを根城にしていたゴブリンの群れを駆逐したテイル殿のおかげに他なりません」


「いえ、俺がやったことなんで、本当に大したことじゃ……」


「まずは、公王陛下から衛士隊を預かる身としてテイル殿の武功を称え、深い感謝を示すべきでした。それが、このような賢しらな説教を垂れる愚行、誠に申し訳ございません」


「あ、頭を上げくださいリーゼルさん!?」


 そう言い切るなり、俺なんかに向かって直角に頭を下げてくるリーゼルさん。

 当然、慌てふためくしかない俺の心の内なんて、この若き貴族にはお見通しだったんだろう。

 二の句を継ぐ前に機先を制するという、弁舌の振るい合いじゃ一生太刀打ちできないと思わせる早さで、頭を上げた。

 その自信に満ち溢れた眼差しに、気後れは微塵もなかった。


「そのお詫びと言うわけではありませんが、災厄に対抗するために蓄えてきた公国軍の実力を、テイル殿に御覧に入れて見せましょう」


「それは、もしかして――」


「はい。三日後、ガルドラ公爵軍と共同でゴブリンの群れの本拠地、巨大コロニーを殲滅します」


 ガルドラ公爵領を悩ませてきた、ゴブリンという名の災厄。

 その大本が断たれようとしていた。

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