第302話 祭壇、光、ナイフ
意識は失っていない、今度は。
いくら全身が悲鳴を上げても、死んだほうがましと思えるくらいに苦しくても、絶対に引けない場所に立っている。
文字通り、俺の命は俺だけのものじゃない。
そのはずなのに、俺の視界にあるのはドラゴンブレスの光でも、灰燼と化した白陽宮でもなかった。
もっと見覚えのある光景だった。
「心配することはない。ここは現世とは時の流れがまるで違う。ここで一年を過ごしても、目が覚めれば刹那に等しい間隙しか生じない。だから、気にしなくていい」
聖骸が収められていた玄室に似た、総石造りの薄暗い部屋。
その奥に安置されている祭壇に我が物顔で座る一柱の神。
ノービス神カナタだ。
「いや、だからって言って、お前と話をしている場合じゃ――」
「話をしている場合だと言っているんだ」
「どういうことだ……?」
どうやらすぐには帰してはくれないらしい、と諦め半分で聞いてみると、ソレの顔色がいつになく優れないのに気づく。
冷静でも、憤怒でもない、悔やむように目を背けていた。
「テイル、君が今戦っている相手がどういう存在なのか、理解しているのか?」
「理解って、ドラゴンだろう?まあ、距離が離れすぎていて断定はできないけど」
「そうじゃない。ドラゴンについてどこまで知っているか、知識を聞いているんだ」
「え、えっと、固い鱗に長い角があって、爪や牙は鋭くて、遠くを見通す眼を持っていて、空を飛んで強力なブレスを吐いて――」
「やっぱり、その程度だったか。あの、レオンとかいう愚か者と似たり寄ったりということか……」
「いくらなんでも、レオンと似たり寄ったりはひどいだろ」
「果たしてそうかな?もし、テイルの大切な者達にドラゴンの爪がかかろうかという状況が訪れたら、絶対に剣を向けずに見捨てると言い切れるのかい?」
「それは……」
「それは、テイルがドラゴンの真の恐ろしさを知らないからだ――人族のそれなど塵芥に等しい悠久の歴史。僕もそのひとかけらしか知らないけど、見せてあげよう」
「だから、話を聞いている余裕はないって――」
「大丈夫、一瞬で終わるから、気をしっかり持っていれば壊れはしないさ」
「な――ガッ……!?」
一瞬のことだった。
祭壇に座っていたはずの――今も座っているソレの右手が俺の顔面をわしづかみにした途端、光の洪水が起きた。
「アガガガガアアアガガガガ!!」
痛みでも苦しみでもない、だけど耐え難い感覚が襲い掛かってくる。
これは俺のじゃない。他の――ソレの見た光景なのか?
そう知覚する間にも、数えるのも馬鹿らしい量の記憶が流れ込む。
それらは全て、ソレの戦いの一場面だ。
遥か高みから見下ろすドラゴンに、右腕から伸びた黒い筒から何かを射出している。
速度、質量、威力、なにより発射間隔が俺のシュートスタイルとはレベルが違う。
だけど、太陽を反射して美しく輝く竜の鱗に傷一つつけられていない。
やがて弾が尽きたか、ソレの連射が途切れるのを待っていたように、上空のドラゴンがブレスを放つ。
対抗するのは、今まさに俺が使っているガードスタイル。
ただし、黒い花びらの数は俺の倍以上で、炎の塊を包み込むように見事に防いでいる。
そんな応酬が何回も、何十回も、まるで示し合わせたかのように際限なく続いていく。
戦いが終わったのは、空の色が青から夜の闇に支配され始めた時。
興味を失くしたように踵を返し、夕日の方向へと飛び去って行くドラゴン。
それを見届けたソレは、その場に崩れ落ちた。
「これが、ドラゴンとの戦い……?」
「戦い?本当にそう見えたのなら、テイル、君は今すぐ戦いをやめるべきだ」
「あれが、あんなものが戦いじゃないとでもいうのか?」
「見ての通り、僕の攻撃は竜の鱗一枚剥がせず、相手のブレスは余波だけで十分に僕を殺し得る」
「で、でも、両方とも生き残ったんだから互角の勝負だろう?」
「僕は疲労困憊、ドラゴンは悠々と帰っていった。これのどこが互角だというんだ?」
「それは……」
今さらながら、俺が戦いの素人だと自覚させられる。
生き残れば負けじゃない、それだけを胸にいくつもの死線を超えてきたけど、そんな甘い考えはドラゴンには通じない――そうソレは言っている。
「五千年前、先史文明を滅ぼした災厄の被害は、実際のところ大部分がドラゴンによるものだった」
「そうなのか!?そんなこと、これまで一度も――」
「言う必要がなかっただけさ。五千年前と同じようにドラゴンが参戦するかなんて、僕には知りようもない。いや、おそらくは上位神でさえも」
「まるで、ドラゴンと神々が対等みたいな言い方じゃないか。冗談はやめてくれよ」
せめて重苦しい空気を少しでも和らげようとした軽口。
だけど、どこまでも深刻そうなソレの眼差しは、俺の考えが間違っていると言葉以上に物語っていた。
