第326話 シルエとマクシミリアン公爵
公都ジオグラッドよりは、商業都市ジュートノルにほど近い森。
比較的魔物の脅威が少ないことから、ジョブの加護を持たない狩人の猟場になる程度の危険しかない場所だけど、それはそれ、これはこれということらしくて。
恐れ多くも公王陛下が立ち入るにはそれなりの安全確認が必要だ、ということで、最低限の人数を残した衛士達が森の中へと偵察に向かった。
……予想はしていたけど、気まずい。
原因は俺――じゃなく、ジオとシルエだ。なにしろ、とにかく喋らない。
その理由が、シルエが引き渡しを求めたマクシミリアン公爵をめぐるものなのか、一応は神であるアイツに会うことへの緊張なのか。
それとも、出発前に起きた、あの事件のせいなのか。
色々な意味で衆目の目に晒されるわけには行かないということで、集合場所は政庁内の一室だった。
そこへ、何が楽しいのかやたらと俺に構ってくるシルエと一緒に向かうと――
上機嫌だったエルフの表情が一瞬で氷に閉ざされた。
「いや、僕は止めたんだけれどね……」
「来たか、シルエ殿」
そこにいたのは、珍しく困り顔のジオ。
それと、見送りだろうか、側仕えに紙束の山を抱えさせたマクシミリアン公爵だった。
「出発の前に、少し話がある。座ってくれ」
主にシルエが発する不穏な空気を察したんだろう、機先を制するように切り出したマクシミリアン公爵は、ジオと並んで座るテーブルの反対側にある、二つの席を勧めてきた。
「ジオ、話が終わらないと出発できないってことなのか?」
「そういうことらしいね。悪いけれど、ちょっと付き合ってくれないか」
シルエがお兄さんの言うことを聞くはずがない。
となると、席を勧められた相手は、実質的に俺ということになる。
本音を言えば、こういう堅苦しい場は苦手なんだけど、ジオの申し訳なさそうな目を見たら協力しないわけにもいかない。
つまるところ、俺が従えば、シルエもそれに倣う、そういう小細工らしい。
「茶も出さずに恐縮だが、互いに多忙な身だ、本題に入らせてもらう。シルエ殿、御父上が見舞われたという御不幸について、我らの方でも調べさせてもらった」
「……同盟を結んだ相手の言葉をお前たちは、人族は信用しないというのか?」
「そうではない。御父上がマクシミリアン領で行方不明となられたのなら、我が領の記録を総ざらいすれば、何かしらの痕跡、または証拠が発見できるかもしれんと考えてのことだ。この調査は、私の極身近な側近のみに当たらせたため、外部に漏れる心配はない。もし、無駄骨に終われば、墓の中まで秘密を抱えていくつもりだった」
「つまり、分かったことがあるというのだな。それを私に信じろと?」
「シルエ殿に言えるのは、これから話すことはマクシミリアン公爵家の名にかけて、さらにはジオグラルド公王陛下の前で嘘偽りないと断言するものだ」
「僕からも頼む。もちろん、話を聞いた後で、シルエがどのように受け取るかは自由だ」
「……聞くだけ聞いてやる。話せ」
一瞬の静寂。
その短い間に覚悟を決めたように、マクシミリアン公爵は口を開いた。
「我が領都であるミリアンレイク城には、毎年の年貢の細かな収量の資料から、アドナイ王国の後ろ暗い秘密を記した文書まで、領内のあらゆる事象を網羅した、膨大な蔵書を収める書庫塔がある。今回、シルエ殿の御父上が行方不明となられた頃に焦点を絞り、関連の有無にかかわらず全て調べさせた。その結果、一つの説が持ち上がった」
その書庫なら、ミリアンレイク城に滞在していた時に、一度だけ目にしたことがある。
城の中心部に近い場所にある立派な建物で、ここなら城壁が突破されてもしばらくは持ちこたえられるんじゃないかと思ったのを、よく覚えている。
あの中にびっしりと本が収められているんだとしたら、その数は一万冊は下らないだろう。
その中から、シルエのお父さんのことを調べ上げたと、リーナのお兄さんは言う。
「我が領地は公爵位にふさわしい広さを持つゆえ、当主一人の力で治めていくのは限界がある。そこで、初代以来の重臣の中から四人の代官を選び、それぞれに任せた土地を代々守らせている」
