第303話 リーナ 上


 体が勝手に動き出す。

 瓦礫が手のひらに突き刺さる痛みを無視して、四つん這いのままリーナのところに向かいながら、頭の中では全然別のことを考えて――思い出していた。


 あの夜のことだ。






「ねえテイル、自分が死んだ後のことを考えたことってある?」


「いきなりなんだよ」


 初体験の勢いに任せて数えるのも忘れるほど夢中で体を重ね合って。

 その合間の睦み言の中で出てきた話題だ。


「私ね、お姉様がいるのよ」


「それって、血がつながっていない女性同士が永遠の秘密の契りを結ぶ的な?」


「血がつながっている女性の方よ」


「そんな話、聞いたことあったかな……?」


「お兄様とは二つ違いで、早くに亡くなられたお母様に生き写しの、綺麗な人だったわ。年の離れた私のことも良く可愛がってくれた」


 一つのブランケットを分け合いながら、触れそうな距離でそう語る、懐かし気なリーナ。

 その声に、親しさよりも少し遠いものを感じる。


「家柄もあって、見合い話は引く手数多だったみたい。それをお父様とお兄様とで吟味に吟味を重ねて。とある大貴族家の嫡男との婚約が決まって、明日はお披露目という夜に、お姉様は突然自害なされたの」


「え……!?」


「自室で見つかった遺書を要約すると『代々屋敷に仕えている庭師の若者と恋に落ちたけれど、身分が違い過ぎて絶対に結婚することはできない。それならせめて同じ時に死んで来世で結ばれましょうと約束して別れた。先立つ不孝をお許しください』という文面だったそうよ」


「じゃあ、相手の男も……」


「その日のうちに、行方知れずになったそうよ。きっと、どこか遺体が発見されないところで自殺して、家族に迷惑が掛からないようにしたのね」


「そんなことが……」


「まあ、嘘なんだけれどね」


「嘘なのかよ」


 この時の俺の反応は、担がれた気持ちと何か理由があるんだろうって気持ちが、半々くらい。

 普段ならもうちょっと驚くと思うけど、距離が近いせいか、リーナの考えが流れ込んできている気がする。


「遺書が見つかったことと、若者が失踪したことは本当。もちろん、二人が恋に落ちていたこともね」


「じゃあ、いや、だとすると……」


「駆け落ちよ。それも親公認のね」


「駆け落ちだろう、親公認なんてあり得るのか?」


「もちろん、最初から手を貸していたわけじゃないわよ、お父様もお兄様も。けれど、駆け落ちに協力してくれなければ本当に死ぬ、と脅されてしぶしぶ、といった感じだったらしいわ」


「なんていうか、すごい人なんだな」


「隠蔽工作の筋書きまで用意していたっていうんだから、相当に用意周到よね。教えてくれたお兄様も言っていたわ、妹がもしも男子だったら、次期当主の座に就いたのは自分じゃなかっただろう、って」


「ふうん。それで、リーナのお姉さんと旦那さんは今、どこでどうしているんだ?」


「相手の親戚を頼って、とある地方の街で元気に暮らしているそうよ」


「誰か、会いに行ったことはないのか?」


「まさか。万が一にも、お姉様の顔を知っている人に一緒にいるところを見られたら、マクシミリアン公爵家だけの問題じゃ済まなくなるもの。時々、とある筋に依頼して近況を確認しているだけよ。今も、元気にやっているみたい」


「貴族の恋愛も大変だな」


「なにを他人事みたいに言っているのよ」


 そう言って、リーナがにじり寄ってくる。

 元々、手を伸ばさなくても触れ合える距離しかなかったので、唇に触れる柔らかい感触を少しの間お互いに愉しんだ後、


「私が言いたいのはね、マクシミリアン公爵家の女は簡単に諦めないってことよ。特に、色恋に関してはね」


「それは、十分に身に染みているよ」


「思えば、私が家を出たのはお姉様のことが関係していたかもしれない。ああ、真実を知ったのは最近のことよ。参考にしたのは、お姉様の命を懸けた覚悟の方よ」


「わかっているよ」


「だから覚悟してね、テイル」


「なにを?」


「テイルが死ぬようなことがあったら、私も生き続けるつもりはないってこと。それも、お姉様のように自害するんじゃなくって、一匹でも多くの魔物を道連れに、壮絶に死んでやるんだから」






 眠るように横たわっているリーナの頭の下に太ももを差し込み、壊れ物を扱うように両腕で抱いて、頬を撫で続けている。

 

