第290話 本人の名誉のために


「あー、ちょっと待った」


「……自分は言いたいことを言って、どういうつもり?」


「違う違う、そういう意味じゃないって。俺が人の目を気にする性質だってわかってるだろ……」


 そう、テレザさんに言いわけをしたレナートさんは、二人の様子を見守っていた俺達に向き直った。


「お前ら、盗み聞きするにしても限度があるだろ。邪魔だからどっか行ってろ」


「なによ、そっちが勝手に話し始めたのだから、私達が遠慮するいわれはないわ。それに、色々と面白そう――参考になりそうだし」


「勝手な行動は慎むようにと私達に命じたのは、他ならないレナートではありませんか。非常に不本意ですが、信徒の痴話喧嘩を聞くのも聖職者の務めですので」


「てめえら、いい趣味してるよな……」


 そう毒づきながらも、これ以上の問答は無駄だと悟ったんだろう、レナートさんはテレザさんに視線を戻した。


 もちろん、俺は何も言わない。

 何か言って、女性陣の反撃を食らうのは愚の骨頂だから。


「本題に入る前に一応確認しておくけどな、戦いは終わりってことでいいんだよな?」


「構わないわ。オーグもしばらくは目を覚まさないでしょうし。それとも、私とあなたで決着をつけた方がよかったかしら?」


「おいおい、昔、一度だけ決闘した時にケリがつくまでに何日かかったか、忘れたわけじゃないだろ」


「あなたが『毒蛇』、私が『聖なる鬼人』と呼ばれていた頃ね。懐かしいわ」


「懐かしむほど昔じゃねえし、あれを再現なんかされたら俺もお前も仲良くアンデッドのエサだ。頼むから変な気を起こしてくれるなよ」


「……どうかしら。あなたにとって、私は正気ではないらしいし。ここで昔馴染みを道連れに心中するのも、一つの人生だと思わない?」


「勘弁してくれ。そもそも、お前はそんな重い女じゃなかっただろ」


「……あら、私のことを置き去りにしてさっさと王都から逃げ出した薄情者のくせに、女心を分かったようなことを言うのね」


「ひいぃっ」


 なんて悲鳴は誰からも出なかったけど、誰もが心の中で思っていた。

 そんな表情をリーナもしていたし、いつもはクールなガーネットさんもちょっと顔が引きつっている気がする。

 で、肝心のレナートさんはというと、


「なに言ってんだよ。他の女のことなんざ知らんが、お前の考えてることくらいお見通しに決まってんだろ」


 セリフだけ聞けば、さすがグランドマスターは肝が据わっていると誰もが思うだろう。

 だけど、俺達に背を向けている下半身に眼をやると、あそこだけ地震が来ているんじゃないかと思うほどに、ガクガクに足が震えていた。

 間違いない。テレザさんだけが見ているレナートさんは、顔面蒼白だ。


「そう、それで?」


 その態度に、よほど腹に据えかねたんだろう。

 極上の笑みを浮かべたテレザさんはたった一言だけ言うと、それっきり黙ってしまった。


 ……まあ、一番最初に、この緊迫した沈黙に耐えきれなくなったのが誰か、言うまでもないと思う。

 本人の名誉のために、あえて見て見ぬふりをしておいた方がいいこともあると思う。たぶん。






「あー、お前ら全員が普段からオーグとつるんで色々とやらかし、ギルド総本部の要注意リストに入ってることは俺も承知している。今回の件が表沙汰になればそのままブラックリスト入り、つまり加護剥奪の処分もあり得ることは覚悟の上だよな?そこで、取り引きだ」


 痴話喧嘩というには少々壮絶な一幕のあと、小休止を挟んで。


 気絶しているオーグを改めて拘束してから全員の傷を癒して(必要なものはポーターの荷物から拝借した)、それから沼に沈めていた二十人の冒険者をクレイワークで引き上げて救助した。

 ガーネットさんの言う通り、気絶はしていたものの命を落とした冒険者は加護のおかげか一人もおらず、とはいえ泥の中で溺れた経験は戦意を削ぐには十分な効果があったらしく、武器を取り上げていないにもかかわらず全員がレナートさんの前で大人しくしていた。


「正直なところ、素行不良だが腕のいい冒険者であるお前らを処分するのは、今のアドナイ王国にとって損失の方が大きい。そこで、元の鞘にさえ収まらなければ、今回の件は無かったことにしてやってもいい」


 神妙な面持ちで聞いている辺り、さっきのレナートさんの醜態は彼らにはバレていないらしい。

 まあ、泥沼の中で五感が完全に塞がっていただろうから当たり前なんだけど、もしあの威厳ゼロの情けない謝罪の言葉を一部でも聞いていれば、冒険者達ももうちょっと抵抗してみようかって気になっていたかもしれない。

