第294話 いと高き眼 正統アドナイ王国軍


 高き眼は、極小の人族の動きも見逃さない。


「ヨゼフ司祭!これは一体どういうことか!?」


「どう、とは?」


 王都をめぐる攻防が続く中で突如、不死神軍とガルドラ公爵軍に降り注いだ聖術の光。

 横一列に並ぶ聖術士部隊が次々と白光の砲弾を撃ち込んでいるその後方で、無表情で見守っている神聖帝国特任司祭ヨゼフに、怒りに満ちたギュスターク公爵が食って掛かった。


「なぜ、エドルザルド殿下から軍の指揮を委ねられた私に断りもなく、攻撃を始めた!?しかも、ガルドラ公爵の兵も巻き添えになっているではないか!これは完全な盟約違反だ!!」


「ギュスターク公、もしや何か勘違いされておりませんか?」


「勘違いだと?」


「確かに、我らは教皇猊下の御下命に従い、アドナイ王国の危機に助力するために馳せ参じました。だが、公の指揮下に入った覚えはありません」


「馬鹿な!!援軍に好き勝手に動き回られては軍の、ひいては殿下の威光に瑕がつくではないか!」


「無論、エドルザルド殿下が親征なされる、正統アドナイ王国軍をないがしろにするつもりは毛頭ありませんとも。ですが、奴らが相手となれば話は別です」


 話の途中で、再び戦場の方へと目をやったヨゼフ。

 その無礼な態度に、肩を掴んで引き戻そうとしたギュスターク公爵だったが、すんでのところで思い留まった。

 聖術の光に埋め尽くされる戦場を熱心に見つめる、爛々と輝く瞳におぞ気が走ったからだ。


「不浄なるものの殲滅こそ、我ら神聖帝国の至上命題。アンデッドは肉片ひとつも許さず、諸悪の根源たる死霊術士は血族はもちろん、全ての墓を暴いて残らず滅却する。その責が私にはあるのです」


「き、貴殿は……?」


「アンデッド討伐に我らの手を借りた以上、口出しは無用。もし邪魔をすれば、帝国本軍を動かすことになるでしょう」


「て、帝国本軍だと……?」


「その時は、アドナイ王家の存続は諦めた方がいいでしょうね」


「っ!?……勝手にするがいい!」


「おや、お帰りですか?ああ、こちらの用が済めば知らせを寄越しますので、あとはご自由に」


 そう言ったヨゼフが視線を戻すと、すでにギュスターク公爵の姿はなかった。

 どうやら、話の最中に勝手に帰ってしまったらしい。

 そんな無礼にも特に気を悪くした素振りも見せず、ヨゼフはアンデッドが滅びていく様を眺め続けていた。






「くそっ、狂信者めが!!」


 正統アドナイ王国軍、ギュスターク公爵軍本陣。

 前線を牛耳る神聖帝国軍と、安全な後方で勝利を待つエドルザルドに挟まれる形の中、北部貴族を率いるギュスターク公爵がテーブルを殴りつけ、盛大な音を響かせた。


「閣下、どうかお鎮まりください」


「……心配ない、私は落ち着いている。それで、戦況はどうなっている?」


 自身の天幕に入るなり激高して見せたギュスターク公爵だったが、どうやら溜め込んでいた怒りをある程度発散できたらしく、副官が諫めるまでもなく、以降の声は冷静なものだった。


「現在、神聖帝国が擁する聖術士部隊による、大規模聖術爆撃の最中であり、物見も詳細を確認できないため、推測を交えた報告しか来ておりませんが……」


「構わん、申せ」


「聖術爆撃の範囲内には、不死神軍とガルドラ公爵軍が相争っていた最前線があり、その中にいた者はほぼ全滅かと思われます」


「……一時的に袂を分かっているとはいえ、同じアドナイ貴族の兵だぞ?これを通告なしに攻撃したとあれば、あとで諸侯からなんと言われるか。下手をすれば、戦後交渉がそのまま戦前交渉に変わりかねん」


「全ては神聖帝国がやったことだと押し通すしかないのでは?」


「だが、私が彼らを招き入れた事実は動かせん。このままでは、ギュスターク公爵家は戦犯となり、北部貴族は瓦解。王国の食糧庫と呼ばれる北部が荒れれば、もはや魔物討伐どころではなくなる恐れがある」


