第265話 雨のジオグラッド


 貴族が絡む行事は晴れの日を選ぶことが多い。

 その理由は神々の祝福とか、雨の日は魔物が寄り付きやすいとか、迷信めいたことが色々言われているけど、俺はそのうちの一つを推したい。

 誰だって、泥だらけの地面を歩くのは嫌だろう?






 王都奪還のためのジオグラッド公国軍の激励を兼ねた、大天蓋造成式。

 その当日の早朝に明日への順延が、順調に建設が進んでいる新公都ジオグラッド中に告げられたのは、ある意味で予定通りの出来事だった。


「雨ですね」


「雨ですねえ」


「雨の日は客足が鈍るんですよね」


「騎士団なんて、体が冷えようが泥に塗れようが訓練内容に変わりがないのですよ」


「大変ですね」


「大変なんです」


 衛士隊の仮宿舎に間借りしている俺の部屋で、おもむろにやって来たリーゼルさんと屋根を打つ雨音を聞きながら、他愛もない話で暇を潰している。

 公国の騎士でジオグラッド建設の責任者でもあるリーゼルさんがこんなところにいてもいいのかと疑問に思ったけど、なんでも準備は全て済んでいて、明日への順延の調整も済んでしまったのだそうだ。


「こういう時に慌てて動いても良いことは一つもありませんから。貴族は常に優雅たれ、という先人の教えも、こうしていると身に染みて感じるものですね」


 リーゼルさんは貴族の跡継ぎなのに、全然偉ぶったところがない。

 それでいて騎士としてかなり強いうえに(俺予想)、頭も切れて顔立ちも整っていて、完璧を絵に描いたような人だ。

 これで平民の俺と付き合ってくれるほど人柄も良いっていうんだから、聖人か何かかと思ってしまう。

 ただ、時々見せる黒い一面というか、笑顔の裏に本心を隠している気がして、あと一歩踏み込んだ関係になれない。


「それは当然です。私ごとき非才の者が、恐れ多くも公王陛下のようにテイル殿の信頼を得ようなど愚かの極みというものです」


「……また俺の思考を読みましたね」


「これは、テイル殿の考えを一日でも早く理解しようと努めた結果、偶さか獲得したスキルです。ああ、ジョブの加護とは無関係ですのであしからず」


「自然に身についたものだから許してほしいってことですか?」


「公王陛下の代理の未熟な点ということで、是非ともテイル殿の寛容な心に縋りたいところです。それと、この際ですのでもう一つ、知っていただきたい欠点があります」


「別に、ジオと比べることもないと思いますけど、なんですか?」


「私が、テイル殿にとって信頼すべき相手ではないということです」


 聴覚を強化したわけでもないのに、雨音が強くなった気がする。

 きっと、リーゼルさんから飛び出した言葉の残響を拾おうとして意識を集中したせいだと、頭の冷静な部分で理解したからだろう。


「人族存続のため、ジオグラッド公国を打ち立てた公王陛下の深謀遠慮には尊敬の念を禁じえませんし、公王陛下のためにこの身と剣を捧げる覚悟はできています。ですが、それもこれもキアベル家あってのものです。必要となれば、テイル殿を後ろから貫くことに躊躇うつもりはありません。どうか、私に背中を預けることがないように願います」


「……その、妙に義理堅いところはジオそっくりですよ」


 本当にそっくりだ。

 ついでに、裏切るかもしれないと言っておいて、悪びれる表情を見せないところも。


「それは光栄です。――おっと、そろそろ頃合いですね」


「え?今日は一日暇なんじゃ?」


「ははは、見縊ってもらっては困ります。これでも、ジオグラッド建設の現場指揮を任された身です。明日に順延された大天蓋造成式の賓客の中には、悪天候を押して前日入りする方もおられるのですよ。出迎えに行かなければ失礼ではすみません」


