第305話 王都の空


 腕の中のガーネットさん。

 その体は小さく縮み、肌の潤いは失われ、髪も白くなっている。

 姿形は紛れもなくミザリー大司教そのもの。だけど、ここまでの怒涛の展開も相まって全然現実味が湧かない。

 命を引き換えにする死者蘇生術?若返りの秘法?

 全く頭が追いついていない状況で、それでも気持ちだけはついていかないといけない。

 一つだけ確かなこと――ミザリー大司教の最期の時がすぐそこまで迫っているんだから。


「どうして、どうしてこんなことを?」


 こんな言い方が正しいのかどうか、迷う暇もなく吐き出した本音。

 リーナの命を助けてもらっておきながら何て言い草だ、と自分でも思うけど。

 人の命を助けるためにあなたの命をください、なんていう奴がいるとしたら、そいつこそ命を捨てるべきだと、俺は思う。

 人は誰かの支えがあってこそ生きていけるものだけど、それは死を意味するものじゃ決してない。そう信じている。

 だからこそ、聖女のように自分の命を投げ出したミザリー大司教に聞かずにはいられなかった。


「ふふ、さて、どうしてでしょうね」


 もう隠しておく必要がなくなったからだろう、その言葉にガーネットさんの名残りはない。

 それでも、あの姿が若返りの秘法の効果だったとしたら、さすがに本人じゃなくても家族親類縁者くらいに連想してもよさそうなものだ。

 それが無かったっていうことは、いかにガーネットさんという『演技』が真に迫っていたかという証明になる。

 だからこそ、理由を聞かずにいられない。


「最初は、ただテイルさんたちの助っ人として参加するだけのつもりだったんですよ。アンデッドの大軍――その中心に飛び込む以上は聖術士の参加が不可欠。そして、年齢や身分を踏まえた上で、実力的に一番の適任が私だった、それだけのことなのよ」


「だったら、別に正体を隠さなくっても良かったんじゃ」


「そこが年寄りの――聖職者の厄介なところでね、四神教を裏切ってジオグラッド公国についた私が無闇に動いたと思われると、各方面に要らぬ誤解を生んでしまいかねなかったの。そこで、若返りの秘術を用いてもう一つの私を使うことにしたのよ」


「それが、ガーネットさん……」


「けっこう美人だったでしょう?代償として、寿命を少し持っていかれるから、本当に必要な時以外は使えないのだけれど」


「……寿命を削って、命を失って、それが全部俺達のためにやってくれたことで、こんなの、どうやって恩返ししたらいいんですか……!?」


 ミザリー大司教の体が冷たい。

 こうやって人肌で温め続ければもしかしたら、と淡い希望を抱いていたけど、体温を取り戻す兆候は全くない。

 それならファーストエイドで、とも思ったけど、そもそも初級治癒術は単純な傷や病を治すのが精いっぱいで、今のミザリー大司教に使ったら逆に悪影響が出かねない。そう考えると、どうしても躊躇してしまう。


 なす術もなく俯くしかない、そんな俺の頬に、そっと手が差し伸べられた。


「本当のことを言ってしまえば、蘇生の秘術を使うつもりはなかったのよ。そもそも、そんな事態すら想定していなかった。千や二千のアンデッドなら苦も無く滅ぼせる自信があったし、ドラゴンブレス程度なら、レナート殿の守りが無くてもなんとかできる目算はあった。それでも手に余るようなことがあれば、非情な決断を下すつもりでもいた。けれど、つい頭に浮かべてしまったの」


「なにがですか?」


「この先、何年何十年と、テイルさんとリーナ様が二人仲良く人生を歩んでいく光景を。やがて新しい家族ができて、子供たちと幸せそうに災厄の後の世界を生きていく姿を。そう思ったらもう止まらなかった――と言ったら、テイルさんは信じてくれるかしら?」


「……信じます。この先、誰に何を言われても信じます」


「四神教の信徒として多くの人々を癒してきたけれど、それ以上に『八輝杖』の一人として、多くの命をこの手にかけてきたわ。そのほとんどはアンデッドで、全てはアドナイ国教会のためだったけれど、家族にとっては不死の魔物かどうかなんて関係ない。それでも、この罪と使命に殉じる覚悟はできていたし、ジオグラッド公国に仕えるようになってからも、それは変わらなかった」


「……」


「けれど、最後に我がままを通したくなってしまったの。王の命の予備として居続けるのではなく、ありふれた恋人同士を繋ぎとめる行為に、何にも代えがたい尊さを見出した」


「尊い?俺とリーナが?」


「そう。そして、蘇生の秘術を行使した今も、私は後悔していないわ。だから、最後にそんな顔はしないでもらいたいの」


 ――どんな顔だろう?

