第266話 その夜
※この話は夜の営み的なシーンが登場します。具体的な描写はできる限り避けていますが、苦手な方は飛ばしてください。
足は凍りついたように動かず、手は震えが止まらず、鼓動は壊れたようにうるさい。
それでも、生まれたままの姿のリーナを見ることをやめられない。
リーナの裸なんて想像したことはない。
――嘘だ。本当の本音で言えば、頭に思い浮かべたことがある。
ただし、冒険者学校時代に何人かの同期の下世話な会話を聞いたせいだ。言い訳じゃないけど、自発的に考えたわけじゃない。
確か、任務以外の突発的な襲撃を想定した訓練の時だったと思う。
装備は一つも身に付けず、武器は護身用のナイフだけという設定で、平服姿のリーナが教官相手に立ち回る姿は、男女問わず見学していた俺達を魅了した。
そんな中、普段より薄着のリーナを見て卑猥な妄想を次々と披露する野郎どものひそひそ話を、偶々すぐ後ろにいた俺が聞いてしまった。
当然、不快になった俺はバレないように野郎どもの一人の後頭部に怪我しないサイズの小石を当てて会話を中断させたわけだけど、大変なのはその後だった。
中断させたはずの下世話な妄想が今度は俺の頭を回り続けて、しばらくリーナの顔を見られなくなってしまった苦い記憶が、今も鮮明に残っている。
思えば、あれがリーナを意識するきっかけの一つになったわけだけど。
まさか、あの時の妄想が現実の光景になるとは、文字通り夢にも思っていなかった。
「……ひ」
「ひ?」
「引くつもりはないって……」
「ここまでしているのに、これ以上私に言わせる気?」
そう言ったリーナの頬がほのかに染まる。
湯浴みのせいか、うっすらと湯気が立ち上る肢体は白さが際立っていて、引き締まった輪郭をこれでもかと強調している。
出るところは出て、引っ込むところは引っ込んで。
健康的な肉体美は惚れ惚れとするけど、俺を見る濡れた瞳が否が応でも欲情を掻き立てる。
今、指一本でも動かそうものなら、理性を抑えきれる自信がない。
そんな俺の葛藤を知ってか知らずか、
「この朴念仁」
一瞬、なにが起きたのかわからなかった。
普段よりも近い、すねたような声の後で、熱い何かが胸に寄りかかってきた。
「大丈夫、ターシャも許してくれたわ」
その悪魔のささやきのような言葉が本当か嘘か確かめる前に、俺の理性は弾け飛んだ。
「ん、思ったよりは痛くなかったわね。思ったよりは」
二人並んで寝るには手狭なベッド。
その上でどれくらい過ごしただろうか。
一緒にブランケットに潜り込んでいるリーナが息を弾ませながら、俺の腕の中で自分に言い聞かせていた。
どうやら、まだ痛みが残っているらしい。
男女の営みはリードする側とリードされる側に分かれると聞いたことがあるけど、そういう意味じゃさっきの俺は終始リーナに押されっぱなしだった。
キスされて、抱き着かれて、爪や歯をを立てられて。
今じゃ、リーナにつけられた印だらけで、残っている部分の方が少ないくらいだ。
いつものリーナ以上に大胆な仕草だったけど、それは俺も同じことだ。
服の上からは分からなかったけど、冒険者ならではの引き締まった肉体にはしなやかさと柔らかさが両立していて、体を重ねている間は何度意識を失ったか分からない。
今も、こうして腕の中にいるリーナを見ているだけで、いつ獣に戻るか分からないくらいだ。
だけど、その前にどうしても聞いておかないとならないことがある。
「リーナ」
「なに、またするの?」
「……そろそろ、俺に会いに来た理由を聞いてもいいか?」
「もちろん、抱いてもらうためよ」
「だっ!?……それにしても、そう思ったきっかけがあるはずだろう。王都奪還軍に参加するって決意するきっかけが」
男女の機微に疎い俺でも、リーナの考えていることなら少しは分かる。
俺がジュートノルを去った後、責任感の強いリーナがターシャさんを気遣って頻繁に白いうさぎ亭を訪れてくれていたのは簡単に想像できる。
それにもかかわらず、このジオグラッドにやって来たということは、それ相応の理由があってのことだ。
そして、このタイミング。考えられるのは一つしかない。
「テイルのくせによく分かったじゃない」
「他に思いつかなかっただけだよ。半分はカマをかけていただけだ」
「まあ、ここでしらを切っても後でバレてしまうわよね」
