第324話 再訪のエルフ


 とりあえず、明日の朝までは休んでいいってことで、ジオグラッドの衛士兵団の宿舎の中にある俺の部屋まで戻ろうと、政庁がある深皿状の公都の最下層から地表近くまで歩く。

 途中、立ち寄った治療院で、良くも悪くも変化のないリーナの寝顔をしばらく眺めた後で、次第にきつくなっていくジオグラッドの傾斜を登り始める。

 すると、色々な種類の視線に遭遇した。


 自分で言うのもなんだけど、今の俺がそこそこの有名人だって自覚はある。

 公都ジオグラッドの護りの象徴である大天蓋の造成式で注目を集めたし、王都奪還の間にもけっこうな数の衛士に顔を見られて、注目を集めている。

 尊敬、羨望、好奇、警戒、懐疑。

 そのどれに反応するのも変だなと、上手くいっているかはともかく無関心を貫くことにしているけど。

 これまでと経路の違う、気になる種類の視線――嫉妬の色を見せる人がちらほらいる。

 しかも、こっちから見返してみると、決まって衛士の格好をしている。


 ジオによって祭り上げられたノービスの英雄という立場に思うところがあるなら、まだわかる。

 だけど、なんていうんだろうか、もっと個人的で直情的な、怨念に近い睨み方をされているような気がする。

 しかも、視線の割合は宿舎に近づくにつれて多くなっている。これは、ような気がする、じゃない。

 その理由は、久しぶりに帰ってきた部屋の中にあった。


「久しぶりだな、テイル。お前の部屋を借りているぞ」


 予想できたことではあった。

 ザグナルが公都にいた時点で連想することは可能だったし、あの気難しいドワーフ以上に人族嫌いの性格を思えば、例外的な存在らしい俺に会いに来ることは自然の成り行きと言える。