「代官の話なら、生前の父から聞いたことがある。里に一番近い街を治める代官のところに何度となく赴き、当時のマクシミリアン公爵への面会を求めていたと」
「その代官だが、シルエ殿の御父上が行方をくらませたと思われる年の三年後に、突如解任されている」
「それが、父と何の関係がある?証拠はあるのか?」
「証拠はない。だが、もう一つ、真実を推認できる資料がある」
そう言ったマクシミリアン公爵が懐から出してきたのは、一冊の小さな手帳だった。
「代々のマクシミリアン公爵家当主が残してきた秘密の手記、その一冊だ。ここには、側近にすら洩らせない、その時々の心情や苦悩が書き連ねられている。無論、外部への持ち出しはもちろんのこと、存在を明かすことすら禁じられている代物だ」
「その手記の存在を、私に明かす理由はなんだ?」
「この、六代前のマクシミリアン公爵家当主の手記には、こう書かれている。
『今日、ある家臣に暇を出した。譜代の重臣は一族も同然だ。失うは手足をもがれる思いなれど、あ奴は許されざる大罪を犯した。本来ならば、悲劇に見舞われた古き友に極刑を以て報いるべきだが、それを為せば再び戦乱の時代が訪れるであろう。よって、断腸の思いながら、この件を隠蔽する。あ奴の移住先も、古き友を埋めた場所も、どこにも記述を残さぬ。願わくば、少しでも平和の時が続かんことを』
以上だ」
「……なんだ、これは。まさか、懺悔のつもりか?それなら、今すぐ死の裁きを与えても構わないということだな?」
マクシミリアン公爵の告白の後。
一拍置いたシルエの眼には感情がなく、純粋な殺意だけが宿っていた。
同盟に背いてでも、父親の仇の子孫を殺そうとしていた。
「そうではない。確かに、これは懺悔だが、私のものではない」
「どういう意味だ?」
「伝え聞く六代前の当主だが、温厚にして誠実な人柄で、家臣のみならず領民からも広く愛されていた。だが、生来の病がちな体で、日々の政務すら大きな負担になっていたそうだ。そのため、各地を治める代官の権限は大きかったが、彼らと当主は特別な忠誠心で結ばれており、時の治世は非常に良好なものだったと様々な文献が示している」
「それが、私の父のことと、どうつながるというのだ?」
「ここからは私の推測になるが――当時、エルフ族の来訪に対して自ら応じていた当主だが、その負担と体調に配慮した件の代官が代理として面会した。だが、互いの妥協点を見出すことができずに交渉は決裂。これ以上当主を煩わせるわけにないかないと考えた代官は思い余った挙句に、シルエ殿の御父上を殺める羽目に陥ったのではないだろうか。そう私は考える」
「そんな、そんなくだらない妄想で、私に納得しろと言うのか……!」
「確かに証拠はないが、妄想ではない。貴族とその家臣というものは、およそ考えや動きが決まってくるものなのだ。その生まれや立場ゆえに感情に任せた行動は禁忌とされ、常に理性ある決断を迫られる。だが、そこに忠誠心や義務感が絡むことで、だれも望まぬ悲劇が起きることも少なくない。今回はエルフ族が犠牲となったが、これが人族だった場合は歴史の闇に葬られて二度と日の目を見ることはなかっただろう。つまり、我らの愚かさが招いたありきたりな悲劇であって、決して悪意があったわけではなかったのだ」
そう話すマクシミリアン公爵の表情には、これまで見たことがないほどの苦悩が刻まれていた。
まるで、自分が六代前の御先祖様の痛みと苦しみを一身に引き受けているかのように。
それを見たシルエは、
「……」
怒りでも恨みでもない目を逸らしながら、無言で部屋を出て行ってしまった。
後に残ったのは、ほら見たことかと言わんばかりの、向かい合うジオの見飽きた顔だけだった。
表面上はそんな素振りを見せずに、だけど時々影響を感じさせる重い空気を醸し出す、ジオとシルエ。
そんな状況に耐えるのもそろそろ限界だと思い始めたころ、
「公王陛下、お待たせいたしました。祠までの安全を確保しました」
森に入っていた衛士の一人が姿を現して、先導するように前を歩き始めた。
どうやら、神を名乗るアイツに会ってからじゃないと、これ以上考える余裕はないらしい。
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