第330話 引導と神託
気が付いた時には、グラスの中身を五回も飲み干していた。
味はする。だけど、一向に酔いは回ってこない。
……いや、そもそも、こんなに無意識のうちに飲み続けられるものなのか?
今日の今日まで名前しか知らなかった高級酒。
その強さは、グラス一杯で大の男が昏倒するとまで言われているほどだ。
実際、ジオが手にしているグラスの中身は、まだ半分も減っていない。
噂通りの逸品なら、喉を通るたびに火を吹き出すほどの刺激が襲ってくるはずだけど、そんな気配は全然無い。
つまり――
「加護が強まり神に近づいている、というわけか。カナタ様の御言葉の通りなら」
「しらばっくれるのはよせよ、ジオ」
「テイル、なにを言っているんだい?」
「英雄が神になるって話を知っているんだろう?」
声は荒らげない。
そんなことをすれば、扉のすぐ外で待機している護衛騎士が何事かと飛んでくるだろう。
それに何より、ノービスの神殿からこの部屋に入るまでに、怒りのピークは過ぎている。
……いや、それすらも、ジオの計算の内かもしれない。
「事ここに至っては、隠し通すことはできなさそうだね」
「その言い草は、自白と受け取っていいんだよな?」
知ってしまえば、簡単な話だ。
物心ついたころから歴史の研究をしていたというジオ。
そのフィールドワークの成果はもちろんのこと、加護の知識に関しても第一人者と言えるだろう。
それなら、ノービスの英雄だったソレが死後に神になった事実から、他に似たような例がないかくらい調べたはずだ。
その結果、何をどのくらいまで知ったかは本人のみぞ知る。だけど、一つの確証は得たはずだ。
そうじゃなきゃ、俺と今ここでこうしているはずがない。
「このまま戦い続ければ俺がどうなるか、知っていたんじゃないのか?」
「知っていた――と言いきれたら、テイルを死地に送り込んだ張本人として、少しは格好がつくんだけれどね」
「どういうことだ?」
「言葉通りの意味だよ。仮説はあっても確証は何一つなかった。全ては僕の妄想に過ぎなかったんだよ。つい先日、我らが神から聞かされるまではね」
「つい先日?」
「カナタ様の導きで、夢の中で竜の神殿を訪れた時だよ。内容は、たぶんテイルと似たようなものさ」
「でも、可能性はあると思っていた、もっと前から。そういうことだろう?」
「まるで雲をつかむような、おぼろげで不確かなものだったからね。確かに、英雄が死後に神に至ったという古い文献はいくつも存在する。けれど、それを真っ向から否定する文献も同程度が存在するのさ。なにしろ、命ある者では及ぶべくもない、神々の世界のことだ。誰も証明のしようがなかった」
「俺が知りたいのはそんなことじゃない。ジオ、お前はどういうつもりで、俺の戦いを見ていたんだ?」
「もちろん、人族存続のため――と言いたいところだけれど、以前に僕の本音をさらけ出しているからね、テイルには通用しないか。人族のことはあくまで二の次、第一にあったのはセレスと腹の子との未来を守るためさ」
そう言い切ったジオが、持っていたグラスに口をつける。
それも、これまでのような少量じゃなく、一気に飲み干す勢いで。
そして、まるで胸につかえていたものを吐き出すように、大きく息を吐いた。
「ただし、計画には幾通りものパターンが存在したんだ」
「どういうことだ?」
「僕が目指した目的の前には、戦争以上に複雑で突破しがたい障害が横たわっていた」
「災厄のことか?」
「障害が災厄だけなら事はもっと簡単だったけれど、世界はそんなに単純じゃあない。王家、軍、貴族、各ギルド、さらには中央教会や周辺各国の動静も注視しなければ、僕もテイルも今ここにこうしてはいなかっただろう」
そう自嘲気味に言いながら、自分のグラスに酒を注いだジオが、俺の方に酒瓶の口を向けてくる。
断る理由はないので、琥珀色の液体を俺がグラスに受けるのを見届けてから、酒瓶を元の位置に戻したジオは、
「権力も立場も無いに等しい僕の武器は、有り余った暇と異端との評価を受けた頭脳だけだった。集めらられだけの情報を集めて、あらゆる状況を想定し、その中で僕が望む流れに乗るようにできる限りの手を尽くしたよ」
「ちなみに、お前が望まない流れっていうのは……」
「ほとんどの場合で、人族が滅ぶと思うよ」
「やっぱりか……」
「アドナイ王国が神聖帝国と同盟を結んだり、あるいはレオンが王になったりと、僕にとって好ましからざる事態も想定してみたよ。けれど、災厄を乗り切れずに滅ぶ予測しか出てこない」
「そう思う根拠はなんなんだ?」
「軍の指揮系統、というよりも、政治形態かな。旧態依然としたアドナイ王国や神聖帝国では貴族を完全に掌握することはできない。かといって、レオンのような強引なやり方では反逆を招き、やがて内部から崩壊していっただろう」
「アドナイ王国や神聖帝国のことはともかく、レオンだったらそうなっていたかもな」
あいつは上を目指すことしか考えていなかった。
ドラゴンバスターになって、ガルドラ公爵家次期当主になって。
不死神軍を支配しようと、アドナイ王国を支配しようとして。
その後は、周りの国も支配しようとしていたんだろうか?
