第301話 ドラゴンブレス


 全ては一瞬のことだったのか。

 それとも永遠にも似た時の中で起きたことなのか。


 黒い点が赤い光に変わって、その力の強さと大きさをようやく感知し始めたころ。


 これまでで一番厳しい表情を見せながら叫んだレナートさんが、魔法剣の素材に使っている革の水筒の中身を地面にぶちまけて、まるで魔法陣が発動したかのように青く発光し始める。


 リーナが悲痛な顔を見せながら、俺に駆け寄ってくる。

 あの、凛々しく、強く、世界を敵に回しても決して折れない聖剣のような性格のリーナが、プライドをかなぐり捨てて俺に向かって叫んでいる。


 冒険者を拘束している最中だったギュスターク公爵とその騎士達は、誰もが動きを止めている。

 中には跪いて神に祈る人もいて、抗うよりも運命を受け入れている様子だった。


 その隙をついて、動き出した影が一つ。

 ガーネットさんの聖術で四肢を焼かれて動けないはずのルイヴラルドが、肘と膝をすり減らしながらオオカミのように疾走、跳躍して、唯一無事な首を千切れそうなほどに伸ばし、護衛の警戒が緩んだ王太子エドルザルドの喉笛に噛みつき、血しぶきを上げさせた。


 あり得ない動きするものがもう一人。

 血反吐を吐いていたはずのレオンが傍らにあった剣を手に立ち上がると、赤光に染められていく空に向かって何かを叫び始めた。

 その体は俺達から遠く離れている上に、今のレオンがあの光に対抗する術を持っているとはどうして思えない。


 レナートさんの呼びかけに、ギュスターク公爵を先頭にして、呆然としていた騎士達が祈りを捧げている仲間を引っ張ってこっちに向かってくる。

 その中に、一人の騎士に肩を貸しているロナードもいる。


 怪我人が出た時のためだろう、ガーネットさんが杖を構えている。

 その献身的な姿はまさに聖職者の鏡だと思うけど、あの赤光を前にしたら無駄としか思えない。


 胸に軽い衝撃が走る。

 見ると、リーナが抱き着いてきていた。

 黒の鎧に肌が当たってさぞ痛いだろうと思ったけど、いつの間にかにパワースタイルは解除されていた。

 ――当然だ。今の俺に、戦う意志なんてないんだから。


「持てよ、俺の魔力と体!!『水迅流秘奥義、渦潮の盾』!!」


 瞬間、周囲を囲んでいた青い光が赤光に立ち向かうように高く浮き上がると、中心に向かって激しい渦を巻き始めた。


「全員伏せろ!!」


 レナートさんの掛け声に、全員が頭を低くしてその場にしゃがみこむ。

 俺も例外じゃなく、倒れ込んでくるリーナに身を任せるように仰向けに視界が回る。


 そして、青光に赤光が到達したその瞬間、ただ一人外にいたレオンの姿が文字通りかき消えた。

 同時に、俺の視界も光で塗り潰された。






 気を失っていたと自覚したのは、これまで戦闘中に離すことのなかった黒の剣が、この手になかったからだ。

 慌てて起き上がって、辺りを見回してみると、


「こ、こんな、こんな……!?」


 わかっていなかった。

 言葉では何度も、決意は数えきれないほど反芻してきたのに、自分が何をしようとしていたのか、防ぎたかったのは何なのか、全然理解していなかった。


 ――滅亡。


 王宮の石畳、数々の庭木、その威容を誇った白陽宮さえも、根こそぎ破壊されて跡形もなくなっていた。


 想像を超える惨状に呆然としていたことで少し落ち着けたんだろうか、下半身にかかっている重みに今さらながら気づくことができた。


「リーナ、リーナ!!」


「……テイル?」


 俺の呼びかけに目が覚めたリーナにほっとしたのもつかの間、その肩口に見覚えのあるナイフが突き立っていた。


「リーナ、そのナイフ……!?」


「え、ああ、気づかなかったわ。大したことないわよ、別に痛くもないし」


「ガーネットさん!!」


 そのナイフ――レオンが土壇場で使おうとした暗器を事も無げに抜いて捨てたリーナだけど、嫌な予感は収まってくれなかった。

 俺のファーストエイドじゃ事足りない、あの人じゃないと、そう直感して名前を叫ぶと、


「どうかし――なるほど、理解しました」


 俺とリーナと同じく、全身土埃塗れのガーネットさんがどこからか駆け寄ってきてくれた。


「ちょっと、私は平気だから大げさにしないで」


「怪我人の言葉は聞かないのが治癒術士の基本です。――それよりもテイル、今すぐにレナートのところへ。時がありません」


 肩から血を流しているリーナと落ちているナイフを見て、即座に状況を理解して治癒を開始してくれたガーネットさん。

 その切迫を感じさせる目を見て無言で頷き、リーナのことを任せて歩き出す。


 傷を負ったり、熱にやられたり。

 瘴気の代わりに発生した煙に紛れてうめき声が聞こえる。

 熱気のせいで流れた汗が顔を伝い始める中、見覚えのある人影に安心して、レナートさんに駆け寄って。


