第291話 いと高き眼 不死神軍
王都アドナイを一望できる、中央教会の鐘楼。
しかし、無数のアンデッドの存在によって蓄積された高濃度の瘴気が一帯を半球状に広がり、鐘楼すらすっぽりと覆い隠しているため、決して視界良好とは言い難い。
だが、もしも、はるか彼方、雲よりもさらに高き場所から瘴気をも見通す眼が観察しているとしたら、四つの集団の存在に気づくことだろう。
醜くも同族同士で相争う、人族の戦場が。
「陛下!我らが栄光の不死神軍が、雑兵どもを蹂躙しておりますぞ!」
「うむ。皇帝たる私に剣を向けた愚か者共だ、一兵残らず根絶やしにするように伝令を出せ」
「ははっ!」
自分と同じく、命ある人であることを捨てた土気色の顔をした家臣に頷きながら、ルイヴラルドは前を見る。
王宮の蔵から引っ張り出させた、不死神軍の中心にあるこの天幕にいる以上、前線の様子を直接確かめる術は存在しないが、間接的に確かめる魔道具は存在する。
ルイヴラルドの前の長机には、オーガの頭ほどのサイズの巨大な水晶玉が置かれていて、そこには前線で行われているはずの互いの存亡をかけた戦いが映し出されていた。
いや、正確には違う。
水晶玉が見せていたのは、不死神軍が一方的に数倍の敵を蹂躙する殺戮劇だった。
「はははは!圧倒しているではないか!敵が逃げ散っているぞ!」
「いや、待て待て。奴ら、槍を持っているのみで鎧をつけていないぞ。まさか、奴隷兵か?」
「なんということだ。雑兵以下のゴミを我らにぶつけてきたのか!?」
側近たちの言う通り、不死神軍に蹴散らされている敵軍は女子供も交じっていて、戦う意志が見られないどころか陣形も無視して四方八方に逃げまどっている。
なぜか、槍も持たずに敵の方に突っ込んでいって、完全武装のアンデッド兵にあっさり首を飛ばされる者も少なくない。
その混乱ぶりは、とても王都を奪還しに来た軍とは思えない、無様な体たらくだった。
「まさか、ゴミに槍を持たせた程度で我らに勝てるとは思っていまいが、自暴自棄になったのか?」
「なんでもよいわ。我らが皇帝陛下に逆らう者は皆殺しだ。どうせ、全てアンデッドに変えてしまうのだ、捕虜を取る必要もない」
「ふむ、それもそうだな。おい、投降してきた者も全て殺せと命じておけ」
少し前までは同じ人族であったのにもかかわらず、圧制君主でも出さない非情な命令が、天幕の側に控えていた死霊騎士に伝えられる。
瘴気のせいか、曇りがかかったフルプレートを鳴らして歩いていく死霊騎士だが、命令が正確に届くとは限らない。
彼ら、リッチとなった貴族たちは気づいていない。
死霊騎士は、自我を持つことを許されたリッチではない。
もちろん、通常種とは比べ物にならない力を持ち、生前の記憶からある程度の理性ある行動が可能となっている、ハイアンデッドの一種ではある。
しかし、命あった頃のように複雑な戦術を介さないし、会話も不可能。
辛うじて、体に刻まれた経験をなぞりながら、アンデッド兵を率いているに過ぎない。
「しかし、以前はあれほど我らを侮っていた騎士共が、まさかこれほど従順に従うようになるとはな」
「このように楽ならば、騎士など始めからアンデッドにしておけばよかったのだ。ははははは!」
そして、物言わぬアンデッドをあざ笑う元貴族たちもまた、例外ではない。
不死の体に知恵が宿る奇跡は、強大な魔力が栄養の代わりを務めているからにすぎない。
リッチのほとんどが、生前名を残した魔導士である所以でもある。
ならば、魔力が人並みかそれ以下の者がリッチとなればどうなるかと言うと、魔力不足から徐々に思考力が低下し、反応が鈍り、やがて自我を失って普通のアンデッドと変わりない亡者と化す。
すでに、リッチ化からそれなりの時が経っているルイヴラルドの側近達は、自らの意識が薄れつつあることをまだ自覚していないし、おそらく自覚することもないだろう。
最期のその時まで。
「む、ゴミ共の後ろから新手が出てきたようだな。あの旗印、ガルドラ公爵の手の者か」
「なかなか手強そうな様子だが、こちらが主力なのか?」
いまだ右往左往する奴隷兵を押しのけるように、あるいは踏み潰しつつ不死神軍の前に現れたのは、磨き抜かれた金属鎧を纏った、万を優に超える大軍。