 もちろん、そこまで考えて泥に沈めたわけじゃない。絶対にだ。


「……本当に、お咎めなしっていうのか?」


「ガルドラ派には戻らないこと、悪事は程々にすること、そこのポーターたちを安全な場所まで連れ帰ること。この三つの条件を飲めばな」


「わかった。だが、オーグをどうするつもりだ?あいつも無罪放免にされると、俺達も困るんだがな」


「心配するな、きっちりカタはつける」


「そうか、じゃあな」


「ああ、またどこかでな」


 あれだけの戦いがあったのに、別れはあっさりと。

 レナートさんの言葉に納得したらしく、リーダーの男は仲間とポーターたちに声をかけて、その足で俺達の前から姿を消した。


「いいんですか?本当にあのまま帰しちゃって」


「いいんだよ。あいつらは冒険者として依頼を受けただけだからな。ちょっと金にがめつすぎるのが問題っちゃ問題だが、腕のいい冒険者は貴重だ。せいぜい、魔物討伐で活躍してもらわないとな」


 そう、俺に向かって事も無げに話すレナートさんの視線が、ピクリともしないオーグに向けられた。


「それで、オーグのことはどうするんですか?まさか……」


「いや、どうもしねえよ」


「え、助けるんですか?」


「助けるわけないだろ。このまま放置、置き去りにするってことだよ」


「置き去りって……」


「スタート地点はアンデッドの群れのど真ん中、全身傷だらけで仲間は一人もおらず、食料などの物資も手持ち程度。ここから人族の領域に無事に帰還する可能性が、どれくらいあると思う?」


「それは……」


 答えられない。

 それは、決して答えが見つからないわけじゃなくて、最悪な結末が見えすぎて口にするのをためらったせいだ。


「冒険者ギルドの処罰の一つに、罪人を魔物の領域に置き去りにする、ってのがある。まあ、ざっくばらんに言うと私刑ってやつだし、めちゃくちゃ違法なんだが、あくまでその冒険者の意思を尊重ってことに書類上はなってる。もちろん、死に値する冒険者にしか適用せんが、無事生還すれば罪を清算、晴れて罪を償ったとお墨付きが出る」


「でも、それって死亡前提の話ですよね。オーグが生き残ったらどうするんですか?」


「いいんだよ、あくまで建前なんだから。実際、やけに勘の鋭い奴だし、拘束したまま連れ帰るってのも無理筋だから、これ以上関わりたくないってのが本音だな。最悪、王都奪還までこれ以上何もしてこなけりゃどうでもいい」


「そうですか……」


 本当に、心底どうでもよさそうなレナートさんの言葉を聞きながら、うつぶせのオーグから目を離す。

 俺には因縁と言えるほどのものは何もないから、レナートさんに含むところがないならどうこう言う義理はないし、つもりもない。

 少しだけ、傷だらけのまま放置というのが引っ掛かっているけど、レナートさんを信じるなら相応の悪人に情けをかけるのは却って災いになることだってあるだろう。


 それよりも、だ。


「これからどうするの?もちろん、聖骸を回収して、ワーテイルを連れて王都を脱出するって前提の話だけれど」


 リーナの言う通り、無事に聖骸を発見したんだから、王都に長居する理由はどこにもない。

 気がかりは、予定外のワーテイルの存在だけど、相変わらず本人も大人しくしているし、レナートさんが連れ帰ると判断したなら俺も文句はない。


 だけど、予定はあくまで予定だった。


「聖骸の回収はきっちりやるが、脱出は延期だな」


「延期って、王都にもう用はないはずよね?」


「用はないが、ルイヴラルドを始めとした不死進軍の行方を確認せんことにゃ、おちおち移動もできんからな」


 レナートさんにそう言われて、今さらながらに王都の異変を思い出す。

 人族繁栄の象徴から一転、瘴気に満ちた廃墟に変えた無数のアンデッド。

 動きは鈍く知能も退化しているとはいえ、数の暴力で四方を囲まれれば全滅は免れない。

 帰路についてもレナートさんにお任せである以上、俺達はその指示に従うしかない。馬鹿正直に王都門を出たところでアンデッドが待ち構えていたら、その時点でジ・エンドなのは間違いない。


「では、まずは適当なところに仮の拠点を置いて、最低人数で偵察に出る必要がありますね。レナート、指示を」


「拠点は、アンデッドが居なさそうな屋内ならどこでもいいだろう」


 ガーネットさんにそう言いながら、手近にある建物を指したレナートさんは、


「偵察は、俺とテイルで行う。ガーネットとリーナ嬢は、拠点の確保とワーテイルの監視だ。異論は認めんからな」


「文句なんか言わないわよ。けれど、偵察だったらレナート一人の方が都合がいいんじゃないの?」


「今回は、ちょっと高いところから不死進軍を探すからな。目がいい奴がいた方が観察しやすい。その点じゃ、俺とテイルがツートップだ」


「そうかもしれないけれど、高いところって?」


 リーナの反問に頷いたレナートさんが、別の建物を指さす。


 中央教会の鐘楼。

 王宮に匹敵する、王都で最も高い建物だ。


「さてさて、王都の外はどうなっているのかね」

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