第325話 ノービスの神殿へ
翌日の早朝。
「以前とは身分も状況も違うからね。できる限り祠の場所を秘匿する必要がある以上、これくらいの小細工はとうぜんなのさ」
集合場所に指定された政庁の一室で、豪商のドラ息子風に変装したジオと、同じく普段着姿の護衛騎士ならぬ衛士と合流して(こっちは元から平民だから変装する必要がない)、ノービス神の神殿に通じる道というか、なんというか。
とにかく移動手段の基点である祠がある森に向かうため、公王としてのジオの「城」が広がっている地下空間から、地上に通じる秘密通路の一つを通って、まだ眠りに就いているジオグラッドの外に出る。
公都から離れる中、朝日が照らし始めたジオグラッドの象徴、大天蓋の威容を横目に見たジオは、
「そろそろ、大天蓋を一度解除すべき頃合いかな」
「解除?何か問題でもあるのか?」
「理由は単純明快、日光というものは人族に限らず、ありとあらゆる生き物にとって必要不可欠ということさ」
「でも、そこら中に魔力灯があるから、暗くて見えないってことはないはずだろう?」
「あの程度の小さくて弱々しい光じゃ、天上の恵みには太刀打ちできないってことらしい。実際、公都内でのあらゆる職種の作業効率が目に見えて落ち始めている上に、体調不良を訴える者も続出している。このまま事態を放置すれば、せっかく移住してきた住民が逃げ出しかねない」
「でも、どうするんだ?大天蓋の解除自体は衛士を動員すればできると思うけど、余った土は城壁にでもするのか?」
「それも一案だけれど、明らかに公都の出入りに邪魔だよ。よっぽどのことがない限りは普通の城壁で事足りるから却下だ。まあ、公都の内部に空間を設けて、そこに大天蓋分の土を保管しておくのが無難だろうね」
「そんなことができるのか?」
「成否の程は、各分野の専門家が議論を戦わせている最中だから、それ待ちかな。まあ、マンパワーの問題なら衛士の得意分野だから、近いうちに工事が始まるだろうね。もちろん、テイルにも協力してもらったタイタンの正式量産型の配備も並行する形で進めるつもりだよ」
「いよいよ、難攻不落の要塞都市っぽくなってきたな……」
状況に合わせてすぐに出し入れ可能な大天蓋が盾なら、タイタンはさしずめ魔物を討つ槍ってところか。
そんなものが本当に実現できたら、身分や職業の区別のない健康的な日常生活から、地上はもちろん空を飛ぶ魔物の撃退まで、幅広い状況に対応できるようになるだろう。
ただ、そのためには、大天蓋造成式の時には俺の手を借りざるを得なかった、衛士兵団のさらなる精進が必要なんだろうけど。
そんなことをつらつらと考えながら、公都の景色を遠目に眺めていると、
「それなら、テイルは私に感謝するべきだろうな」
唯一のジオグラッド公国の者ではない同行者のシルエが、背後から腕を組んできた。
その、まるで恋人のような大胆な行動に反応したのは俺じゃなく、苦々しい目つきのジオだ。
「シルエ、テイルに対して少しばかり馴れ馴れしすぎはしないかい?」
「このくらいなら別にいいだろう。なにしろ、昨夜は一つ屋根の下で過ごした仲だしな」
「テイル、テイル、テイル?君ってやつは、リーナという女性がありながら……」
「ち、違う!確かにシルエは部屋にいたけど、俺は食堂で寝た!俺は無実だ!」
セリフだけ聞けば、まるで浮気男の言い訳じみていてむしろ怪しさが増してしまうかもしれないけど、事実は事実だ。
俺とシルエの間にやましいことは一つもない。
――まあ、だからといって、昨日の夜のことをあえて詳しく知ってもらおうとは思わない。
真実はいつも一つだけど、人の見方は人それぞれだから。
ちょっと説明の手間を省いただけだ。うん。
「そもそもだ。今の公都には戦力増強のために、貴族から奴隷まで身分を問わず、多くの人員が流入して来ている。さらに、ジュートノルはもちろん、公国内の各貴族領、最近じゃあガルドラ派や北部からも視察目的の使者団も続々と訪れている。当然、彼らの中にはよからぬことを企む者達もいるだろうね」
「ああ、以前、そんな説明を受けた覚えがあるな。思い出した」
「ついでに、むやみに公都の中を出歩くな、政庁に留まってほしいと言ったことも思い出してほしいものだね」
「気にするな、私は窮屈なのが嫌いなんだ」
「エルフ族の代表である君がならず者に誘拐されたり殺されては困ると言っているんだ!!」
