第295話 盤外の極点


 鐘楼といえば、あの日。

 初めてエンシェントノービスの力を振るった戦いで、その締めくくりとして鐘楼を登ったわけだけど。

 あの時は無我夢中で、地下から押し寄せるソルジャーアントを撃退することだけを考えていたけど、少しでも冷静な部分が残っていたらあまりの高さに足がすくんでいたに違いない。

 当然、地方都市のジュートノルと比べたら王都の鐘楼は豪華さも高さも段違いなわけで、高い所が苦手だと自覚するにはちょっと過剰な経験だと思う。


 それでも、見るべきものを見ないと始まらない。


「見るっつったってな、これだけの濃い瘴気の中じゃ視界なんざまともに効きやしない。常人ならこの時点で諦めて回れ右だが、どのジョブでも大なり小なり異なる景色が見られる冒険者の眼なら、もうひと頑張りする価値がある。ものを見ようとするな、魔力を見ろ。大気の流れに逆らう、生き物の存在を感知できるはずだ」


 吊り下げられた大きな鐘を背に、視覚に集中するために一緒にしゃがみこんだレナートさんの声を聴きながら、瘴気をにらみつける。

 すると、夜空の星々のような無数の小さな光が様々な速さで流れているのが見えてきた。


「そうだ、それが大気を流れる魔力の流れ、マナだ。ここまでくればあとは難しくない、視点を遠くに、王都の城壁の外まで投げてみろ」


 レナートさんに言われるがままに目線を先の方に移してみる。

 すると、遠くの方でいくつもの光が広がっては散って、を繰り返している現象が見えてきた。


「なんだ、あれ……?」


「……聖術爆撃?おいおいおいおい、まさかのまさかかよ。どこの馬鹿だ、神聖帝国を呼び込みやがったのは」


「神聖帝国って、四神教の総本山だっていう、あの?」


 どうやら俺と同じものを見ているらしいレナートさんから、いつもの余裕が感じられない悪態が漏れる。


「そうだ。教会の力が圧倒的に強い神聖帝国は、加護持ちの中で治癒術士や聖術士の割合が過半数を占める。当然、奴らの至上命題は不浄なるものの殲滅なわけだが、大義名分さえあれば国の外だろうがお構いなしに首を突っ込む。向こうさんからしてみれば、人族守護と神の意思を示す使命感にあふれてるんだろうが、歓迎する奴なんざほとんどいない」


「どうしてですか?」


「治癒術にアンデッドを退ける効果があるのは知ってるよな。それを、より攻撃的な効果が出るように長い年月をかけて調整していったのが聖術なわけだが、ここに一つのデメリットが発生した。聖術は、命あるものも攻撃するのさ」


「それって、アンデッドだけじゃなく普通の魔物にも通用するってことですよね。いいことづくめじゃないですか」


「王侯貴族もそう考えた。いや、一部じゃ今もそう考えてるだろうな。だが、アンデッドを欠片も残さぬように念入りに聖術で清めるってことは、その土地の作物どころか雑草の一本すらまともに生えなくなる環境にしちまうってことでもある。そこに、正邪の区別なんてないんだよ」


「正邪の区別がないって、土が死ぬなら、農民からしたら死活問題じゃないですか」


「それでも、アンデッド共に瘴気をばらまかれるよりマシ、って考えは為政者だけじゃなく、平民の中にも根強い。そんな無数の声なき声が、神聖帝国への信仰と支持に繋がってるってわけだ」


「でも、あれは……」


 そう言い淀みながら、聖術爆撃の餌食になっているもう一つの軍に目をやる。


 アンデッドの殲滅には、俺も異論はない。

 瘴気で足を踏み入れられなくなるよりは、不毛の大地を選ぶって考えも理解できる。

 だけど、不死神軍の巻き添えを食らう形で人族が人族を攻撃しているこの光景は、どうしても納得できない。


「あれは多分、ガルドラ公爵軍だな。撤退の動きを見せてるから最悪の事態にはならんだろうが、被害は甚大だな」


「どうしてガルドラ公爵軍だってわかるんですか?」


「消去法だよ。まず、神聖帝国軍の後方にいる集団、あれはおそらく王太子派の貴族軍だ。国境を接してるせいか、昔から北部貴族と神聖帝国との関係は深い。大方、派閥の領袖のギュスターク公爵辺りが、王太子っていう泥船から逃げ出した連中の不足分を補うために神聖帝国の協力を仰いだ、ってところだろうな」


