第259話 SS 王太子派
アドナイ王国北部。
真偽のほどは定かではないが、初代国王生誕の地があるとされ、また王国草創期に魔物を駆逐し人族安住の地が初めて築かれたとして、一大穀倉地帯となっている。
肥沃な土、温暖な気候、豊かな水源が合わさることで貴族から平民まで裕福な者が多く、長き平和を支えているのは北部だと誰もが言う、まさに王国の要。
王都陥落の際も、アンデッドの軍勢の魔の手から逃れた王太子エドルザルドが一路目指したのはやはり北部。
それもそのはず、アドナイ貴族の最大派閥である王太子派のほとんどが領地を預かるのもまた北部であり、エドルザルドにとっては第二の故郷に等しい。
当然、北部で最大の領地を有するギュスターク公爵の本拠地、タークグラス城に豪奢な衣装に王笏を携えたエドルザルドが入城した際には、北部貴族が打ち揃って王太子を出迎え王都奪還を誓う連判状に判を押した話は、平民の子供にまで噂が広まるほどだった。
そんな、王都奪還の大本命とされてきた王太子派だったが、ここにきて北部に払い難い暗雲が立ち込めてきた。
それこそ、平民にすら隠し切れないほどの陰惨で壮絶な噂が。
ここは、とある上級貴族の別邸。
主に社交に使われる本邸と違い、家格に見合う軍備を揃えたここは、建物の材質から庭木の一つに至るまで防御を重視した造りになっている。
当然、王太子エドルザルドが率いる王都奪還軍に加わるため、この別邸でも出立の準備を慌ただしくも進めている。
――ように見せかけていた。
「皆の者、まずはこのような質素な宴になったことを謝罪させてもらおう」
「お館様、頭をお上げください」
「そうです、我ら全員、お館様に従うのみです」
「すまぬな。父祖の地を離れることに未だに納得いかぬ者もいるであろうが、もはや王太子派に未来がないと判断してのことだ。今は私を信じてほしい」
「お館様!」
「我らの方こそ力が及ばぬばかりに……」
「兵の仕度に見せかけた亡命計画は完璧だ。今のところ外に漏れている心配は欠片もしておらぬが、領地との別離の宴を派手に催して、要らぬ疑いをかけられるわけにはいかん。同時に、亡命先の情報を極秘のままにしていることも申し訳なく思う」
お館様と呼ばれる貴族の言葉がふいに途切れた。
その沈黙からは、王家から領地を預かる使命を手放すことへの悔恨と、その上で亡命を決めた覚悟が透けて見えるようだった。
「だが、王国北部において辺境に当たる我が領地は日増しに魔物の群れの襲撃が増加し、撃退もままならなくなってきている。今や領民のほとんどが魔物を恐れて領外へ避難し、税収の見込みも潰えた」
「お館様……」 「おいたわしや」
「古来、辺境貴族は魔物の脅威から王国を守り、内地貴族は資金や補給を積極的に支援することで、互いに協力してきた歴史がある。だというのに、内地貴族は己の利益に固執して支援を渋り、恐れながらこれを正すべき王太子殿下は事態を傍観していると思われる。守るべき領民が去った今、事態の好転を座して待つ意味を見出せず、私はこの地を去る決意をした」
貴族の静かで悲痛な叫びに、家臣たちは一言も発さない。
それは、この場の誰もが身をもって知っている動かしようのない事実であり、亡命以外に生き残る道はないと悟っているからでもあった。
「これまで幾度となく確認してきたが、今一度問う。私について来ることは、すなわち王太子殿下への反逆に他ならない。他の北部貴族のもとに身を寄せるなり、実家に帰るなり好きにして構わぬ」
「我ら死のときまでお館様と共に!」 「身内を裏切る覚悟はできております!」
「……そうか、ならばもう何も言うまい。最後に、我らの新たな旅立ちへの誓いのしるしに、皆で杯を交わそうではないか」
「お館様!」 「もったいなきお言葉!」 「誰か、杯と酒樽を持て!一番高価なものだぞ!」
こうして、貴族と家臣一同は高揚の中で杯を交わした。
最期のときまで永遠に続く、鋼すら打ち砕く主従の誓いの儀式だった。
ここは、アドナイ王国北部の要衝と呼ばれる、とある都市。
南部のジュートノルに匹敵する規模と人口を擁し、あらゆる物資と情報が集まる軍事拠点としても知られる。
その中枢である城の一角を間借り――ではなく、領主から返還される形で住み暮らしている男――王太子エドルザルドは、ある報告を受けていた。
