第328話 積もる話と変わる空気


 場所が場所なだけに、いつ戻れるかは文字通り神のみぞ知る、ってやつなわけで。

 できれば一人で考えたいから先に帰っておいてくれないかな、という俺の淡い願望は、


「やあやあ、おかえりテイル。ずいぶんと早かったね」


 一仕事終えて肩の荷が下りた、満面の笑みのジオが出迎えてくれたことで、あっさりと打ち砕かれた。

 少し離れた木の陰には、エルフのシルエもいる。


「いやね、護衛の勧めで先に戻ろうかとも思ったのだけれど、シルエが反対してね」


 という予想外の出来事はあったけど、その後は何事もなく来た道を戻って公都に入り、集合場所の一室に帰ってきたところで解散になった。

 と思ったら、


「テイル、少し話があるから残ってくれないか?」


 ついさっき聞いたようなセリフがジオから出て、帰宅はお預けとなった。


「テイル、先に戻っているぞ」


 何か察したんだろうか、意外にもすんなりと出ていったシルエがドアを閉めたところで、ジオは着替えに、俺はしばらく待たされた後で公王付きの側仕えらしき人に案内されて部屋を出た。


 ちなみに、往路も帰路も、ジュートノルを目の前にした時、ジオから何か言ってくることはなかった。






 そこは、庭園に迷い込んだかと錯覚するくらいの、観葉植物の数々が立ち並ぶ部屋だった。


「僕の私的空間は地下にあるから、庭を設けるわけにはいかないんだよ。だから、こうやって緑を並べて立てて無聊を慰めているのさ」


 そう言いながら、向かいのソファを俺に勧めてきたジオは、側仕えに命じて飲み物を持ってこさせた。

 高価そうなグラスが目の前に置かれる前に、匂いでわかった。

 酒だ。それも、かなり強い部類の。


「おい、ジオ」


「分かっているよ、テイルがあまり酒を好まないのは。けれど今日くらいは付き合ってほしい。積もる話も色々あることだし」


「なんだよ、積もる話って」


 俺のその言葉を待っていたかのように、手を一振りして側仕え全員を退室させるジオ。

 そして、グラスを手に取ると照れ臭そうにしながら、


「いや、まあその、話っていうのは、セレスのことなんだ」


「セレスさんか。そういえば最近会っていないけど、元気か?」


「元気?うん、元気と言えば元気かな。最近はあまり外を出歩けていないけれど」


「そうなのか?でも、病気ってわけでもないんだろう。何が原因なんだ?」


 自分の方から誘っておきながら、なかなか本題を切り出さないジオ。

 普段は俺の都合なんかお構いなしに喋る奴が言い渋っていると、こっちも調子が狂ってくる。

 この微妙な空気を変えるには、俺の方から話題を切り出すしかないだろう。

 たとえ、酒が不味くなるような内容だとしても。


「なあ、ジオ――」


「実はね、セレスが身ごもったんだ」


「セレスさんが!?そ、それって、ジオの子供ってことだよな?」


「当たり前だろう。まるで、セレスが浮気しているかみたいに言うものじゃあないよ、テイル」


 一瞬嫌そうな顔をしたけど、すぐに口角が上がり始めるジオ。

 他意はなかったとはいえ、俺の言葉は無礼にも程がある。

 本来なら激怒してもおかしくないけど、幸せの絶頂にあるジオにとっては大したことじゃなかったらしい。


「そうか、ジオとセレスさんの子供か……」


「本来なら、公国を挙げて喜ぶべき慶事だけれど、そうも言っていられない」


「どういうことだ?」


「知っての通り、衛士兵団の有用性を示したジオグラッド公国は、今やアドナイ王国中から注目されている。決戦兵器であるタイタンの噂が広まれば、その熱はさらに高まるだろう」


 ジオの言葉に、俺も頷く。

 タイタンの性能――特にギガントボアを葬ったあの一撃は、神聖帝国の聖術爆撃を彷彿とさせるものだった。

 あちらは選び抜かれた聖術士による最高峰のスキル。

 一方、こちらはドワーフの協力があるとはいえ、素人同然の数人のノービスで扱える兵器。

 条件付きではあるものの、どっちが戦力として用意しやすいか、誰の目にも明らかだ。


「そこへ、僕の子供を身ごもったセレスのことが知れ渡ると、ちょっとした大騒ぎになるだろう。騒ぐ程度ならまだいいけれど、混乱に乗じてセレスと腹の子の命を狙う輩も必ず出てくる」


