第292話 いと高き眼 ジオグラッド公国軍
一方的な展開の不死神軍とガルドラ公爵軍から、高き眼は視線を移す。
そこには、王都に近づく別の一団が。
その旗印を見る者が見れば、衛士隊という特異な戦力を擁する、ジオグラッド公国軍のものだと知るだろう。
「やあやあ、どうやら一番乗りとは行かなかったようだね」
「公王陛下、そのように身を乗り出されては身の安全を保障しかねます」
公国軍の後方に、建てられたばかりの櫓のうちの一つ。
丸太を組み上げただけの簡素な代物のそれは、戦況を瞬時に確認して本陣に伝えるためのものだが、良くも悪くも目立つので標的になりやすい。
もちろん、安全を優先して敵の矢や魔法が到達しづらい距離を計算して設置しているのだが、よりにもよって公王ジオグラルドその人がよじ登って望遠鏡を覗き込むことになろうとは、側近ですら想像していなかった。
「あれは……、不死神軍とガルドラ公爵軍みたいだね。先陣を切っているのは奴隷兵かな?アンデッド相手に投入しても意味はないだろうに」
「気が済まれたのならお降りください。いつ何時、敵方に狙われてもおかしくないのですぞ」
「わかったわかった、公国騎士団長代理殿の助言に、お飾り総大将は粛々と従うよ」
そう言ったジオグラルドだが、何か思いついたような表情を見せたかと思うと踵を返し、眼下で設営中の衛士達に向かってにこやかに手を振った。
オオオオオオオオオ!!
「公王陛下、お戯れが過ぎます」
「いやあ、少しばかり空気が固すぎると思ったからね、ちょっと気持ちをほぐしてあげようという、僕なりの檄だよ」
ジオグラルドの言う通り、戦場を目の前にした公国軍には緊張感が漂っていた。
見るのは初めてという者が多い王都。不死神軍と、対峙するガルドラ公爵軍。その両者によって壮絶に積み上げられる死体の山。
公都を出発する時には覚悟していた光景だとしても、やはり聞くのと見るのとでは違うのは当たり前のことだ。
「確かに、初陣が多い、衛士隊改め衛士兵団の士気高揚は喫緊の課題でありましたし、公王陛下のご配慮には我ら全員光栄の極みではありますが、公国にとって御身にとって代わる宝は存在しないのです。次からは、必ず我ら側近にご相談ください」
「いつ死んでも惜しくない、お飾りの総大将なのにかい?」
「お飾りの総大将ではないことは、衛士達のあの沸き立ちようを見れば一目瞭然です」
「わかったわかった、善処するよ。それで、客人は?」
「先ほど、到着の知らせが来ました。今は、将校用の天幕の一つにてお待ちいただいております」
「そうか。では、会いに行くとしようか」
下で待機していた護衛騎士に囲まれて櫓から離れながら、騎士団長代理のお小言を適当に流していたジオグラルド。
その眼がやや険しさを増したのに気づいたのは、公王の些細な変化も見逃すまいと注視していた騎士団長代理だけだった。
その女性は、跪いて深く頭を垂れていた。
旅装と言えど注意深く観察すれば、どのような身分の人物かおおよそは分かる。
護衛を置いて一人天幕に入ったジオグラルドの目には、女性が下級貴族の出で、背格好や髪の色が事前の知らせの通りだと映った。
そして、天幕にはもう一人、ジオグラルドの側近であるキアベル子爵家次期当主、リーゼルの姿があった。
「アンリエッタ嬢、公王陛下は堅苦しいことがお嫌いな御方です。また、あなたの事情を鑑みて特別に直答を許します。面を上げてください」
「こ、公王陛下に置かれましてはご機嫌麗しゅう。ノーティ男爵家が一女、アンリエッタと申します」
「ジオグラッド公国公王、ジオグラルドだ。戦時とはいえ、こんなところにまで来てもらって申し訳ない。さあ、そのままだと話がしにくい、そこに座ってほしい」
そう言葉をかけたジオグラルドが、戸惑うアンリエッタの手を取って手近な椅子にエスコートする。
身分差を考えればまず起こり得ない異例中の異例の事態だが、ここまで案内してくれたリーゼルも頷いて見せてくる以上、アンリエッタは従うしかない。
「申し訳ありませんが、側仕えを入れることはできませんので、私の拙い手前でご容赦を」
そう謙遜しながら、リゼルが器用に淹れて見せた薫り高いお茶をひとしきり楽しんで、アンリエッタの緊張がややほぐれてきたころ。ジオグラルドが切り出した。
「さて、およそのあらましはマクシミリアン公からの手紙で把握しているし、見ての通り少々忙しい身でね、あまり手間は掛けられない。とはいえ、遠路はるばる危険な戦地まで来てくれたアンリエッタ嬢の勇気を斟酌して、最大限叶えてあげたいとも考えている」