 ただ、扉の向こうの気配とか、そこはかとなく漂ってくる暖かくて湿った空気には、もっと気を配るべきだった。


「お、おま、おま、お前……!?」


「ああ、さすがに人族の男共と、というのは我慢ならんのでな、二日に一度ほど、ここで湯浴みをさせてもらっている」


 扉を開けた先には、石膏の女神像と見間違えるほどの肢体を惜しげもなく晒す、一糸まとわぬエルフ族のシルエが立っていた。






 角度的に絶対に見えないはずだけど、宿舎の廊下の左右をそれぞれ三度確認して、一気に噴き出してきた手汗でドアノブを滑らせながら部屋に入りつつ扉を閉じてカギをかけて。

 備え付けの魔力灯に照らされる素肌の色をできるだけ視界に入れないようにしながら移動して、ベッドの上の折り目正しく畳まれたブランケットをシルエに向けて放り投げた。


「と、とりあえず、それで隠してくれ」


「隠せとは?別にいいじゃないか、私とお前の仲だ」


「どんな仲だよ!」


 最悪だ。

 さすがに湯浴みの現場は目撃されていないだろうけど、ここはたくさんの衛士が行き交う宿舎だ。

 いくら部屋主の俺が不在とはいえ、世にも珍しいエルフ族がいれば誰の部屋に出入りしているのか、嫌でも注目される。

 俺を変な目で見てくる衛士がいるわけだ。むしろ、よく一度も問い詰められなかったものだと思う。


 それよりなにより。

 ここはリーナと一夜を共にした、思い出の場所でもある。

 そんなところで、種族が違うとはいえ女性の裸を見てしまうと、まるで浮気をしているような気分になってしまう。とにかく、罪悪感がすごい。心の底から勘弁してほしい。



 ――とはいえ、


「とにかく、服を着たら出て行ってくれないか。変な噂をされたら困るんだ」


「なんだ、服を着たら追い出されるのか。だとしたら、このままでいるしかないな」


「……わかった。追い出さないから、頼むから服を着てくれ」


 なぜか、被害者のはずの俺の方が譲歩させられているけど、リーナ以外の女性を部屋に連れ込んでいかがわしいことをしている、なんて思われるよりはまだましだ。


 ……状況的には手遅れかもしれないけど。


「まったく、お堅い奴だな。据え膳食わぬは男の恥、と人族では言うのだろう、この状況は」


「それは一部の独身男だけだ、俺には目の毒だよ……」


「そうか、ならば服を着るとするか」


 これまでの言動から察するに、どうやらシルエは俺に色仕掛けをしてきたらしい。

 どうしてこんなことをしたのか、その理由はともかく、素直に言うことを聞いてくれてよかった。

 危うく、またお兄さんの拳が飛んでくるところだった。


「終わったぞ」


「――って、まだ裸じゃないか!?せめてブランケットくらい羽織ってくれよ!」


「なに、私がからかっていると思われては不本意だからな」


「不本意?」


 シルエを視界に入れまいとした俺の背中に、柔らかくて程よい熱を持った何かが圧し掛かる。

 後ろから両腕を回されて、首を中心に浅く抱き着かれる形になってもなお、振りほどく気になれない。

 耳元でささやく中性的なその声に、下心じゃない別のなにかを感じたからだ。


「ここでお前を待っていたのは、そろそろ頃合いだと思ったからだ、テイル」


「こ、頃合いって、なんの?」


「私達の里に来ないか、という勧誘だ」


 思いがけない言葉に振り返ると、まだうっすらと湯気を立ち昇らせているシルエの微笑む顔が目の前にあった。

 まだ、両腕は首に回されたままだ。


「聞いたぞ。王都で大きな戦いがあったそうだな。詳しくは知らないが、知るまでもなく分かる。


 ――醜かっただろう。

 ――愚かだっただろう。

 ――浅ましかっただろう。


 人族でいることに嫌気が差しただろう?」


「そんなことは……」


 ない。

 と、言えなかった。


 ノービスの英雄を殺して、その死体を五千年もの間利用、あるいは悪用してきたアドナイ王家。

 リーナばかりか不死神軍すらその手にしようとして、欲望が留まることを知らなかったレオン。

 アンデッドを滅ぼすためと称して、同じ人族を殺すことも厭わなかった神聖帝国。


 知ったつもりだったけど、見てはいなかった。直視していなかった。

 なにより、この戦いの果てに待っているものが、五千年前の悲劇の再現かもしれないということを。


「それが人族の本質だ。大地を汚し、水を汚し、森を汚し、山を汚し。それでも飽き足らず他の種族を踏みつけにし、最後には同胞と殺し合い、神の怒りに触れた。それでもなお悔い改めない人族に、お前が命を懸ける必要がどこにある?」


「お、俺だって、人族だ」


「確かにそうだな。だが、私から見れば少し違う」


「ち、違わない……」


「いいや、違う。五千年前、私達を友と呼び、共に戦い、種族の壁を越えた世を共に築こうと誓い合った同志――ノービスの英雄の後継者、それがお前だ」


「……」


「それは俺のことじゃない、という顔をしているな。だが、これまでのお前の行いは五千年前をなぞるようだ。欲も保身もなく、人族の未来を信じてたった一人で戦い続けている」


「一人じゃない。ジオやリーナ、リーナのお兄さんやレナートさん、衛士の人達、それに魔物とは戦えない人達も一緒に戦ってくれている。だから、俺がアイツのようになることなんてない」


「信じるものがあることはいいことだが、お前は重要なことを忘れている。命とは散るものだ。特に、人族は簡単に死ぬし、簡単に死に急ぐ」


「俺達が死にに行っているっていうのか!!」


 聞き捨てならないセリフに抗う。だけど、シルエの薄い笑みは崩れない。

 まるで、未来を見透かしているかのように。


「災厄を乗り越えるには命を懸けなければならない、それは真理だ。そして、公王ジオグラルドはそのことをよく理解している。だが、奴とお前は違う」


「違わない!!」


「違う。そう遠くないうちに、お前たちは実感することになる。テイル、お前は他者との違いを、ジオグラルドは己の無謀さを」


 そう断言したシルエは俺から離れると、部屋の中を見回した後で言った。


「ところで、寝床が一つしかないな。よし、同衾するか」


 直後、俺が崩れ落ちたのは、言い負かされたからでも、未だに服を着ようとしないシルエの均整の取れた肢体を見ないようにしたかったからだ。

 そういうことにしておこう。

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