「といっても、冒険者のリーナが正規軍に入れるわけがないし、配属先は遊撃隊か?」
一般人に加護を与えた衛士隊が大半を占めるジオグラッド公国軍だけど、当然他のジョブの持ち主も存在する。
王都からジオに付き従ってきた烈火騎士団やマクシミリアン派貴族軍で構成される、公国騎士団。
ミザリー大司教の下に集まった、治癒術士部隊。
そして、公国領内の冒険者の中から義勇兵を募って結成された、遊撃隊。
「主な任務は、公国本軍の露払いや援護、偵察とか聞いているけど、実態は実戦経験が少ない本軍を温存するための捨て駒って噂もある。はっきり言って危険すぎる」
この遊撃隊の情報をくれたリーゼルさんは「貴重なベテランを捨て駒にする余裕など公国にはありませんよ」と付け加えていたけど、任務の危険度に関しては否定も肯定もしなかった。
つまり、その時々次第でそうなる可能性が高いってことだ。
「お兄さんは反対しなかったのか?」
「お兄様は私に甘い人だけれど、甘やかされたことは一度もなかったわ。今回は、事前に私の考えを手紙にして伝えていたから、特に妨害されなかったわ」
「だとしても、あのお兄さんが心配していないわけはないだろう」
「別にお兄様のことは……ひょっとしてテイルも心配なの?」
「ちょ、ちょっとは」
「ちょっと?」
「……かなり心配だ」
「素直に言ってくれてうれしいわ。テイルの言う通りに止めてもいいんだけれど、先約があるのよね」
「先約?」
「ターシャ。私のことはいいから、テイルのことを守ってほしいって」
「……自分のことは二の次なターシャさんの言いそうなことだな」
「白いうさぎ亭で接客をやってみて、私が運んだ料理を美味しそうに食べる客の笑顔を見ているは楽しいし嬉しいけれど、ターシャには実力も経験も敵わない。だから、私はテイルの背中を守ることにしたの」
「リーナ……」
「だから、これからよろしくね、パーティリーダーさん」
「は?」
呆然とした隙を突いて、体を入れ替えてきたリーナが俺の上に乗る。
「正式な辞令はまだだと思うけれど、公王陛下直属の特別小隊として、私もテイルも配属されるそうよ」
「な、なんでそんなことを知って――」
「あら、私のお兄様は公国軍の総司令官よ。元帥杖を持っているかどうかは知らないけれど、ノービスの英雄の側近の人事権くらいは持っているのよ。もしかして、私が捨て駒にされると誤解していたの?」
「まさか、お兄さんに出した手紙って……」
「ご名答。私に甘いお兄様はすぐに手配してくれたわ」
小悪魔のような笑顔――いや、今はサキュバスにしか見えないな。
とにかく、俺の驚く顔が見たかったと言わんばかりに満足そうなリーナ。
一方、これが今生の別れになるかもしれないと悲壮な覚悟を決め始めていた身としては、このままやられっぱなしっていうのは不本意でしかない。
なので、
「……じゃあ、これからよろしく、な!」
「きゃっ」
腹筋に力を入れて、クスクス笑うリーナの不意を打って再び体を入れ替える。
ベッドに仰向けになったリーナは抵抗する素振りもなく、豊かな胸を弾ませながら俺の眼を見ている。
「守るのは俺の方だ」
「テイル?」
「リーナも、ターシャさんも、白いうさぎ亭も、全部俺が守って見せる。だけど、いくら俺でも背中に眼がついているわけじゃない。だから、背中はリーナに預ける。それ以外は俺に頼ってくれ」
「……わかった。けれど、今夜ターシャの名前を呼ぶのはこれで最後にして」
「リーナ……」
「今は私だけを見て」
この後、何が起きたのかは、俺とリーナの名誉のために誰にも言うつもりはない。
まあ、俺の部屋に誰も近づかないように人払いしてくれたリーゼルさんは察しているだろうけど、ジオやお兄さんに詳しく伝わらないことを祈るばかりだ。
リーナと二人きりの夜は、渇いた砂漠に雨が降り注ぐように、心が満たされる出来事だった。
これまでの想いをぶつけ合うように、それ以外のことは目もくれず、お互いを求め合った。
だけど、心のどこかで明日からの戦いの日々を確信しているから、余計に俺達の気持ちは燃え上がった。
だからだろう、良いことの後には悪いことが起こるという迷信が当たったのは。
久しぶりに夢を見た。
あの悪夢を。
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