第306話 歩くことのない道


 夢を見ていた。

 例のごとく夢の中にはソレがいるけど、周囲の光景はいつもの祭壇じゃなく、ただの無だ。その中に、ソレの姿だけが鮮明に映っている。


 ――いや、ちがう。

 もう一人、あるいはもう一柱、と言っていいのかわからないけど、ソレと向かい合っている何かがいる。

 そうと認識して初めて、その姿が見えた。


 山羊か、羊か、獣の形をしている。

 だけど、闇の中で立つ足は四対八本もあって、それだけでただならないものを感じさせる。

 顔がよく見えないと思って目を凝らしてみると、なぜかヴェールがかかっていて中身をうかがい知ることはできない。

 そしてなにより。

 この世のものではない証として、明らかに身の丈に合わない長大な角が頭部に一対。

 歪むわけでもなく捻じれるわけでもなく、地平線のような美しい弧を描いた角が左右に伸びている。

 その角が、頭と連動してゆっくりと揺れた時、何かとても見てはいけないものを目にした気がした。


「テイル、楽にしていいよ」


 気づけば、異形の獣は姿を消していて、俺はいつもの祭壇の前で腰を抜かしていた。


「その反応は正しい。至高の一柱を前にして蛮勇や反感を見せることの愚かさを、君はよく理解している」


「至高の一柱?」


「あれが不死神だよ」


 ソレが言った瞬間、全身の震えが止まらなくなった。

 あれは、あんなものは人族ごときが見ていいものじゃない、そう直感したからだ。

 不死神を見ていた間、俺は息をしていただろうか、胸の鼓動は鳴っていただろうか、そもそも生きていただろうか?

 実感はない。


 同時に、不死神を見せたソレに、俺が味わった恐怖の万分の一でも伝われとばかりに睨みつけてみると、


「時にテイル、君には彼のどちら側が見えた?」


「どっち?」


「右側面か、左側面か、深い意味はないよ」


「えっと、確か……左側だったような」


「そうか。おめでとう、君は死に魅入られることはなかった。今のところは」


「どういうことだ?ちゃんと説明しろ」


 ますまず話が分からなくなっていくソレを、今度はポーズじゃない苛立ちを込めて言うと、思いもよらない答えが返ってきた。


「不死神は生命を司り、その中心に座す存在。全ての存在は彼の全貌を知ることはできない。命を許される者は左方に、死を賜る者は右方に位置しなければならない」


「……じゃあもし、俺が不死神の右側を見ていたら?」


「二度と夢から目覚めることはなかった。そう断言する」


 そんな呆気なくて理不尽な最期があってたまるか、と言おうとしたところで、さっきの嫌な予感――不死神の体の向きが変わろうとした時のことを思い出した。

 今ならわかる。あの時感じたのは、死の予感だった。


「まあ、右側が見えたからと言っても、最悪ってわけじゃない。そこは安心していい」


「安心って――死ぬより、大事な人と別れることよりつらいことなんてないだろう」


「不死神の左方でも右方でもなく、後方を見た者は、例外なく彼の神の眷属になる」


「眷属って?」


「アンデッドやリッチになって、聖術士に消滅させられるまで現世と幽世の狭間をさまようんだよ」


「最悪じゃないか……」


「違うな。最悪は、不死神と正面切って向かい合った時だよ」


「その時は、どうなるんだ?」


「神になる」


「神?……色々な疑問は置いておくとして、それが最悪なのか?」


「人による、いや、神によるというべきか。例えば、あそこを見てみるといい」


 ソレが指差した方を見ると、祭壇からまた暗闇に戻った空間に、二つの影があった。

 一つは見覚えがある。オーガにそっくりな一柱、戦士神だ。

 もう一方は初見だけど、ボロボロの貫頭衣に粗末な木の棒、手には枷まで嵌められていた。


「あれは……」


「戦士神だよ」


「そっちはわかっているよ」


「そっちもだ。他に呼び名はない。あえて言えば、戦奴神とでもいうべき隷属神だよ」


「隷属神……?」


「上位神の代わりに、該当の種族の代表者を神の座に上げ、同族に限り低ランクの加護を授ける役目を負った者のことだよ」


「いや、だって、あの姿は……それだけじゃない、あの顔には見覚えがある、あるけど、まさか……」


「一体いつからなのか定かではないが、少なくとも五千年前から、人族は戦士神に嫌われていたようだ。そこへ、どんな夢を見ていたのか知らないが、あの男がのこのこと神の座に上がってきた。二度と生まれ変わることも、そもそも上位神の許しなくして勝手に死ぬことすらできないというのに、ただの使い走りになる道を選んだ」