 もう夜だろうか、当たりは真っ暗だけど、視覚を強化すれば星明りだけで十分にリーナの顔が見える。

 周囲には誰もいない。何度か声をかけられたり肩を叩かれた気はしたけど、よく覚えていない。

 そんなことより、もっと大事なことがある。


 リーナの肌は、あれだけの戦いがあったにもかかわらず傷一つなく、柔らかくてすべすべしていて、本当に眠っているようにしか見えない。

 むしろ、傷だらけの俺の手から流れる血で汚してしまっているから、あとで怒られるかもしれない。

 もしかしたら目覚めてくれるんじゃないか、どこかからガーネットさんが隠れて見ていて、実は生きていましたなんて二人で言いながら面食らう俺を見て笑うんじゃないかと、どこかで思っている。


 なんて、嘘だ。


 リーナは目覚めない。

 ガーネットさんが、あんな趣味の悪い冗談を言うはずがない。

 毒を受けたリーナを放って、誰もいなくなるはずがない。

 リーナの側に居るのに、こんなに何もかもを壊したくて、何もかもがどうでもよくなるはずがない。


 ここから離れたその時が、リーナとの別れの時だ。

 葬式に参加できる気がしない。リーナの体が冷たい土の下に埋められるところなんて見ていられない。

 リーナと、もっとずっと一緒にいられると思っていた。

 なんだかんだで上手くいって、みんなで仲良く暮らしていけると思っていた。

 そんな虫のいい話が、本気で叶えられると思っていた。


 リーナが目覚めてくれるなら、どんなことでもする。

 ドラゴンだって倒してやるし、人族も救ってやる。

 逆に人族の敵に回ってもいい。

 ジオも、まあ許してくれるだろう。

 みんなで魔物の仲間になって、誰も来ないところに新しい白いうさぎ亭を建てて常連さんを呼んで。

 そんな矛盾、していたって構わない。


 ――なあ、神様。なんでもいいんだ、なんでもする、リーナのためならなんでもするって言っているのに――


「リーナがいなくなったら、俺は一歩も動けないんだよ……!!」



 ――その言葉、それがテイルの本音なんだね。



 最初、風の音に紛れた幻聴だと思った。

 だけど、隠そうともしない気配に振り向いて、本物の声だと知った。


「……ジオ」


「僕が愚かだった。つい、リーナの熱意に絆されて、危険な王都に向かわせてしまった。本来なら、マクシミリアン公爵の不興を買ってでも、リーナを拘束してテイルから引き離すべきだった」


 数人の騎士に護衛された、たいまつに照らされるジオの顔は、悔恨の言葉に反して無表情だ。

 よく見れば、後ろにガーネットさんの姿もある。多分、ジオを案内してきたんだろう。


「リーナの存在がテイルにとってどれほど大きいか、分かっていたつもりだったけれど、本当に分かったつもりなだけだった。リーナが命を落とせばテイルの心が折れることくらい、簡単に予測できたのに」


「その通りだよ、ジオ。……ターシャさん、ダンさん、ティア、ルミル、白いうさぎ亭のみんな。ジオ、セレスさん、お兄さん、リーゼルさん、ジョルクさん、みんな――守りたいと思っていた、思っているはずなのに、前に進める気がしない。戦わないといけないとわかっているはずなのに、この悲しみが薄れる気がしないんだよ……!!」


「そのテイルの気持ちが一時的なものだとは、僕は思わない。僕だって、セレスを失えば公国を、人族を生かす気なんて欠片もなくなるだろう。守るっていうのは簡単なことであると同時に、簡単なことじゃない。理屈じゃないんだよ」


 けれど、ジオは言う。


「人族には、公国には、僕には、テイルの力が必要だ。ドラゴンブレスを防いだという一事をもってしても、テイルの望みを叶えることに異を唱える者はいないだろう。そう、僕が秘中の秘の禁術を行使したとしても」


 ざっ――


 本来、公王の前に立つことなど護衛騎士か王族、それこそ国王その人以外にはあり得ない。

 それを押して、ジオとの視線を遮る形で俺の前に来たのは、ガーネットさんだった。


「テイル、少し離れていてください。今から、リーナ嬢に治癒術を施します」


「……でも、リーナはもう――」


「確かに、リーナ嬢の命運は先ほど尽きました。ですが、二度と目覚めないとは言っていません」


「ガーネットさん、何をする気なんですか……?」


 万が一、億が一の希望。

 そんなことはあるはずがないと自分に言い聞かせながらも、ガーネットさんの――高位治癒術士の言葉を否定することだけはできない。

 なぜなら、神の奇跡を信じてしまったから。


「リーナ嬢を蘇生させます」

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