第260話 SS ガルドラ公爵派


 ガルドラ公爵領公都、ガルドランド。


 その街並みは他の貴族領とは違い質実剛健といった様相で、王国一と謳われる強固な三重壁は軍事都市の性格をよく表している。

 それでも、アドナイ王国に広大な領地を有する大貴族の中心都市として、いつもは平民を中心に多くの人が行き交い活況を呈しているのだが、この日は大通りからも裏路地からも人が消え、その代わりにいかめしい出で立ちの衛兵が辻々に立って周囲を警戒していた。

 そして、この厳戒態勢の原因は、中枢たるガルドラ城にあった。






 ガルドラ城、軍議の間。

 平時は儀礼や社交の場として使われる大広間だが、この日は本来の目的で使用されていた。

 すなわち、ガルドラ公爵その人が招集した軍議である。


「補給など道中の村々で徴収すれば済むことではないか!我らがアンデッド共を駆逐してやるのだ、民も不満はあるまい!」


「それが愚かだというのだ!多少のことなら耐える平民も、食べ物の恨みは末代まで忘れん!ましてや、今はゴブリン討伐で度重なる供出を命じた直後だ。ここでさらに民から奪えば反乱も起きかねんのだぞ!」


 今、この軍議の間には、三つのテーブルが存在する。

 うち二つは、貴族の屋敷でもちょっとお目にかかれないような、飴色の光沢が美しい木の長机。

 それが一定の間隔を空けて並行に並べられている。

 そこに向かい合う形で座るのはもちろんガルドラ派の貴族なのだが、彼らは互いを親の敵と言わんばかりの勢いで激しい討論を重ねていた。


「兵站の構築などと悠長なことを言っていられるか!前軍の編成が済み次第、すぐにでも進発するべきだ!」


 左方が、ガルドラ公爵の最側近である、ガルダス伯爵を筆頭とした軍閥派。

 多少の犠牲を出してでも王都奪還を最優先し、後のアドナイ王国に覇を唱えようという一派だ。


「民に与える痛みは公平でなければならぬ!まずは、各地の現状を把握した上でそれぞれが負担しうる範囲で速やかに物資を調達、その手はずに目途がついてから軍を動かすべきだ!」