「さすがに対等とは言わない。だが、この世界を創造した原初にして至高の一柱、僕ごときが名を語ることも恐れ多いその神が最初に造ったのが、ドラゴンなんだ。その他の生物は、ドラゴンの模造品に過ぎない」
「模造品……!?魔物や、俺達が?」
「人族は比較的新しい種族なので劣化品と呼ぶべきだが、それはいい。重要なのは、ドラゴンの上には至高の一柱しかおらず、神々ですら配慮せざるを得ない存在だということだ」
「じゃあ、神々もドラゴンの味方をして、これまで以上に俺達を滅ぼそうとするのか?」
「さすがにそれはないはずだ。配慮はしても、命令を受ける謂れはないからね。――本題はここからだ。テイル、決してドラゴンを殺してはならない」
「ドラゴンを、殺すな?」
「無理を言っているのは分かっている。だが、ドラゴンは最初の生物として、この世界のあらゆるものを生み出してきた存在だ。火も水も土も風も、光と闇すらなかった無に、爪を振るい牙を立て息吹を吹き込んだのがドラゴンだ。人族が一人もいなくなっても鼻で笑う神々だが、ドラゴンが一体でも死ねば顔色を変える。それほどの差なんだ」
「じゃあ、俺達は何もせずに黙って殺されろって言うのか!?」
「そうは言わない。抵抗はいくらでもしても構わない。どうせ、ドラゴンの前にはどんな攻撃も無駄なのだから」
「……」
「だが、万が一、億が一ということもある。この世に絶対がないように――レオンという愚か者が愚かにもドラゴンに傷をつけたように、人族が抗う以上は天地がひっくり返るような事態もあり得ないとは言えない」
「それがお前の――神々の思し召しってことなのか?」
「愚かに抵抗しろ、ただし殺すな。それが、僕を含めた神々の総意だ。今頃は、それぞれがそれぞれの眷属に啓示を与え始めている頃だろう」
その言葉で十分伝わったと思ったのか、ソレと祭壇の輪郭が徐々にぼやけてくる。
「五千年前、災厄に加わったドラゴンはたったの十体。それも、神々の要請に応じた義務感からといった様子だった。だが、今回は明確な憎悪をもって、人族に襲い掛かっている。この先ドラゴンが何体、どのように関わってくるのか、僕には想像もつかない。それでも生きたいと願うのなら――」
そこで、声は途切れた。
どれくらい、降り注ぐ光と圧し掛かる質量に耐えていただろうか。
不意に聴覚が戻り、恐る恐る目を開けて空を見てみると、気の迷いでも勘違いでもなく、黒いドラゴンが俺を見ていた。
――咆哮、そして旋回。
ジュートノルまで聞こえそうな重低音の雄たけびが、全ての生き物の支配者は俺だと言わんばかりの主張を感じさせた時にはもう、ドラゴンはその流麗な尻尾をこっちに向けて悠々と王都を後にしていた。
瞬間、今まで心の奥底に封印していた恐怖が一気にあふれ出し、思わず膝をつきそうになって――寸前でこらえた。
そうだ、まだ何も終わっていない。みんなの無事を確認しないと。
極度の疲労のせいだろう、いつもよりも色あせた視界を何とか保って、周りを見渡す。
ギュスターク公爵と騎士達が、お互いの生存を喜び合っている。
倒れている人もいるけど、生気を失っている姿は見つからない。
瀕死の重傷を負っているレナートさんも、数人の騎士に介抱されている。
治癒の光を浴びながら包帯を巻かれている辺り、とりあえず命の危険はないらしい。
だから、あとはもう大丈夫だ。だって、あの人に任せてあるんだから――
「テイル、話があります」
ポン、と背後から肩を叩いてきたのは、ガーネットさん。
だけど、おかしい。そんなことをする人じゃない。
だって、まだ治癒は終わっていないはずで、ガーネットさんは怪我人を途中で放り出すような人じゃ――
「ヒュドラの毒。亜流種に分類される、最も人族に仇なす魔物の一体ですが、戦闘力以上に恐れられるのがその牙から分泌される毒です。一滴を川に流せば一月は飲めない水になるとされ、百倍に希釈したものでも治癒不能な死をもたらします」
「ガーネットさん、何を言ってるんですか?そうだ、リーナは、リーナはどこに?」
「レオンが所持していたナイフには、ヒュドラの毒の原液が塗布されていました。原液ともなれば、もはや毒を超えて呪いの領域に至るとされ、貴族ですら入手はほぼ不可能。おそらくは、ガルドラ公爵家が秘蔵していたものを持ち出したのでしょう」
「だから、リーナはどこだって聞いてるんだよ!!」
「残念です」
悲鳴を上げる体を酷使し、胸ぐらをつかんでそのままの勢いで押し倒した俺に、抵抗もせずにガーネットさんは告げた。
死を宣告した。
「リーナ嬢はヒュドラの毒により、今しがた命を落としました」
倒れた体勢から見上げた先に、死んだように横たわるリーナの姿があった。
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