王都決戦

第261話 要塞都市ジオグラッド


 目を開けると、知らない天井が見えた。

 木の骨組みだけで屋根裏がそのまま見える、殺風景な天井だ。


 普通なら、その間に板天井を並べて寒さや湿気を防ぐんだけど、今は夏場だからそこまで問題はない。

 なにより、この部屋は突貫工事の掘立小屋みたいなもので、とりあえず雨風さえ凌げればいいという目的で造られた建物の一室だ。

 住み心地なんて度外視なわけだから、文句を言っても仕方がない。


 それに、ここに長く住むわけじゃない。


 まもなく出発するジオグラッド公国軍の仮の宿舎。

 今、その一室を借りて寝起きしている。






 要塞都市ジオグラッド。

 この物々しい名前を付けた奴が誰なのかは言うまでもないけど、どういう意味を込めたのか。

 それは、実際に目で見ないと分からないと思う。

 それくらい、ちょっと信じられない光景が広がっていた。


「テイル殿、おはようございます」


「……おはようございます」


 起き抜けの体を覚まそうと、井戸で顔を洗うために宿舎を出たところで、俺のことを待ち構えていたとしか思えない、さわやかな笑顔のリーゼルさんに出くわした。


 ……暇なのかな?


「いえいえ、書類仕事の前に軽く散歩をしていたところ、たまたまテイル殿の部屋の前を通りかかっただけですよ」


「俺の考えを先回りするの、やめてくれませんか」


「これは失礼。努力はしますが我が家の癖みたいなものですから、そうそう治りません。ところで、母と会ったそうですね」


「ああ、はい。なんていうか、よく似たお母さんですね」


「そうですか?母は涼しい顔をした腹黒とよく噂されますが、私は違いますよ」


「いや、そっくりですね」


 俺の言葉に納得いっていないのか、首をかしげるリーゼルさん。


 ジオとセレスさんの結婚を見届けた直後、建設中の新公都にやって来た俺を出迎えてくれたのがリーゼルさんだった。

 早朝にもかかわらずこの笑顔でそのまま仮宿舎に案内してくれて、今日まで何も聞かずに時々無駄話をしに来てくれている。


 ……いちおう感謝はしているんだけど、俺に会いに来るのに明らかな嘘の理由を言うのはなんでだろうな?


「ああ、それは」


「言わなくていいですよ」


「おっと失礼。これ以上はテイル殿に嫌われそうですね。それはそうと、ここにはもう慣れましたか?」


「生活には。でも、この絶景を見慣れる日が来るのか、ちょっと自信がないですよ」


 そう言いながら、リーゼルさんと並んで歩く右側の光景を眺める。

 ――見通すでも見上げるでもなく、見下げる形で。


「公王陛下の御名を冠した要塞都市にして公都、ジオグラッド。災厄に立ち向かう人族最後の砦として、可能な限りの衛士を労働力として投入し、通常ではありえない工期で完成を目指している最中であるわけですが」


「これ、大きすぎじゃないですか?」


 一言で表現するなら、大地をくりぬいて作った巨大なお皿。

 その中に無数の通路が縦横無尽に伸びて、隙間を埋めるように建物がびっしりと並んでいる。

 この規模の街はアドナイ王国にもいくつかあると思うけど、まさかその街並みを上から一望できる日が来るなんて、想像すらしていなかった。


「建設を始めておよそ百日。そして動員した衛士は見習いを含めても約一万人。いくら魔法の力を借りているとはいえ、これほど迅速に建設が進むとは。正直なところ、ノービスの加護を見くびっていました」


「いやいや、ノービスの加護だからって、こんなことまでできませんよ……」


 最初にこの光景を見せられた時には、俺も腰を抜かしそうになった。

 抜かしそうになって、巨大なお皿の淵から落ちそうになって、ギリギリのところでリーゼルさんに助けられたことは多分一生忘れない。


「あの時は本当に息が止まるかと思いました。もし、テイル殿を死なせていたら百度この首を刎ねられても公王陛下に顔向けできませんから」


「……だから、なんで俺の考えていることがわかるんですか」


「都市の最下層を恐ろしげに見ていましたから。今のは分かりやすかったですよ」


 そう言われてみれば、そんなことをしていたかもしれない。

 改めて落ちないように気を付けようと思い直したところで、ふと巨大な都市の反対側に目が行って、同じくこっちを見ている人影に気づいた。


「本来ならば柵の一つでも設けて安全を期すべきなのでしょうが、一日の工期の遅れがジュートノルの全ての民を犠牲にする結果になりかねない状況ですので、防衛機能の獲得を最優先に進めています」


「危険じゃないんですか?その、俺みたいにうっかり落ちそうになったりとか」


「落下事故だけで怪我人は637人、そして59人の犠牲者が出ています。継承重症全ての事故を含めれば、およそ三千人といったところでしょうか」


「えっ!?」


「もちろん看過していい数字ではありませんし、事故のたびに全衛士に知らせて危機感を持たせてはいます。ですが、都市機能が最低限整わないうちは王都奪還の軍を興せないとの公王陛下の思し召しです。我らには多少の犠牲を顧みる余裕はないのです」


「それにしたって……」


 俺が非難の目を向けたことで、リーゼルさんの眼が少し揺れ動いた。

 その次に飛び出してきたのは、衝撃の一言だった。


「実は、ジオグラッド公国内の集落が一つ、十日前に滅びました」


「と、十日前……!?」


「集落はまだ初心教の司祭が訪れておらず、ノービスの加護が与えられていない状態でしたが、衛士五人が常駐して住人を守り、巡回も定期的に行われて、一定の安全を確保したはずでした」


「なのに、全滅したんですか?」


「集落から緊急の狼煙が上がり、急行した烈火騎士団の騎馬部隊が到着した時には、すでに生存者は一人も発見できなかったそうです。報告書によると、集落には数えきれないほどの獣の足跡があり、付近の森を行き来していたとか」


「じゃあ、やっぱり……」


「とうとう、災厄が本格的に公国を侵し始めたということです。今や、いつどの集落が災厄に飲み込まれてもおかしくなく、民は魔物の脅威に怯えているというわけです」


 ああ、なるほど。

 だから、


「だから、この要塞都市を急いで造っているんですか」


「その通り。守りに適した集落は衛士を送り込んで拠点とし、その他の民はこのジオグラッドに移住させ、災厄に立ち向かえる公国へと作り直すのです」


 ここ最近、とある事情で多忙を極めていた俺にとって、ようやくリーゼルさんから事情を聞かされた瞬間だった。






「――で、どこまでついて来るんですか?」


「どこまでと聞かれれば、どこまでもとしか言いようがないですね」


「……は?」


「いえ、テイル殿がジオグラッドに向かったと知った公王陛下から、一日の行動の報告書を至急送れと矢の催促でして。とはいえ、ジオグラッド建設の監督役である私の身は一つで、ここ数日はなかなかその余裕もありませんでした」


「じゃあ……」


「はい。地獄のような量の書類仕事に一区切りがついたので、ようやくテイル殿の一日を観察する余裕ができたというわけです。今日はよろしくお願いしますよ」


「どう考えても面倒くさそうなんでお断りします」


「では、公都ジオグラッド臨時代官としての命令です。テイル殿の一日の様子を見せてください」


 どうやら、ジュートノルを出て初めて、気の休まらない一日になりそうだ。

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