珍しく声を荒らげるジオの気苦労はともかく。
シルエという存在の重要さに今さらながらに気づく。
きっかけは、同じく公国の客人であるドワーフ族のザグナルだ。
五千年前の災厄において、亜人族の力を借りておきながら、平和が訪れた後は恩を忘れたかのようにふるまい、あまつさえ彼らの住処を次々と奪っていったアドナイ王国。
当然、エルフ族もドワーフ族も人族との関わりを断ち、つい最近まで没交渉だったところに、ジオは同盟を持ち掛けた。
そこでどんな応酬が繰り広げられたのか、俺は知らないけど、結果的に亜人族との交流が再開して、その証としてシルエとザグナルがそれぞれの里と公都を行き来するようになった。
ただし、その代償に厳しい条件の数々が公国に突き付けられた。
その一つが、
「ザグナルと同じく、交渉役の私が死ねばエルフ族との同盟が立ち消えになるからか?そんなものは私の行動を制限する理由にはならないな」
「……こちらの要請を無視して勝手な行動をとれば、契約上の不可抗力が認められるはずだ。つまり、君の次の交渉役の派遣を願うことが可能となる」
「だが、次の交渉役をどうやって呼ぶ?同盟締結の際に、里への人族の立ち入りを禁じたことは忘れてはいないだろうな。それとも、はるか遠くから矢文でも送ってみるか?里がある森は幻術によって守られているから、狙えば狙うほど的を外すだろうな。ああ、ちなみに、幻術への干渉も侵入行為とみなすぞ」
「くっ……」
「なにより、私よりも人族に友好なエルフなど、里はもちろん世界中を捜してもいるかどうか。まあ、そんなことはお前たちが一番よく理解しているだろうがな」
「だったら、せめて場所くらいは把握させてもらえないか?さすがに居所も分からないんじゃあ、こっちも友好的な態度をとってばかりもいられなくなる」
「なら、せいぜい優秀な影護衛でも付けるんだな。私に危害が加えられないように」
……険悪だ、空気が悪すぎる。
思い当たることがないわけじゃない。というより、ありまくりだ。
具体的にはついさっき、シルエを中心として出発前に起きたある出来事なんだけど。
少なくとも、歩きながら整理できるような軽い事件じゃなかったことだけは確かだ。
それに、あの話の内容は、俺が持っている知識だけじゃ補完しきれないところも多い。
その繋がっていない断片は当事者――例えば眼の前を歩く平民に変装したジオに聞くのが一番なんだけど……
と、どこかで話しかけるタイミングはないかと今日の予定を思い出していると、
「どうしたテイル、考え事か?」
ジオに対する不敵さとは対照的な、屈託のない微笑みを浮かべたシルエが声をかけてきた。
ちなみに、絡められた腕はまだ解かれていない。
……そうだな、断片を繋ぎ合わせる作業は、何度かに分けてもいいよな。
「シルエ。シルエは、どうして俺に親切なんだ?昨日はああ言っていたけど、少なくとも、俺が人族として生まれたことに間違いはないだろう?」
「そうだな。私もそこまで否定するつもりはない。お前は人族だ」
「だったら、俺のことも憎むのが当然なんじゃないか?」
「勘違いするな。私は人族を、人族として生まれたことそのものに対して憎んでいるわけではない」
「そうなのか?」
「昨夜も言ったが、テイルが他の人族と決定的に違うところがある。お前は、私やザグナルといった亜人を蔑まない」
「それくらいなら、他にもたくさんいるだろう」
「もう一つ、お前が五千年前と同じく、ノービスの英雄たらんとしていることだ。いわば、先代が築き上げた、我らからの信頼を継承しているわけだ」
「……アイツは、そこまでのことをしたのか?」
「そこまでのことをしてくれたんだ。もっとも、私も伝え聞いただけで、里の長老たちから恩を忘れぬようにと教え込まれたに過ぎないがな」
「義理堅いんだな、エルフっていうのは」
「寿命が長いから忘れにくいだけだ。だが、忘れてはならないことは決して忘れない、恩を仇で返すことは絶対にない、それが我らの誇りだ。それに比べて――」
そう言いかけて、シルエはある方角を睨む。
その先に何があるのか、もっと言えば誰がいるのか。
さっきまで居たところである以上、疑う余地は一切なかった。
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