「神っていうから、誰も彼も好き勝手にやっているんだと思っていたけど……」


「隷属神に限って、それはあり得ない。中には、上位神に仕えることに至上の喜びを覚える者もいるが、人族出身でそんな奴はまずいない」


 そう言いながら示した指を次々と動かすソレ。

 杖を持つ神、虚無のマントにとんがり帽子の神、細長い手足で蜘蛛のように這いまわる神。

 そのいずれにも、みすぼらしい姿の隷属神が従っていて、全員が人族だった。

 そして、見覚えのある顔だった。


「神々だって愚かじゃない。ただ人族というだけで永遠の責め苦を科したりはしない。だが、滅びの歴史を繰り返す新たな人族の基礎を作った奴ら自身が望めば、神々も相応の席を用意するというものだ。人族の頂点を極めながら人族を見下したいなど、分を弁えない欲望を叶えたんだ、神々の奴隷という役目も本望だろう」


「……人族の、欲望」


 あんなものが、仲間を利用して、裏切って、殺して、遺体さえも利用して、それでも獲得したかったものなんだろうか。

 災厄を生き抜いた先に望んだ姿だったんだろうか。

 答えは出ない。出るわけがない。彼らは神の座に上がって、永遠を手に入れてしまったんだから。


「これは忠告だ、テイル。どんな苦境に陥ったとしても、どんな悲劇に見舞われたとしても、決して神に加護以上のものを願ってはいけない。大抵の奴は誰からも見向きもされずに終わるが、ごくまれに奇跡が起こる場合がある。そうなればもう後戻りはできない。人族を救えても、君一人だけが救われない結末が待っている」


「そ、そんな力、俺が望むわけないじゃないか」


 そうだ。俺が欲しいのは普通の暮らしだ。

 ターシャさんと、ダンさんと、ティアと、ルミルと、リーナと。

 白いうさぎ亭を経営して、毎日料理を作って、常連を迎えて、たまにジョルクさんたちやリーゼルさんやお兄さんやジオを招待して。

 そうやって何でもない何よりの日々を生きていく。


 あんなこと、そう滅多に起こるわけが――


「不死神は僕に告げていったよ。今回は災厄から手を引くと」


「え……?」


「理由は二つ。今回新たに生み出した眷属があらかた狩られてしまい、唯一の術者もこれ以上動く気がなさそうなこと」


 無限にいるとすら思えた不死神軍は、聖術爆撃とドラゴンブレスでほぼ全滅。

 死霊術士のワーテイルも、公国軍で確保済みだ。

 事実上、アンデッドの脅威は去ったことになる。


「そして、もはやあえて手を出す必要がなくなったから、だそうだ」


「必要がない、だって?」


「気づかないふりは無しだ、テイル。この先は、ドラゴンが人族を滅ぼしに来るという意味だ」


「だ、だって、レナートさんですらあんなことになって、なんとか凌いだけどたくさんの人が死んで――」


「そんなことは関係ない。ドラゴンにはドラゴンの論理があり、人族の意思など歯牙にもかけない。方法はただ一つ、ドラゴンが留飲を下げるまで耐え続けることだ」


「そんなことが可能なのか?」


「全体のことは、あの無礼な男が考えるだろう。そのための材料は揃っているはずだ。テイル、君の役目は、決して諦めないことだ」


「諦めない?ドラゴンに勝つことを?」


「全てをだ。勝利も、居場所も、自分自身も――」


 そこで、意識は途切れた。






 目を覚ました馬車の中。


 ――覚えている。

 ジオの厚意で、一足先にジオグラッド公国に戻る士官用馬車を一台都合してもらって、眠ったままのリーナをソファに寝かせて向かいに座り込んで。

 緊張の糸が切れたらしく急激な眠気に襲われて、そのまま気を失った。


 夢の中の出来事を思い出そうとして、やめる。

 さすがに、俺一人で抱えきれる内容じゃなかったし、相談できる人も限られる。

 レナートさんは重傷を負い、ガーネットさんはいなくなって、ジオはリーゼルさんと一緒に戦後処理のために公国軍本陣に残っている。

 残るは――そう考えて眠るリーナを見たところで、選択肢を消した。

 迷ったんじゃない。これ以上リーナを巻き込めないと思ったからだ。


 ドラゴン。究極の生命。

 人族の身で戦うことなど不可能で、ブレスは建物ごと焼き尽くし、そもそも空高く飛ぶ本体を攻撃する手段さえ覚束ない。

 俺がブレスを防げたのは、突き詰めてしまえば偶然に偶然を重ねた結果だ。

 少なくとも、他人に真似できる代物じゃない。

これで、どうやってすべてのドラゴンに対抗できるんだろうか。


 ――今はやめよう。俺一人で考えてもろくなことが浮かばない。

 この状況ですら、幸運という言葉じゃ語り尽くせない奇跡なんだから。


 一つ、深く深く息を吸い込んで、吐いて。

 頭の中を空っぽにして、安らかに眠るリーナの顔をいつまでも眺め続けた。


 馬車は街道を行く。

 歩かない俺達を乗せて。

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