「やはり、神聖帝国の要請を無視し、我らも戦いに参加して少しでも失点を穴埋めするべきでは?」


「それができれば苦労はせん」


 ため息をつくように言うギュスターク公爵の眼の前には、王都とその周辺が描かれた地図が広がっている。

 その上に駒を置いて各軍の配置を表しているのだが、神聖帝国軍を除くと、正統アドナイ王国軍の駒は十三個。

 実に、北部貴族全体の半分にも満たない数だった。


「エドルザルド殿下の狩り遊びのおかげで、北部貴族は疑心暗鬼の渦に飲み込まれている。粛清された者、行方不明の者、他勢力に鞍替えした者。さらには、今回殿下の元に馳せ参じた貴族の中にも内通者がいるかもしれん。いや、いる前提で考えるべきなのだ」


「味方を信頼できないのであれば、戦いに加わるのは無謀ですな」


「神聖帝国軍が手に負えぬ以上、このまま布陣し続けて最低限の武功を主張する以外に方法はないのだが……」


「改めて、王太子殿下の了解を取り付けておく必要がありますか」


「そういうことだ。大事なところで持ち前の気まぐれを発揮されてはかなわんからな。――あまり総大将が動き回るものではないのは承知だが、ここを頼んだぞ」


「諸侯の監視はお任せください」


 副官の頼もしい言葉に満足しつつ、この先に待つ胃の痛い思いを覚悟しながら、ギュスターク公爵は天幕を後にした。

 まさか、胃痛どころではない事態に直面するとは夢にも思わずに。






「なんだ、これは……」


 王太子エドルザルドの本陣には、守備戦力と呼べるものはほとんどいない。

 これは、戦いに巻き込まれる心配がない安全圏に布陣しているせいもあるが、エドルザルドが物々しい護衛を嫌い、ギュスターク公爵の諫言も聞かなかったからでもある。

 その反面、王太子としての格式には病的なまでにこだわり、何から何まで豪奢な飾りつけが施された結果、どこか物寂しさを感じさせる空気が漂っていた。


 異変は、本陣に漂う濃い血の匂いから始まった。


「殿下!!殿下はご無事か!!」


 警戒する護衛騎士を置き去りにして、腰の剣を抜き放ちながら本陣の中を突き進む、ギュスターク公爵。

 そして、エドルザルドがいるはずの大型天幕の前に立った時、最悪の事態が起きたと予感した。


「殿下!?」


 天幕を開いた直後、むせ返るような血の匂いをかき分けて中に入った公爵は見てしまった。

 血、血、血。

 色彩感覚がおかしくなるほどに赤で埋め尽くされた天幕の中には、一目でそれとわかる斬殺体がそこかしこに転がっていた。


「閣下!!こ、これは……!?」


「生存者を探せ!!殿下の安否を確かめろ!!」


 公爵の叱咤の声で、斬殺体の中にエドルザルドが含まれていないことに気づいた護衛騎士達。

 慌てて天幕に入って確認するが、やはり息をしている者は一人もおらず、徒労に終わる。


「側近や従者を皆殺しにし、殿下御一人を連れ去ったということか?」


「こ、このような暴挙、一体何者が……」


「考えるのは後だ!!全員、早急に周辺を捜索!!同時に、本陣に事態を知らせて応援を要請しろ!!」


 ギュスターク公爵の鶴の一声で、護衛騎士達が慌ただしく動き出す。

 その結果、魔物の襲撃ではないことと、賊がごく少数で、かつ騎士や兵ではない者達で構成されていることが判明した。


「傷痕を見るに凶器が軍の正式採用や騎士のものではないことと、金品が持ち去られていることから、賊はおそらく……」


「冒険者か」


 その言葉と同時に、手近にあった木箱に抜いたままだった剣を振るい、上蓋を破壊したギュスターク公爵。

 恐れ多くも王太子誘拐という大罪を犯すほどに愚かで、冒険者を使うとなれば、首謀者は限られてくる。

 いや、今のこの王都において、そんな真似に出る者は一人しかいない。


「急ぎガルドラ公爵軍に使者を出せ!!返答なくば、このまま全軍をもって攻め込むと伝えろ!!脅しではないともな!!」

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