 対する右の長机には、ガルドラ派貴族の領地の信仰を一手に引き受ける四神教教会の長を実弟に持つ、ガルオネ伯爵率いる教会派。

 治癒術士派遣の権限を握っていることもあって兵站の構築に長けていて、軍拡の歴史を持つガルドラ派の屋台骨を支える柱的存在である。


「すでにマクシミリアン公爵は軍備を整えたとの報告もあるのだぞ!ガルドラが他の貴族の後塵を拝するなどあってはならぬ!」


「それこそ半端な数のガルドラ軍を公に晒せるものか!王太子派も参戦するというのに末代まで笑われるつもりか!」


 両派ともに、自分たちの主張を曲げるつもりは毛頭ない。

 それもそのはず、この軍議の間にいる面々はそれぞれの派閥を代表して席に着いているのであり、相手の意見を取り入れることはすなわち敗北に等しい結果にしかならない。

 それに、互いに譲れないものがある場合に、その是非を決めるのもまた、彼らではない。


「互いに、一通りの主張は出し切ったところか」


 軍議の間が静まり返った原因、残る三つ目の机。

 両派閥の半分にも満たない長さながらコの字型の上座を占め、そこに座る老齢の人物の空気は明らかに他の貴族と一線を画していた。

 ガルドラ公爵、その人である。


「確かに、マクシミリアンや王太子殿下に先んじて王都に向かうは、ガルドラの使命といえる」


「その通りにございます!」


「一方で、ガルドラは常勝の軍でなければならぬ。古来、兵站を軽視して歴史に汚名を残した将は数知れぬ」


「ご賢察です!」


 意気揚々と発言する貴族たちに対して、ガルドラ公爵の語り口は落ち着いている。

 だが、派閥の盟主による次の言葉に軍議の間は静まり返った。


「ならば、我が領内を侵している小鬼の群れは滅ぼしたのであろうな」


 誰もが口を開かない。いや、開けない。

 最近のガルドラ公爵を悩ませてきた問題の一つが、領内に大量発生したゴブリンの群れだ。

 歴史上類を見ない速度で数を増やす小鬼に対し、当初は騎士団を使って討伐を続けてきたが、ある貴族の進言で大きく方針を転換することになった。

 つまり、ゴブリンの関心をガルドラ領の外、となりのマクシミリアン領に誘導する策である。


「騎士団の消耗を抑えると共にマクシミリアン派の妨害を兼ね、さらに誘導は決して気取られぬという貴殿らの言を信じて任せてみたが、結果は散々なものになった」


「……」


「マクシミリアン公爵に誘導を看破され、ゴブリンキング討伐の栄誉を与え、加えてゴブリンの残党は今も我が領内を蹂躙し続けている。これは一体どういうことだ?」


 先ほどまでとは対照的な、暗く澱んだ空気。

 彼らとて、ゴブリンの残党をこのままにしていいとは微塵も思っていない。

 むしろ、彼らの領地は今まさにゴブリンの襲撃を受けているかもしれず、いつ急使が凶報を持ってこないとも限らないのだ。

 それを押してガルドラ城に馳せ参じたのは、貴族としての体面と矜持に他ならない。

 そこをガルドラ公爵に指摘されれば、彼らに王都奪還を主張する言葉はなかった。


 やがて、軍議の間を一通り見まわしたガルドラ公爵は、


「すまぬが、そろそろ薬の時間のようだ。貴殿らにはこのまま軍議を続けてもらい、いかにして王都奪還を進めるか、しっかりと策を練ってもらいたい。もちろん、小鬼討伐の余力を精査した上でな」


 従者の手と杖に縋りながらそう告げて、ガルドラ公爵は軍議の間を後にした。

 途中、軍閥派の末席でどこか他人事のような態度で座る、養子のレオンと視線を一瞬だけ合わせながら。






 深夜。


 貴族当主の寝室、また就寝中の頃ともなれば、厳重に厳重を重ねた警備で余人が入り込む隙など存在しない。

 だが、ベッドから起き上がった状態のガルドラ公爵は、この夜二人の客を密かに迎えていた。


「いつものことながら、両人ともに茶番劇によく付き合ってくれている」


「恐れ多いことで」


「全てはガルドラ公爵家とアドナイ王国の安寧のため」


 従者に支えられているガルドラ公爵の言葉に応じたのは、軍閥派のガルダス伯爵に、教会派のガルオネ伯爵の二人。

 軍議の間で反目しあっていた両派閥の領袖が、粛々と寝室の絨毯の上に跪いていた。


「それで、それぞれの派閥の風向きは変わりあったか?」


「軍閥派でも、王都に攻め上がれるほどの余力がある貴族は全体の一割ほどでございます。今一度それぞれの領地を見直せとのお館様のご指示で、肩の荷が下りた思いの者も少なくないでしょう」


「教会派に至っては言わずもがなです。軍閥派の一部の強硬論に応じる形で王都奪還に積極的な意見も出ましたが、本音は軍馬一頭槍一本も惜しいと従者にこぼす者もいるとか」


「加えて、当のガルドラ公爵が病に侵されているとなれば、彼らが及び腰になるのも無理はないか」


「そのような弱音は似合いませぬ!」


「お館様にはいつまでも我らを見守っていただけねば!」


 軍議の間のことが嘘のように、息を合わせて公爵を元気づける二人の伯爵。

 しかし、ガルドラ公爵は薄く笑うだけだった。


「近頃はとみに薬が増えたが、まるで効いている気がせぬ。自分の余命のことだ、誰よりもよく分かっている。もはや、再び王都の威容をこの目にすることはないだろう」


「お館様……」 「おいたわしや……」


「ガルドラ派の先々はすでに卿らに任せてある。両派閥が一致団結すれば大抵の困難に打ち勝てるであろう。だというのに、私は最後に大きな汚点を残してしまった――レオンのこと、手配は済んだか?」