「じゃあ、ここに来たのって……」


「はい。ここは地表にあり、雨に打たれることなく客人を待つにはうってつけの場所でしたので、利用させていただきました」


「まさか、さっきまでの会話も暇潰しのための出まかせとか言うんじゃ……」


「ははは、ご想像にお任せします。では、テイル殿も頑張ってください。健闘を祈ります」


「え、ちょっ、リーゼルさん?」


 そんな謎の言葉を残して、リーゼルさんは俺の制止も聞かずに部屋を後にした。






 雨で順延になったとはいえ、衛士隊には出動待機の命令が出ているそうで、今日は炊事場で食事を作る必要がない。

 ということは、俺の仕事も自動的になくなるわけで、雨の日にわざわざ下層までの長い道を往復しなくて済む一方、どうしても手持ち無沙汰になってしまう。

 そういう意味じゃ、リーゼルさんとの雑談は俺も助かっていたんだけど、途端に暇になってしまった。

 ――訪れる人なんてほとんどいない部屋のドアがノックされるまでは。


「あ、今開けます」


 ドアを開けると、旅装の上に剣を提げて、激しく落ちる滴で通路の床にできた水たまりを気にする風もない、文字通り水も滴るいい女が立っていた。


「久しぶりね」


「ひ、久しぶり」


 リーナだった。






 衛士隊の仮宿舎にはかなり切実な理由で、仮の施設にはぜいたくな風呂場が併設されている。

 まあ、設置の許可が出たのは初級魔法を駆使して、風呂場建築の経験がある衛士が指揮して自前で作ったことで、予算の問題をクリアできたのが大きいらしいけど。

 あくまで噂だけど、ジオグラッド建設を視察に来た下級貴族が、たまたま目にした風呂場のあまりの出来にお忍びで入浴していったとかいかなかったとか。

 ただまあ、恐れ多くも公爵令嬢がそんなところで汗を流すならぬ体を温めるのは身分以上に問題があるわけで。


「まったく、なんでこの私がこんなところで……」


「仕方がないだろ。湯を沸かすのは夕方からって決まっているんだ」


 雨の中、ジュートノルからの短い距離を徒歩で来たと思えるリーナはずぶ濡れの状態だった。

 このままじゃ風邪を引きかねないけど、男しかいない仮宿舎の風呂場に連れて行くわけにはいかない。

 困った時のリーゼルさんもさっき別れたばっかりで頼るわけにはいかず、苦し紛れに考え出した方法が、リーナをこの部屋で湯浴みさせることだった。


 人が入れるサイズのタライを用意して、初めて入る仮宿舎の炊事場でいくつもの大鍋に水を入れてを火にかけて、沸いたそばから持ち出して部屋のタライに注ぐ作業を繰り返して。

 とにかく湯浴みの準備に必死で、ついつい何のために頑張っているのかを度忘れしてしまっていた。

 アホと罵られても文句は言えない。


「ねえ、このベッド、ちょっとクッションが悪くない?」


「そりゃあ、貴族の寝室と一緒にされたら……リ、リリリ、リーナ、なんで俺のベッドに?」


「なんでって、このままじゃ風邪を引いちゃうでしょう?」


「じゃ、じゃあ、その辺に転がっているのは……」


「私の服だけれど?もしかして、テイルは濡れた服でベッドに上がる趣味があるの?」


「かはっ!?」


 一瞬で頭に血が上って、鼻の奥から熱い血が流れだす。

 なんと、俺が湯を沸かしている間に、リーナは服も下着も脱ぎ捨てて部屋のベッドにもぐりこんでいた。

 辛うじて 鼻血が出るのを手の甲で阻止して、ベッドに背を向けた。


「しょうがないじゃない。テイルに断ろうにも勝手にどこかに行っちゃうし、濡れた服は気持ち悪いし」


「だ、だからって……」


「それよりも、湯浴みの準備をしてくれたんでしょう?」


「わー!?そのまま出てくるな!!」


 一度ならず二度までも。

 タライから湯気が立っているのを見たリーナは、俺の返事も待たずにベッドから出てきた。

 もちろん全裸のまま。

 タイミング悪く振り返った首を無理やり元に戻して、なんとかリーナをはっきりと見ずに済んだ。


「……はー、生き返るわ。テイル、ありがとう」


「ちょっと待てちょっと待て!!」


 ご褒美と呼ぶべきか、それとも罰と呼ぶべきか。

 そんなどうでもいいことで頭の中をパンクさせながらできるだけリーナの方を見ないようにして、たまたま部屋に置きっぱなしになっていたついたてを立てて、なんとか禁断の光景と自分の視界を遮る。

 それでようやく沸騰していた頭が冷え始めて、リーナの着替えがないことに気づいた。


「リーナ、着替えが俺のものしかないんだけど、ちょっとの間我慢してくれ」


「なによ、この私に平民の男の服を着ろっていうの?」


「じゃあ、女性用の着替えを誰かから借りてくるから、そのまま待っていてくれ」


「他の男が部屋に入ってきたらどうするのよ」


「カギは掛けていくし、もし誰か来ても居留守を使って構わないから」


「だめ」


「いや、だめって言われても……」


「大丈夫よ。今日いっぱい、ここには誰も近づかないようになっているから」


「は?どういうことだ?」


「予めリーゼル殿に手紙で頼んでいたの。ちょっとテイルと大事な話があるから、場所を貸してほしいって」


「頼んでおいたって……っ!?」


 雨が降る外に出るためにマントを手にしてドアに向かう中、意味不明なリーナの言葉に振り向いた瞬間、


「私、今回は引くつもりはないの」


 俺の前に立って白く輝く裸身を惜しげもなく晒すリーナに、今度こそ目が逸らせなかった。

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