 わかっている。多分俺は、今まで生きてきた中で一番みっともない顔をしている。

 視界は滲んでいるし、鼻水は止まらないし、嗚咽が止まらない。

 聖職者の無私の奉仕、なんていえば聞こえはいいけど、本当に目の当りにしたらとても平静じゃいられない。

 悲しんじゃいけない。だけど、喜んでもいけない。

 そんな迷い続ける俺に、ミザリー大司教は道を指し示してくれた。


「さあテイルさん、そろそろ、後ろで待機している御方に席を譲ってくれないかしら。事が事なだけに大人しくしてくれていたみたいだけれど、もう限界のようだから。そして、テイルさんの大切な人のところに行ってあげて。蘇生の秘術は成功したと思うけれど、今は幽世と現世の狭間をさ迷っている最中でしょうから、その手を優しく握って、帰るべき場所を教えてあげてちょうだい」


「……ありがとう、ありがとうございました!!」


 最後に、万感の思いを込めてお礼を言った後で、すぐ横に跪いたジオにミザリー大司教の体を慎重に預ける。

 そして、言われたとおりに脇目も振らず、介抱していた騎士達が下がるのと入れ替わりにリーナの体に取り付いてその両手を握りしめる。


 ゆっくりと、だけど確実に体温を取り戻していくリーナの指先に、違う涙が溢れた。






「……テイル?」


「おはよう、リーナ」


「そうだわ、私、気を失って――ドラゴンは、ドラゴンはどうなったの?」


「大丈夫。なんとか追い払ったよ」


「……ごめんなさい」


「いきなりどうしたんだ?」


「私、足手まといにしかなっていない。あんな啖呵を切ってついてきたのに、役に立たなかった……」


「そんなことない。さっきだって、危険を顧みずに俺を庇ってくれたじゃないか。リーナは役に立ってくれた、俺を守ってくれたよ」


「違う、違うの。私はもっと、もっとテイルを……」


「みんなわかっているよ。せっかく生き残ったんだ、今はそのことだけで十分だろう?」


「そうよね、じゃあ、一つだけわがままを言わせて」


「なんだ?」


「さっきからずっと眠いの。だから少しだけ――」


「皆まで言わなくてもいいよ。おやすみ、リーナ」


「おやすみ、テイル……」






 腕の中で、静かに、だけど確かに吐息を立てるリーナの髪をなでる。

 呼吸一つ聞こえるだけで、ここまで安心できるものなのか。

 そう思いながらリーナの寝顔を見ていると、


「その様子だと、リーナは心配なさそうだね」


「……ミザリー大司教は?」


「さっき旅立ったよ」


 声のした方に振り返ると、妙にさっぱりとした表情のジオが、白陽宮があった方に視線を向けていた。


「なんだいテイル、そんな不思議そうな顔をして」


「いや、さっきから頭の片隅で、どう謝ったものかって考えていたから」


「話がよく見えないけれど、謝罪なんて僕とテイルの間柄に今さらだよ」


「親代わりみたいなものだったんだろう?ミザリー大司教は」


 ジオの命令か、護衛騎士達は離れた位置に立っていて、実質俺との二人きりの状況。

 こんな状況でもないとこんなことは聞けないと判断して、あえて傷口をえぐるようなことを聞いてみる。

 近しい人の死に動じていないその態度に、少なからず腹が立っていたのもある。


 果たして、ジオは、


「まあね。だからこそ、みっともない姿を晒せないんだよ。なにより、あんな安らかな顔で逝かれたら泣くに泣けないものさ」


「公王として、弱いところを見せるわけにはいかないってことか?」


「そういうことだよ」


 東の空が、いつの間にかに白み始めている。

 この光景を見られたことが、人族の未来を暗示していたらよかったんだけど、現実は違う。


 戦場の後始末。レオンや王太子エドルザルド、ルイヴラルドの死の扱い。ドラゴン。

 考えなければ、行動しなければならないことが山積みで、問題の重さはむしろ増したといえる。

 その問題を背負える数少ない人物が、ただ一人残った王子であるジオだ。

 ジオの双肩にアドナイ王国中の人族の命がかかっているといっても過言じゃない。


「それに、僕だって泣くときは泣くものさ」


「そうなのか?」


「以前だったら、その辺で人目もはばからず号泣していたかもしれないけれどね、今の僕には帰るべき場所、本音を吐き出せる愛する人がいる」


「……セレスさんって、その辺は厳しそうに見えるけどな」


「そうでもないよ。二人きりの時は甘々でラブラブさ」


「その発言だけは許してもらえなさそうだ」


「その答え合わせはジュートノルに帰ってからということにして――テイルは少しの間、リーナを寝かせてあげてくれ。時を見計らって、迎えの人員を寄越すから」


「ジオは?」


「僕はこれから、頭の痛い報告の数々を聞き流す役目だよ」


「聞き流すだけかよ」


「僕は象徴、実務は役人。それで世の中は回るのさ」


 そう嘯いて、護衛騎士にミザリー大司教の体を運ばせながら、ジオは去って行った。


 あとに残ったのは、俺とリーナの二人きり。

 ドラゴンブレスによって瘴気が吹き飛ばされて、清浄な空気が戻った王都の空が、皮肉なほどに鮮烈な朝日を迎えようとしていた。

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