第304話 リーナ 下


 リーナの体を挟んで、俺と向かい合うガーネットさん。

 下がっていてくれという無言の眼差しに一瞬躊躇ったけど、黙って席を譲る。

 そうしてゆっくりとジオの隣まで下がったところで、ガーネットさんが手にしている杖を傍らに置き、両の指を組んで一心不乱に祈り始めた。


「テイル、しっかりと見届けるんだ」


「無理だ、もしリーナが生き返らなかったら、って考えたら、とても見ていられない」


 死者の蘇生。

 それがどれほど難しいことなのか、実のところ俺もよく知らない。

 知っているのは、冒険者学校で教えてくれないほど難しい『奇跡』だって程度だ。

 そのくらい、途方もないことが起きようとしている。

 もしくは、


「テイルが不安になる気持ちも分からないじゃあない。死者蘇生の儀式はそれ自体が四神教及び各国の最重要秘匿事項であると同時に、平民への最大の示威行為でもある。要は、王宮や教会への求心力維持に蘇生術を利用しているってわけだ」


 実際、その手の話なら何度も聞いたことがある。


 病気に苦しんだ末に亡くなった貴族令嬢が生き返ったとか。

 不慮の事故で帰らぬ人になった騎士に奇跡が起きたとか。

 他国の陰謀で死の呪いを受けた王子がこの世に舞い戻ったとか。


 だけど、話はあくまで噂の域を出ない。

 生き返った貴族令嬢も、奇跡が起きた騎士も、この世に舞い戻った王子も、全てがおとぎ話のようにはるか遠くの住人であって、俺のような平民は真偽のほどを知る術すらない。

 どちらかというと、貴族令嬢は仮病だったとか、騎士には影武者がいたとか、王子には双子の弟がいたとか、そんな種も仕掛けもある芝居のト書きもどきのオチがつくことがほとんどだ。


 いつもなら、そんな話を冗談交じりに話して聞かせるところだけど。

 今は、今だけはそんな気分になれない。


 そんな風に口を閉ざす俺の心境なんてお見通しなんだろう。

 ジオは語る。いつもより饒舌に。


「もちろん、平民の間じゃあ死者蘇生を疑ってかかる者も少なくないことは僕も知っている。当然だ、世の理を根底からひっくり返す神の加護はあまりに実例が少なく、またそれを行使できる機会も非常に限られている。けれど、それは決して奇跡の出し惜しみをしているからじゃあない。そうせざるを得ない事情があるからだ」


「どういうことだ?」


「死者蘇生の術はね、治癒術士のジョブを極めたところで会得できないからだよ」


「え……?」


 その時。

 祈りを捧げているガーネットさんの体が光を帯び始めた。

 たぶん、死者蘇生の儀式が始まったんだろう――そう思って、違和感を覚えた。


「光の色が……」


「治癒神の貴色は白。けれど、死者蘇生の力を示す色は赤――至高の一柱たる不死神の貴色だ」


「ちょっと待った、待ってくれ――不死神?あの?」


「あのアンデッドの親玉、って言いたいんだろうけれど、それは大きな誤解だよ。誤解というより、認識不足と言うべきかな」


「認識不足?」


「生と死の均衡を量る天秤を携え、現世と幽世を支配する不滅の神。その加護は命の彼岸を超え、ある者には理不尽な終焉を与え、ある者には復活の奇跡をもたらす」


「つまり、アンデッド化も蘇生も、同じ神の加護ってことか?」


 祈り続けるガーネットさんに宿る、赤い光。

 ジオの話を聞いてしまったせいか、今は尊さよりも怖さの方が勝ってしまっている。


「四神教において、死者蘇生の術は実力はもちろんのこと、司教以上の推薦と総本山からの承認なくして会得を許されない。また、術者の存在は徹底的に秘匿され、アドナイ国教会内で知る者は上層部の極一部に限られる」


「じゃあ、ジオも知らなかったのか?」


「僕みたいな王族のはみ出し者が知っていたのはせいぜい噂程度さ。知っているのは国王と王太子のみ。その理由は、彼らこそが死者蘇生術の対象者だからだ」


「国王と王太子が?」


「考えてみれば当然の話さ。人族の世界において何を差し置いても保護されるべきは、もっとも尊い貴種――つまり各国の王とその直系だ。果たしてアドナイ王国に何人の術者がいたのか、王都陥落で多くの高位聖職者が犠牲になったことで把握する方法は失われてしまったけれど、幸運にも僕はその一人と接触することに成功した」