そして、ずらりと並ぶガルドラ公爵家とその一門の旗印は、同じアドナイ貴族だった側近達も見間違えようがなかった。
「問題ない。死霊騎士団を押し出せば必ず勝てる」
「ワーテイルに命じれば無限に補充できるとは言え、ただのアンデッド兵を消耗させるのは少々もったいないか。皇帝陛下、いかがいたしましょう?」
伺いを立てる側近達の視線が集中するが、ルイヴラルドの眼は茫洋としていて焦点が定まらない。
生前は蒲柳の質で、病にかかっていない時はほとんどなかった第二王子の実情を知る者にとっては、ルイヴラルドのこの態度が異変の兆しだとは決して思わない。
さらに、両親である国王夫妻を誅した際の激情を思えば、良くも悪くもルイヴラルドの正気を確かめようという気骨のある者は、彼らの中には一人もいない。
唯一、ルイヴラルドの状態を知ることができる人物がいるとすれば、それは彼にリッチ化の秘法をかけたワーテイルに他ならない。
しかし、その稀代の死霊術士がまさか、もぬけの殻のはずの王都で敵に捕らわれているとは、誰も夢にも思わない。
中央教会という後ろ盾を失った筆頭司教など、高貴な血を受け継いでいると今も思っている彼らにとって、下賤の者とそう変わりはないのだ。
その下賤の者の死霊魔法が不死神軍の生命線だと分かっていながら、それでも選民思想を捨てられない程度には、ルイヴラルドについた貴族たちは愚かだった。
「しかし、物見の報告よりもはるかに敵軍が多かったと知った際には、すぐに引き返して王都に籠城すべきかと思ったが、要らぬ杞憂であったな」
「うむ。いざとなれば、ワーテイルに命じて敵の死体をアンデッド化させるべきかと迷ったが、奴め、どこへ行ったのか……」
「なに、卿も知らぬのか?てっきり、誰かの命で王都に残ったのかと思ったが」
戦争の最中にもかかわらず、益体もない会話を続ける貴族達。
それでも、主の言葉を聞き逃すことはなかった。
「ワーテイルのことはよい。敵を駆逐せよ」
不遜にも皇帝を名乗るルイヴラルドの短い言葉に、側近達は一斉に畏まった。
激しい戦い、という表現が正しいのかどうか。
戦いへの恐怖と己への鼓舞が入り混じった喚声が上がるのは、命ある者の証。
当然、不死神軍にはそんなものが必要な者は末端の兵に至るまで存在せず、ルイヴラルドが座す天幕に届くのは遠くで聞こえる他人事の世界だ。
唯一、前線の戦況を知らせる手段は、中央に置かれた水晶型の魔道具だが、それを見てなお騒ぐ者は一人もいなかった。
騒ぐ必要がないからだ。
「こう言ってはなんだが、あまりに予想通りに事が運びすぎて面白みに欠けるな」
「これ、少しは慎め。不死神軍は皇帝陛下の軍。その戦いは常勝を宿命づけられており、死を乗り越えられぬ人族ごときに敗北は許されぬ」
「別に、軽口の一つくらいよかろう。古から今代に至るまで、王都に埋葬された猛者ばかりを集めた死霊騎士団。十倍の敵軍にも後れは取らぬ」
側近達の言う通り、不死神軍の優勢は全く変わっていなかった。
さすがに正規軍だけあって、ガルドラ公爵軍は陣形を乱すこともなく粘り強く戦い続けているが、相手が悪すぎた。
乱れ飛ぶ魔法に、振るわれる名剣名槍の数々。
曇りこそ生じれど風格を留める騎士鎧には傷一つつかない死霊騎士団は、徐々にガルドラ公爵軍を後退させていく。
「さて、ガルドラ軍を崩すのにあと一手、といった具合だな。騎馬隊に側面から仕掛けさせるか?」
「どうだろうな。ワーテイルの奴め、人族と家畜では勝手が違うと言い訳しながら、不死馬は五百騎しか用意せなんだからな」
「よいではないか。仮に騎馬隊を失ったとしても、またワーテイルに作らせればよいのだ」
本来、軍の戦術に照らし合わせれば、騎馬隊は切り札中の切り札。
人馬一体となった重量と衝撃力で敵兵を文字通り木っ端みじんにする、戦場の死神。
その鎌から歩兵が逃げ出すことは不可能、見かけた時が死の時だといっても過言ではない。
それだけに、対騎兵の戦術ははるか昔から研究されており、迂闊に出して全滅でもすれば目も当てられない。
それでも、側近達は騎馬隊に出撃を命じた。
元から戦術を解さないのか、知恵が足りなくなっているのかは神のみぞ知るところだが。
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