 ガルドラ公爵家次期当主レオン。


 ドラゴンバスターの英雄として名を馳せ、またガルドラ公爵家に縁がある騎士の家の出ということから次期当主候補に急浮上。

 たまたま王都を訪れていた公爵本人も面会したところ、人品もよろしく冒険者仲間の信頼も厚かったことから気に入り、一部の反対を押し切る形で養子縁組を行った。

 だが、次期当主の決定に沸き立っていたガルドラ派貴族の顔が曇り始めるのに、そう時はかからなかった。


「剣の実力は非凡、頭も切れ、兵を率いる将器もある。だが、あやつはまるで時勢が読めておらぬ。あれではガルドラ家をまとめ上げるどころか、木っ端貴族家すら潰すであろう」


「アンジェリーナ嬢との揉め事から、レオン様を目の敵にするマクシミリアン派の証言を考慮しなかったのは、お館様に正しい情報をお伝えできなかった我らの失態です」


「レオン様が過去にもみ消したという事件の数々も改めて調べ直すべきでした。死刑囚も顔を青くするであろう数え切れぬ罪、まさか、あれほどの悪行を隠していたとは……」


「あやつに敬意を払う必要はもうない。明日の軍議で今後の大方針を決定し次第、レオンの廃嫡を宣言する。多少の混乱はあろうが、そこは両人の働きに期待する」


「お任せください。決してお飾りで一派を率いているわけではないところをお見せ致しましょう」


「お館様はどうぞ心安らかに、一日でも長く我らを御見守りください」


「うむ、任せた――」


 その時、ガルドラ公爵自ら誰も近づけないようにと厳命したはずの廊下から、なにか重い音がした。

 防音処理の施された扉越しの、くぐもった響き。

 仮にも軍の力を誇示するガルドラ派の重鎮二人は、それが鎧を着た騎士が倒れる音だと一瞬で察した。


 だが、それすらも遅かった。


「はっ、養父上とその両腕が、次期当主の俺に無断で密談かよ。吐き気がするぜ」


「レ、レオン、なぜここに!?」


 扉を開けて現れたのは、平服姿のレオン。

 鍛え上げられた体に貴族の衣装の出で立ちはどこかの王子の風格があるが、手にしている血に濡れた剣とギラギラと光る両眼が、残忍な本性を妖し気に表していた。


「騎士は、ここまでの廊下を守っていた騎士はどうしたのだ?」


「ああ、あいつだけは買収できなかったからな、騎士の誇りとやらに殉じてもらったよ」


「き、貴様、なんということを……やがてお前の騎士となるはずだった男だぞ?」


「俺の騎士?俺の首を落とす処刑人の間違いじゃねえのか」


「そ、それは……」


「お前ら爺三人の企みなんざ、こっちはとっくの昔にお見通しなんだよ。それでも、この部屋を騎士団が囲んでりゃどうにもならなかっただろうが、俺のことを甘く見過ぎたな」


「おのれ、お館様に向かって先ほどからその無礼な物言い、もう許せぬ!」


「貴様のような不心得者、我らで成敗してくれる!」


 密談ということで万が一に備えて用意していたのだろう、懐から短剣を取り出した二人の伯爵は、鞘を抜き払うと相打ち覚悟でレオンに向かって突進した。


 一閃、二閃。

 そして倒れ伏す二つの体。


 立っていたのは、さらに二人分の血を自分の得物に吸わせたレオンだった。


「レオン!よりにもよって貴族に向けて剣を振るったな!?よもやこれほどの大罪を犯すとは……!!」


「ふん、こんな耄碌した爺二人なんかどうでもいいだろ。よりにもよって、『ソードマスター』にクラスチェンジしたこの俺に歯向かうなんてな」


「レオン、貴様……!!」


「これでも感謝してるんだぜ。次期当主になったばかりの俺に箔をつけさせようと、ガルドラ公爵領一の狩り場で経験を積ませてくれた恩くらいは感じてるさ」


「その恩を仇で返したのはお前ではないか!?」