「アンリエッタ嬢。ここはひとつ、あなたが経験した艱難辛苦の一部始終を、公王陛下に打ち明けてみてはいかがでしょう。決して悪いようにはしないと、私が保証します」
「それは、むしろ私の言葉です。どうかお聞きください、公王陛下。私の過ちから始まった、ノーティ男爵家を襲った悲劇を。そして、我が子リュークスが置かれた苦境を」
初めて思いのたけを吐き出したのだろう、堰を切ったように語り出したアンリエッタは、時に興奮し、時に嗚咽を漏らしながら、それでも死者の思いを無駄にしないように、ジオグラルドとリーゼルに知る限りのことを語った。
その後、長旅の疲れを考慮して早々に下がらせたアンリエッタを見送った後、主従は揃って難しい顔を浮かべた。
「マクシミリアン公の手紙で覚悟をしていたつもりだったけれど、当事者から聞くとやはり重みが違うものだね」
「ガルドラ公爵と二人の重鎮の暗殺、歯止めが利かなくなったレオンの暴走、まさかの直系の子の出現。ガルドラ派には、あの手この手で探りを入れさせておりますが、ここまで正確かつ最新の情報はまだ届いておりません。アンリエッタ嬢の話は、間違いなく今後の判断に影響を与えてくるでしょう」
「ただひとつ、真偽のほどを見極めるには余裕も証拠も無さすぎなのが、致命的な問題なんだよね」
「アンリエッタ嬢が携えていた印章だけで動くには、さすがに博打が過ぎます」
「その辺りの事情に詳しい人物にも話を聞かないと、ね」
「では」
「うん。もう一組の客人をお招きしようか」
その時。
アンリエッタが入ってきた入り口とは真逆、一見何もない白布が捲られ、そこから二人の男性が姿を現した。
両者とも、年の頃は三十前後で、大貴族にふさわしい豪奢な鎧姿とそれに反した端正な顔立ちは、見る者に涼しささえ感じさせるだろう。
――驚きと苦しみに満ちた表情さえ浮かべていなければ。
「ジオグラルド公王陛下。此度は貴重な機会を与えていただき、感謝の言葉もありません」
「我ら、ガルドラ公爵家に永久の忠誠を誓った身であり、また一門の命運を背負う立場ゆえ、疑いの心を自ら封じておりました」
「両人とも、それにもかかわらず、よく来てくれた。また、その苦しい胸の内を打ち明けてくれて嬉しく思う。それで、アンリエッタ嬢の証言に異議はあるかい?」
「彼女がノーティ男爵家の息女であることは、私が請け負います。数年前、派閥の子女が行った茶会を我が屋敷で行った際に、社交界に出る前のアンリエッタ嬢から非公式の挨拶を受けた覚えがあります」
「ガルドラ派貴族領がゴブリンの大軍に侵略されている点も辻褄が合います。ここしばらく、領地からの定期連絡が途絶えていたのが何よりの証拠です」
「ただ、ガルドラ公爵の正統な後継者という肝心要の確認は難しい、といったところかな?」
「……仰る通りです」
「せめて、リュークス様のご尊顔を拝見できれば、まだ打てる手もあるのですが……」
「リュークス様は現在、公都ジオグラッドにて保護させていただいております。また、刺客の危険を差し引いても、乳飲み子を今の王都まで連れてくることがいかに無謀なことか、どうかご理解いただきたく」
「いや、こちらも無理を言った。すまない、リーゼル卿」
「天幕の陰から見せていただいた印章は、まぎれもなくガルドラ本家のもの。御子と印章が揃えば、あの痴れ者を断罪する大義名分になるのだが……」
「一つ、卿らに提案がある」
苦悶の表情を見せていた三人が顔を上げる中、ただ一人、ジオグラルドだけはまっすぐに前を見ていた。
例えば、ジオグラルドと個人的に親しい、とある平民がその眼を見れば、地獄の業火に焼かれても構わない覚悟をしている、と評しただろう。
「この際、血筋の真偽を問うのは棚上げにしないか」
「そ、それは、リュークス様の出自が、アンリエッタ嬢の証言が偽物とでもいうのですか……!?」
「そうは言わない。ただ、マクシミリアン公がわざわざ僕の元にアンリエッタ嬢を寄越した以上、何かしらの確証があってのものだと、僕は信じる。ここで本題だ、卿らも僕を信じて先代の敵を討ち、ガルドラ公爵家をあるべき姿に戻さないか、ガルオネ伯爵、ガルダス伯爵?」
将校用とはいえ、王族と大貴族が会談をするには小さすぎる天幕。
そこで、歴史が動こうとしていた。
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