 その異形に絶句した。


「よう、テイル。さっそくで悪いが、ちょっと頼みを聞いちゃくれねえか?」


「レナートさん、腕、腕が……」


 手にしていたはずの剣がない。

 それどころか、右腕が半分ない。

 肘だったところは真っ黒に炭化していて、その先にあったものがどうなったか、嫌というほど想像させる。


「俺はな、ずっと疑問に思ってたことがあるんだ」


「そんなことよりも早く治療しないと!」


「まあ聞けって。――あらゆる事態に単独で対応できる、エンシェントノービス。それを見事にお前は証明してるが、同時に五千年前の災厄を考えると腑に落ちないところもある」


「さっきから、なんの話をしているんですか……?」


「ノービスの英雄と呼ばれるほどの活躍の大半は、実際には防衛戦だったと考えるのが筋だ。圧倒的多数の魔物を前に、攻撃一辺倒じゃどうしたって体力魔力の限界が来る。つまり、守りに長けた戦い方をしていた可能性が高い」


「守り?」


「全てを焼き尽くすドラゴンのブレスを防ぎ人々を守った、って言えば格好もつくが、正直次は無理だ、この通りな。だから、あとは任せたぞ、テイル」


「お、俺が……!?」


 何の冗談かと思ってレナートさんを見返すけど、右腕を失って痛みどころじゃないはずのその眼は、どこまでも真っすぐだった。


「今はブレスの魔力の残滓と煙に隠れちゃいるが、もう少ししたら俺達が生きていることは確実に上空のドラゴンに伝わる。奴らはしつこい。確実に追い打ちをかけてくるはずだ」


「で、でも、あとを任せたって言われても……」


「ぶっつけ本番だってことは分かってる。お前が失敗しても誰も責めやしないさ。ただ、一つ確かなことは、お前がやらなきゃ誰も生き残れないってことだ。だから、気を楽にしてやるだけやってみろ」


 これが他の人だったら、まだ躊躇っていたかもしれない。

 だけど、他ならないレナートさんの言葉――右腕も犠牲にしてまであの絶望の光に立ち向かったレナートさんの言葉は、俺に道を指し示してくれた。


「わかりました、やってみます」


 この決意を待っていたかのように、風が吹き始める。

 今ならわかる。この青い空を見せる吹き降ろしの風は、ドラゴンがその目に獲物を捉えるための下準備だ。


 直後、その証明といわんばかりに、直上に現れた黒い生物。

 視覚を強化しなくてもそうはっきりわかるほどに降りてきたそれは、巨大な翼をゆっくりと羽ばたかせながらこっちを睨みつけている。


 ――隠れる場所は、もうない。

 あの翼で飛んで追いかけられたら、どうやったって逃げられない。

 もし逃げられても、逃げた先の人達を巻き込むだけだ。

 やっぱり、今ここでなんとかするしかない……!!


 黒の剣はない。代わりに黒いドラゴンに向けて、無駄とわかりながら両の指を精いっぱい開いてかざし、拒絶の意思を見せる。


 ドラゴンが口を開き、そこからあの赤光が世界を焼き始める。


 足が震える。

 逃げ出さずに済んでいるのは、ドラゴンとの距離があまりにも離れているおかげだ。

 もし、剣が届く間合いだったら、理性も思考も消え失せて背を向けて走り出していたかもしれない。


 駄目だと思いつつ、ちらりと後ろを見る。

 さっきは気丈に振舞っていたリーナが、ガーネットさんの治癒術を受けながら苦しそうな顔をしている。


 俺にしかできない、俺にしか守れない、守るべきものがある。

 それを確認した意味はあった。


『使用者の不退転の意思を観測しました。ギガンティックシリーズ、ガードスタイルに移行します。続いて、ギガライゼーション第一、第二、第三展開』


 黒の装備が変化していく。

 これまでと違うのは、全身の装甲が大きく分厚くなり、反対に俺の魔力がものすごい勢いで食われていくことだ。

 突出して変化したのは、いつの間にかに手に収まっていた巨大な黒い盾。

 そして、黒のヘビーアーマーの形が定まったかと思うと、今度は各部の装甲が分離して宙に浮き、俺を中心に花びらのような配置でゆっくりと旋回し始めた。


 これが、謎の声の言うところのガードスタイルの第三展開なのか、俺にはわからない。理解が追いつくだけの余裕がなかったというべきかもしれない。

 確かめるよりも先に、黒いドラゴンが放った巨大なブレスの第二波が発射、地表に到達する直前に旋回している黒の花びらが受け止め、俺の体に体験したことのない衝撃が圧し掛かってきた。


 目は開けていられなかった。

 聴覚も嗅覚も触覚も、全てがブレスの熱と爆風にやられて、何も感じ取れない。


 ただひたすら、みんなの無事と俺の体が砕けないことを祈って、赤光の重圧に耐え続けた。

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