第262話 衛士隊の内情
新公都ジオグラッドは深皿のような形で、下層に行けば行くほど傾斜は緩やかになっている。
逆に、地上に近い上層は、まだ人が住める構造になっておらず、絶壁に沿った階段や運搬用の滑車付きのロープとかが主な移動手段だ。
そういうわけで、衛士を始めとした建設に従事している人たちの住居は、地上と下層の二手に分かれていて、それぞれの現場近いところで寝起きしているらしい。
とはいえ、安全性とか住み心地とか考えると宿舎のほとんどは下層にあり、そこを数千人の人々が行き交えばお祭りのような賑わいになる。
だというのに、
「料理ですか」
「知り合いに泣きつかれたんです。毎日食事がまずくて死にたくなるって」
その知り合いっていうのは、最近ジュートノルからジオグラッドに異動になった冒険者学校の元同期、今は衛士のミルズなんだけど。
正直、衛士隊のことに手を出すのはどうかと思ったけど、ミルズには白いうさぎ亭のことで世話になったし、今の俺は居候みたいなものだし。
そんなわけで、新公都の建設にかかわるでもなく、衛士隊の炊事場に通うことになったんだけど。
そこでは想像を絶する惨劇が繰り広げられていた。
「まさか……これが今日の昼食ですか?」
「そうです。俺がレシピを教えました」
愕然としているリーゼルさんの前にあるのは、色素の薄い野菜のスープと保存に適した黒パン。
言うまでもなく、衛士隊の今日のランチメニューだ。
「なんですか、この固いパンは?まさか、労働力としてオーガを使役するためのエサ……?」
「ふつうに人族の主食ですよ。ほら、そのスープにひたしたり、一緒に口に含ませて食べるんです」
「な、なるほど、では失礼して……あ、味が、ない?」
「いや、ちゃんと塩を入れてますよ」
「塩?塩を入れただけで味付けをしたつもりなのですか?
俺の説明にさらに驚いた顔を見せるリーゼルさん。
決して美味しいと思っていないのはその苦しそうな表情から歴然なんだけど、育ちの良さからか野菜くず一つ残すことなく食べ終えた。
そして、横で見ていた俺に、
「平民の中には貧しい暮らしを強いられている者も少なくないと聞いていましたが、まさかこれほど貧相な食事を日々の活力としていたとは……なぜもっと早く教えてくれなかったのですか!?」
「そんなわけないでしょう」
「え……?」
「こんな量の食事で、公都建設なんて重労働ができるわけないじゃないですか」
なぜかリーゼルさんに説教する立場になってしまっているけど、衛士隊の食糧事情を知ってショックを受けているのは俺も同じだ。
「あくまで知り合いの証言ですけど、補給自体はちゃんと来ていたみたいですよ。来ていただけだったそうですけど」
「来ていただけ、ですか?」
「貯蔵庫もなければ、適切な保存方法を知っている料理人もいない。結局、食べきれなくて腐らせた生鮮品は泣く泣く焼却処分するしかなかったそうですよ」
「あ、そういえば、五日前に下層部から煙が立っていると報告を受けましたが、たしか、ちょっとした小火で問題なしという話だったはずですが」
「そりゃ言えませんよ。どこの兵士が自分たちで食料を腐らせたのに追加要求できるんですか。しかも、相手は騎士ですよ」
発足したばかりの衛士隊はまだまだ組織として確立したとはいえず、烈火騎士団の一部やマクシミリアン公が集めた騎士で最近結成された公国騎士団に、一時的に指揮権を委ねているそうだ。
今は古参の衛士が軍務の諸々を学んで、いずれは独立させて対等な関係にする予定らしいけど、補給物資を始めとした全ての陳情は公国騎士団を通している現状だそうだ。
「他の炊事場は元料理人や狩人がいたりして、それぞれで工夫してなんとか急場を凌いだらしいですけど、運悪くここには経験者が一人もいなかったそうです。それで、後始末が終わった頃にたまたま通りかかった俺に、知り合いが泣きついてきたんです」
「……ここ数日の間、衛士隊の作業効率が落ちていると聞いていましたが、原因はそれでしたか」
「一応、このメニューで最低限の栄養は摂れていると思いますし、次の補給までは持つはずです。ただ、貯蔵庫と料理人の手配は今すぐにでも必要だと思います。あと、塩以外の調味料も」
今回は、たまたま白いうさぎ亭での経験が役に立ったけど、俺は別にプロの料理人ってわけじゃない。
食材ごとの保存方法なんて知らないし、大勢のための食事を一気に、しかも毎日作るほどの腕もない。
腹が満たされていればなんとでもなる、とよく言うけど、腹を満たす側は大変なのだ。