「い、命って、心配し過ぎなんじゃないのか?ガルドラ派や王太子派との関係も良くなって、災厄に集中できる状況になったんだろう?」


「貴族と言えど、いや、貴族だからこそ、先の先まで将来を見据えて行動できるわけじゃあ無いということさ。恨みやひがみに凝り固まって、僕や周囲に危害を加えれば大きな利になると思い込み、短絡的に暗殺に走ろうとする者がいないとも限らない」


「じゃあ、妊娠中のセレスさんは格好の的ってことか」


 我ながら吐き気のするようなセリフだけど。

 ジオの言葉を信じるなら、そういう事態が起きてもおかしくないってことなんだろう。

 もちろん、そんなことをむざむざと許すジオじゃない。


「そうならないように、マクシミリアン公爵と相談のうえで、万全の策を講じてある。最近、テイルがセレスと会えていないのも、実はその影響だ」


「そうなのか?てっきり、ジオの奥さんになったからだと思っていたけど」


「テイルとの身分差なんて、僕もセレスも今さら気にしないさ。ただ、正式な婚姻の式典を執り行っていないから、対外的なセレスの立場は内縁の妻の域を出ない。子が生まれて、セレスを公王妃として正式に発表すれば、おおっぴらに護衛をつけることもできるし、暗殺者も手を出しづらくなるんだけれど」


「それまでは、セレスさんには会えないってことなんだな」


「今は、キアベル夫人にセレスの身柄を預かってもらっているから、ひとまずは安心なんだけれどね。実のところ僕も、現時点でのセレスの居所は把握していない」


「ジオも!?それは、なんていうか、徹底しているっていうか……」


 公国の重鎮であるキアベル伯爵の第一夫人にして、リーゼルさんの母親。

 そして、セレスさんの義母でもある、キアベル夫人。

 良くも悪くも凡庸(という世間の声だ)であるキアベル伯爵を陰で支える――というより、黒幕として夫を操っているともいう評判が、公都ではまことしやかにささやかれている。

 実際、一度だけ会ったキアベル夫人の印象も、噂通りというよりそれ以上の怖さを感じた。

 別に、剣や魔法の使い手というわけじゃないけど、絶対に敵に回したくない、そんな人だ。


「じゃあ、セレスさんは安全か……」


「まあ、セレスと子の身の安全を図るためには、キアベル夫人以上の人材は思い当たらない。僕がかかりっきりになるわけには行かない以上、信じて任せる以外に道はないよ」


「信じて任せる、か」


「……そういえば、テイルの方にも話があるといっていたね」


 話の最後の締めとして、ぽつりと言った何気ない一言。

 俺としてはそのつもりだったけど、聞き手のジオは聞き流してくれなかった。

 言葉の裏に潜んだ、羨望と嫉妬の色に。


 それを見抜かれたが最後、堰が切れるのはあっという間だった。


「ジオ、聞きたいことがある」


「なんだい、改まって?」


「エンシェントノービスの加護を受けた直後、ジオの言うがままに初めての実戦を乗り越えた」


「うん。まさに運命の出会いだった」


「ジュートノルから一歩も出ずに一生を終えるものだとばかり思っていたけど、王都にも行ったし、ミリアンレイクにも行った。エルフやドワーフにも会った」


「まあ、普通の平民では望むべくもない経験を積んでいると思うよ」


「数えきれないほどの魔物と戦って、数えきれないほどの命が消える様を見てきた。もちろん、俺が殺した魔物も含めて」


「その責任はすべてこの僕にある。テイルが気に病むことは何一つないんだ」


「いや、俺の責任は俺のものだろう。そして、それもこれも全部、ジオが思う人族の存続の道が、俺の大切な人達との暮らしを守ることに繋がると信じているからだ」


「災厄の前には無意味な約束かもしれないけれど、可能な限りテイルの友人知人は守る。公王としての権力を多少乱用してでもね」


「だったら!!」


 ジオは分かっているはずだ。俺が何を言いたいのかを。

 これまでの会話の行き着く先が、ノービスの神殿で一人残された俺がソレとどんな話をしたのか、推測はついているはずだ。


「だったら、いずれ俺が人族じゃなくなるかもしれないって、なんで言ってくれなかったんだ!?」


 そう叫んで、まだ口をつけていなかったグラスを手に取って、そのまま一気に飲み干す。

 さすがは公王が出す酒だ、香りも味の深みもこれまで飲んできたものが色つきの水に思えてくるほどだ。

 だけど、一向に酔える気がしない。

 いや、酔いが来る前に酒が醒めて、正気を失う気配が一向にない。

 その原因こそが問題だった。


 ジオグラッドの地下深く、緑に囲まれた部屋の中に、冷たい空気が流れ始めていた。

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