それができたとしても、レオンは神にはなれない。その前に、ドラゴンの報復を受けただろうから。
「そうして、滅びかけた人族は願うだろう、英雄の台頭を。僕のように。いや、僕とは違ってと言うべきか」
「違う?」
「テイル、もう君が戦う必要はない」
いつの間にかに二杯目を飲み干していたジオが、じいっとこっちを見てくる。
すでに酔いが回っているらしい真っ赤な顔で、それでいてとても真剣な、澄んだ眼差しで。
「衛士兵団にタイタン。この公国の二つの切り札を組み合わせる効果的な運用法が確立すれば、もはや過度に災厄を恐れる必要はなくなる。英雄の力を借りなくても済むんだ」
「お、俺は、もう必要ないっていうのか……?」
「いいや、衛士には英雄が必要だ。ただし、これまでのように先頭に立って血路を切り開くのではなく、後ろから彼らの戦いを見守る象徴として、だ」
「で、でも、そうだ、ドラゴンはどうするんだ?特に、ドラゴンブレスはどうしようもないだろう?」
「それも対策を講じてある。他の街では難しいけれど、ジオグラッドでなら十分にドラゴンと渡り合えるはずだ」
「……」
絶句。
言葉だけじゃなく、思考すらその二文字しか浮かんでこない。
これから、いよいよ苛烈を極めていく災厄との戦い。
その渦の中心でみんなの命を背負っていくのが、他ならない俺だと思っていた。
自惚れでも何でもなく。
それが、こんな風に脈絡もなく終わるんだろうか?
終えてしまっても、いいんだろうか?
「とはいえ、だ」
と、ジオが続ける。
その声に感情の揺れは看て取れない。
いつものように平静を装っているのか。
それとも、酒の力で麻痺しているのか。
少なくとも、素面の俺よりは冷静だ。
「これまで、僕はテイルを利用してきた。魔物との戦いを強いて、アドナイ王家の争いに巻き込んで、ノービスの英雄に祭り上げた。そうやってさんざんに便利使いしておきながら、この上好き勝手にはしごを外すほど、僕は厚顔無恥にはなれない。だから、どうするかはテイルが決めてほしい」
「どう、するか?」
「今すぐ舞台から降りるか。もしくは、加護に影響のない範囲で魔物討伐を続けるか」
「好きにしろ、ってことか……」
「このままドラゴンとの戦いに身を投じて、最終的に神になる道もあるにはある。お勧めはできないけれどね。テイルのためにも、テイルの大切な者達のためにも」
違うんだ、ジオ。
そう言いかけて、言った後のことを考えてやめる。
もしも。
もしも、ジオが信仰を捧げる神が、俺に言っていたことが正しければ。
ジオの計画は最後の最後に失敗する。
失敗して、英雄に頼るしかなくなる。そんな苦境に陥る。
そもそも、俺が知ったソレからの神託は、俺だけのものなんだろうか?
同じ神の眷属であるジオが知らないという保証は、どこにも無い。
知る方法ならある。というより、今すぐ目の前のジオに聞けば済む。それだけのことだ。
だけど、聞けない。
聞けば最後、どうしたってこの一言を、俺は口にせずにはいられなくなる。
かといって、素面で言えるようなセリフじゃない。
こういう時にこそ酒の力を借りたいところだけど、どうやらそれは、もう二度と許されない贅沢らしい。
だから、「考えておくよ」と適当に返事をして、あとはジオの酒に付き合うしか誤魔化す方法はない。
誰よりも生きることを望んでいるジオに、
「お前、死ぬぞ」
なんて言う覚悟は、まだない。
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