「騎士団ではお抱えの専属料理人がいるので、完全に盲点でした。となると……」
「どうかしたんですか?」
「テイル殿、一つお願いがあるのですが」
「ものすごく嫌な予感がするのでお断りします」
ほぼ反射的にリーゼルさんの言葉を遮った俺の判断に、間違いじゃないと思う。
だけど、間違いじゃないだけだった。
「平民びいきと騎士仲間から揶揄される私ですら、これほどの誤解があったのです。この際、直せるところは徹底的に直しておきましょう!というわけでテイル殿、これから私の執務室で新公都建設計画の見直しに、平民目線で助言していただけませんか!?ありがとうございます!では参りましょう!」
一応、名誉のために言っておくと、早口でまくし立てるリーゼルさんに対して、この間、俺は一度も返事をしていない。
リーゼルさんに一方的に納得されて一方的に腕を掴まれて一方的に引きずられていく様は、ランチのために戻ってきたミルズ以下衛士の人達からどう思われるんだろう、なんてちょっとした現実逃避をしながら、俺は炊事場を後にした。
数日後。
衛士隊の食事の支度の間以外の全部を計画見直しに付き合わされた結果、寝不足気味でスープの火加減を見ているところへ、晴れやかな笑顔のリーゼルさんがやってきて、
「先日はご協力ありがとうございました。ようやく、今後の目途がつきました」
「それを俺に報告する必要はないんじゃ?」
「そう仰らずに。実家から茶葉を持ってきたのですが、従者が不在で飲めないんですよ」
「で、俺に淹れろと?」
首を振るでも頷くでもなくニコニコとこっちを見てくるリーゼルさんに根負けして、素人知識で何とか風味を殺さずにお茶を淹れる。
炊事場に備え付けのテーブルの二つしかない椅子の片方に座って、我ながら上手にできたと内心満足していると、反対側でかちゃりとカップを置く音がした。
「貯蔵庫と料理人の件ですが、テイル殿の要望通りに話が進むことになりました」
「そうですか。それはよかった」
「さすがに、補給物資が正しく消費されない状況は見過ごせませんから。迅速に対応できて本当によかったです」
「なるほど」
「……」
「……」
「……で?」
「話は終わりです」
「いや、いやいやいや、その他にも問題が山積みだったじゃないですか。もちろん、ちゃんと解決するんですよね?」
思わずカップを落としそうになりながら突っ込むと、リーゼルさんの笑みの種類が変わった――口角は上がるけど目は笑っていない、威圧の表情に。
「テイル殿は、公国の今年の税収がどの程度かご存じですか?」
「い、いえ、全然知りません。すみません……」
「いえ、テイル殿の無知を責めているわけではありません。結論から言いますと、ゼロです」
「えっ!?」
「今はまだ、と注釈がつきますが。単に、収穫の時期がまだ来ていないというだけですよ」
「なんだ、焦って損した……」
「ただし、そんな状況で建国祭を執り行い、今も新公都建設に巨額の予算を投じているのです。すでに王国代官領時代のジュートノルの蓄財はほぼ使い果たしました。その上で、間近に迫っている王都奪還に備えなければならないのです」
「あ……」
「言い訳になりますが、本来公国に平民の事情にまで気遣う余裕ないのです。今回は、衛士隊の士気に大きく関わるということで特別に予算を組みましたが、テイル殿の進言でなければ即座に却下していたでしょう」
「じゃあ、これからはどうしろというんですか?」
「そのための衛士隊です」
「自分たちで何とかしろってことですか?」
そう言いながら、次第に頭の中で理解が広がっていく。
それは、俺自身がノービスのことを一番よく分かっていたからだ。
「戦闘、魔法、治癒。これらを駆使してできないことなどほぼありません。さすがに料理のスキルは一朝一夕で身に付きませんが、食事での苦しみが続けば、やがて自分達で何とかしようという気概が湧いてきたことでしょう」
「リーゼルさんは、ジオは衛士隊に何を求めているんですか?」
「人族が生き残るための力を。公王陛下はそれのみを望んでいます。もちろん、私もです」
「……なんだか、荷が重い話ですね」
「こんなことを衛士隊に直接告げたりはしません。告げる場合があるとすれば、それこそ人族存亡の危機が来た秋でしょう」
そう言ったリーゼルさんは、すっかりぬるくなったお茶に口をつけた。
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