「だからよ、苦しまずにさっさと殺してやるよ。そいつがな」


「なにを、カハッ……?」


 その時、ガルドラ公爵は背中から胸に鋭く冷たい何かが差し込まれる感覚に襲われながら、急速に意識を手放し、二度と目覚めることはなかった。






 しばらくして、主を失った寝室に一人の男が現れた。


「終わったようだな」


「ああ。お前が冒険者を動かしてくれたおかげで、かなり楽に殺せた」


「別に礼はいらん。それよりも、わかってるだろうな?」


「ああ。王都を奪還した暁には、冒険者ギルド総本部の復活だけじゃなく、お前を侯爵にしてやる、グランドマスターさんよ」


「オーグだ、いい加減に名前で呼べ。それよりも、そいつはどうするんだ?」


 オーグが顎でしゃくった先にいるのは、たった今主の命を奪った短剣を握りしめたまま立っている、ガルドラ公爵の従者。

 殺人という現実から逃げているのか眼は血走り全身は震え、二人のことが視界に入っていないのは明らかだった。


「俺達にガルドラ公爵を売った上に、主殺しか。これが明るみに出れば一族縁者は連座で皆殺しだろうな」


「よく言うぜ。賭博にはまって借金まみれだったところを、お前が拾い上げて情報を流させてたんだろ」


「お前こそ、万が一にも公爵殺しの汚名を着たくなくて、そいつに殺させたんじゃないか」


「俺だって鬼じゃない。跡継ぎにしてくれた爺をこの剣で殺すのはさすがに寝覚めが悪いからな。もちろん、爺殺しの報酬はきっちり払うさ、借金の帳消しとは別にな」


「……唯一の証人だぞ、口封じしないのか?」


 自分の命を左右する会話だというのに、まるで関心を示さず上の空の従者。

 その様子を見て、レオンはせせら笑った。


「いらねえだろ。公爵の殺害は、強硬に王都奪還を主張した側近二人が寝室に押しかけ、口論の末に逆上して一人が押さえつけてもう一人が背中からズブリといった。んで、養父の具合を見に来た俺が現場を発見して敵を討った。それだけのことだ。それに」


「それに?」


「そいつ、賭博だけじゃなく薬までやってやがるだろう?頭にまでヤクが回っちまったアホの証言なんざ、平民相手でも通じねえよ」


「まあ、そりゃそうなんだがな」


「せいぜい、まとまった金でも渡して故郷に帰してやれよ。こっから先は文字通り乱世だ。戦う奴は戦えばいいし、逃げたい奴は逃げればいい」


「わかった。――おい」


 レオンの言葉に頷いたオーグは寝室の外に待機していた部下を呼ぶと、今も震え続けている従者を連れ出させた。


「それと、もう一つ確認しておくことがある」


「ああ、なんだよ?」


「昨日報告があってな、あの従者の故郷、ゴブリンの群れに襲われて全滅したんだそうだ。それでも逃がすのか?」


「……ククク」


「レオン?」


「クハハハハハハハッ!!いいじゃねえか!なおさら帰してやれよ!!大貴族を殺してまで家族のところに帰ろうとした奴が身内全員死んだって知ったらどんなツラするのか興味が出てきた!!おい、さっきは逃がしてやるって言ったが変更だ!!監視役を一人つけて最後まで見届けさせろ!!そのまま故郷で死んだら笑えるし、俺のところに戻ってきたらそれはそれでおもしれえ!!いいな、絶対に魔物に殺させるなよ!!これで王都奪還まで退屈しなくて済みそうだ!!そう思わないか、なあおい!!」


 今度こそ、オーグは寝室を後にする。

 ただし、自分の仕事を終わらせるためではなく、レオンの狂気から逃れるため。

 その後しばらく、義理の父親を謀殺した男の高笑いが、防音処理が施された寝室に木霊し続けた。

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