「それが、ガーネットさん……」


「といっても、証拠は自己申告のみで確証はなかった。彼女が四神教アドナイ国教会特務機関、通称『八輝杖』の一員であることは僕も掴んでいたけれど、そこまでの重要人物だとは思わなかった。さきほど、リーナの蘇生を申し出てくるまではね」


 推測は立つ。

 王都陥落のきっかけとして国王が討たれた上に、アンデッドに支配された王都に近づくことすらできなかった状況。

 ガーネットさんは対象者を失った蘇生術の扱いを考えたあげく、ジオグラッド公国を治めるジオのところに身を寄せたんだろう。

 不敬罪を覚悟の上で言えば、曲がりなりにも公国は国の一つ。解釈の幅が大きすぎる気もするけど、前マクシミリアン公爵をあっさりと捨て駒にした王太子エドルザルドにに仕えたいかと考えると、納得もできる。


「でも、蘇生術がそこまで大変な代物だっていうんなら、なおさらおかしいだろう。……なんでガーネットさんは、リーナのためにそこまでしてくれるんだ?」


「人族全体のことを考えてのことさ」


 本当に、本当に俺だけは言うべきじゃないセリフを、あえてジオにぶつける。

 なんて恩知らずだと自分でも思うけど、同時に決して避けて通れない疑問でもあったからだ。

 果たして、ジオは言った。残酷にも容赦のない理由を。


「さっきも言っただろう、この先、まだまだテイルの力が必要なんだって。本格的なドラゴンの参戦が必至な以上、既存の軍では絶対に太刀打ちできない。その事実を、先ほど嫌というほど見せつけられた」


「……ジオ、何があったんだ?」


「余計な話をしたね。僕達の方で起きたことは後で説明するよ。――内実はともかく、ドラゴンを退けたのはテイルの力だ。少なくとも、表面上はそう見えたのは客観的な事実で、噂が広まればノービスの英雄の名はさらに高まるだろう。けれど、リーナを失って失意の底に沈むテイルの姿が世に喧伝されれば、アドナイ王国内の災厄に立ち向かう意志が根本から崩れかねない。だからガーネットは、いざという時に僕を救う義務を放棄してまで、テイルの大事な人であるリーナを蘇生させる選択をしたんだ」


 その時、祈りを捧げ続けているガーネットさんに変化が起きた。

 不死神の加護の証である赤い光が、ガーネットさんからリーナに移り始めたのだ。


「そしてテイル、これが最も大事な話だ。心して聞いてくれ」


「な、なんだよ、今さら改まって」


「不死神の天秤は常に公平。幽世から現世に命を移せば、等価交換として現世の命を幽世に送らなければならない。これはガーネットからの又聞きだけれど、蘇生術の神髄とは術者の命を引き換えに死者の命を取り戻すことだ」


「それって、じゃあまさか、ガーネットさんは……!?」


 知った時にはもう遅かった。

 ガーネットさんからリーナに移る赤い光が命そのものだとしたら、例えば俺が邪魔して中断させたらどんな結果を生むのか、そう考えただけで手出しなんか絶対にできない。それこそ、死んでもだ。

 どんな顔をしていいのかわからずうつむきかけた俺の顔を、ジオが髪を掴んで強制的に引き起こした。


「テイル、話はまだ終わっていない。特務機関『八輝杖』の構成員は全員、カモフラージュのために表向きの役職を有している。また、教会内に伝わる秘術を駆使して外見を変えるらしい。その手段は様々だけれど、もっとも使われているのが若返りの秘法だ」


「若返り……?」


 ジオの言葉を理解するよりも先に、現実が追いついた。

 赤い光が全てリーナに移った瞬間、祈りを捧げていたガーネットさんの体が崩れ落ちた。

 ジオの方を見て止められる気配がないと一瞬で確認して、ガーネットさんに駆け寄る。


「ガーネットさん!!」


 リーナが生き返っているかどうか、まだ確かめたわけじゃない。

 それでも、リーナを救おうとしてくれたガーネットさんを助け起こして無事を確かめようとして、


 その生気を失った顔――見覚えのある別人の顔に絶句した。


「あら、若い殿方の腕に抱かれるのなんて、何十年ぶりかしら」


「ミ、ミザリー大司教……?」


 多くの信者を救い導いてきたはずの年季の入った手を、横抱きにしている俺の手に重ね合わせてきたのは、ジオグラッドにいるとばかり思っていたミザリー大司教だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る