 そう言ったレナートさんは、一番距離がある光の集まりの方を指さした。


「次に、あの奥のやつがジオグラッド公国軍だろうな。他とは明らかに違う点があるからわかりやすいんだが」


「軍の周りを囲っている、人以外の魔力……そうか、土魔法で城壁を作ったんだ」


 公都ジオグラッドを思い出せば、答えは簡単だった。

 他の三つの軍と比べて兵の数も質も劣る公国軍が対等に渡り合うには、衛士が持つノービスのスキルの活用がカギになる。

 中でも、土魔法を使う頻度は圧倒的に高くなるはずだ。いつでもどこでも見渡す限りに素材があるんだから、当然だけど。


「機動力に欠けるって言えば欠点に思えるが、相手にとっちゃ野戦からいきなり攻城戦を強いられるようなもんだ。これほどやりづらい敵もいないだろうな」


 レナートさんの言う通り、公国軍は戦場から離れた位置に布陣して、なんの損害もなさそうに見える。

 実際の状況はここからじゃ察しようがないけど、今のところはジオやリーゼルさんが無事とわかっただけでも、俺としては安心できる。


「んで、不死神軍の巻き添えを食らってんのは、自動的にガルドラ公爵軍になるってことだ。さて、これで、王都奪還戦争の大体の現状を把握できたわけだが」


 聖術爆撃を続ける神聖帝国軍。

 その同盟相手と思える王太子派。

 甚大な被害を被っている不死神軍。

 巻き添えを食らっているガルドラ公爵軍。

 即席の砦の中から静観しているジオグラッド公国軍。


「これから、俺達はどう行動するべきだと思う?」


「え?」


「もとはと言えば、お前の目的に付き合っての王都潜入行だ。どうするのが適切か、ちょっと考えてみろ」


 確かに、聖骸を奪還しようと言い出したのは俺で、目的を達成したこの先の行動にも責任がある。

 そう考えたら、無い知恵を絞る義務があるだろう。


「まずは、何をおいても聖骸とワーテイルをジオの元に送り届けることじゃないですか」


「そうだな。じゃあ、すぐに王都を脱出して公王陛下の元に帰還――と言いたいところだが、一つ提案がある」


「提案?」


「実はな、こんなこともあろうかと、冒険者ギルド御用達のバックアップパーティを、王都の総本部に待機させてある。そいつらに聖骸とワーテイルを預けて、俺達は戦場に介入するってわけだ」


「ずいぶんと用意がいいですけど、そのバックアップパーティの人達は信用できるんですか?」


「ああ、俺の名にかけてな」


 憶えている限りじゃ貴族でも騎士でもなかったはずだけど、レナートさんの名はある意味でとても重い。

 なら、信じて任せてみていいだろう。

 だとすると、戦場に駆けつけて一人でも多くの命を救うのがベストな気がするけど……


 と、


「残念、時間切れだ。ちなみに、戦場そのものに介入するのは無しな。もちろん、公国軍も含めてだ」


「ちょ、それは反則じゃないですか!?ていうか、戦場そのもの?」


「そう。俺達が注視するべきは盤外、戦場の外をうろうろする奴を見つけることだ」


「うろうろって……そんな危険なことをする奴が本当にいるんですか?」


「普通の軍じゃあり得ねえよ。どう考えたって、何重もの護衛に囲まれて本陣にいる方が安全だからな。だが、今回はイレギュラーのオンパレードだ。そんな常識が通用しないアホがいくらでもいる」


 その時。

 ほんの少し、ほんの少しだけど、戦場の外にある小さな森の中に、生き物に流れる魔力の光が見えた気がした。


「レナートさん!!」


「俺には見えなかったが、見えたんだな?」


「こんな遠くから、しかも魔力だけを見ているから自信はないですけど……」


「十分だ。瘴気まみれの今の王都近郊に、まともな獣や魔物はいないからな。いるとすれば、人族以外にあり得ねえ」


「そうと決まったら」


「ああ。さっさと降りるぞ」


 レナートさんと頷き合って、すぐに鐘楼を降り始める。

 だから、森の隙間から見えた魔力の光に、嫌な感じがしたことは黙っておいた。


 このことを、俺は後悔することになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る