「貴族主従による集団自害とは、なんとも不穏極まりない事件だな」
「は、どうやら酒樽に毒が仕込まれていたらしく、治癒術士が現場に駆け付けたころには全員手の施しようがなかったとか」
「それはなんとも気の毒なことだ。それで、噂は真実だったのか?」
「事件を受けて調査に入った監察官によると、手配していた馬車の台数とまとめられていた荷物の量や種類から察するに、王都奪還の準備ではなかったことは確かだそうです。おそらくは――」
「王家が与えた土地を捨て、どこぞに亡命する心積もりだった、というわけか」
「恐れながら、私からはそこまでは申せません」
「ふむ……件の貴族は、魔物の脅威の前に臆病にも亡命を図ろうとしたが直前になって悔い改め、家臣を道連れに自害を決意し、見事成し遂げたのだろう。アドナイ貴族として紙一重で名誉を守り切ったということなのだろうな」
王太子に報告している領主の重臣は、答える術を持たない。
陪臣の分際で王太子の言葉を遮るなどもってのほか。
仮に意見できる者がいるとすれば重臣の主くらいなものだが、そんなことをすれば件の貴族のような末路を辿ることは容易に想像できた。
それから、王太子への報告を終えた重臣は、真の主であるギュスターク公爵の執務室へ向かった。
目的はもちろん、先ほどは言えなかった部分も含めて一部始終を報告するためだ。
「これで、王都陥落以降に消えた北部貴族は三人目か。……殿下に報告した内容は分かった。それで、その他に知っておくべきことはあるか?」
「件の貴族のお膝元の街の酒場で、問題の酒樽に毒を入れたと言いふらす酔っ払いがいたそうです。なんでも貴族の屋敷の料理人で、多額の報酬を約束されていたが手付金しかまだもらっていないと愚痴をこぼしていたとか」
「当然、その男の確保に動いたのだろうな」
「はい。ですが、密偵を使ってその男の行方を捜しましたが家にはおらず、近所の者によると謎の女が別の街に引越したと一方的に言い残していったそうです。荷物は残したままだそうで、近所の者も不信がっていました」
「消されたか」
「おそらくは。それから、件の貴族と共に自害した家臣たちですが、密偵が遺族から話を聞こうとしたところ異様に口が堅く、何かに怯えるように証言を拒まれたということです」
「金か、力づくか。脅しを受けているな」
「こちらも決して動きが遅くなかったはずなのですが、手掛かりすらつかめず申し訳ございません」
「よい。ここまで先回りされれば、黒幕はむしろ限られてくる」
「では、やはり……」
「別に王家に歯向かうわけでもないのだ、逃げたい者は逃がせばよかろう。それを家臣ごと毒殺とは、あの方は何を考えておられるのか」
「たしか、王太子殿下は王国内外から内政の手腕を高く評価されていたはずですが、なぜこのようなことを?」
「殿下のやり方は、あくまでも表面上の平和の維持に特化している。一方で、王国内に異物ができれば問答無用で排除することしかなく、決して毒を以て毒を制する考えには至らない。はっきり言って恐王の政治だ。これまでは、陛下や王宮の重臣たちが程よく枷になっていたが、今は野放しに等しい」
「件の貴族は、魔物討伐で北部屈指の成果を上げておられました。それが実務を担っていた家臣まで失ったとあれば、あの一帯の防衛を放棄せざるを得なくなります」
「頭の痛いことだ。元を辿れば、支援物資を送ろうとしたところで殿下の側近から待ったがかかり、王都奪還の備蓄に回すことになったのが原因なのだがな」
「あの一件で、北部貴族の結束に亀裂が生じております。中には、半ば公然と批判する貴族の噂も聞いております」
「それは私か、それとも殿下に?」
「忌憚なく申せば、両方です」
「まずいな。このままでは王都奪還どころか、その前に北部貴族が瓦解するぞ」
「どうなされますか?もしも本気で立て直しを図るのだとすれば――」
「その先は言うな。それを言えば、私はお前を罰することになる」
「申し訳ございません。では、例の交渉を進めるおつもりですか?」
「仕方があるまい。こちらの士気は最悪、派閥内で疑心暗鬼が生じ徴兵もままならぬ。対して、相手は疲れも恐れも知らぬアンデッドだ、このままでは万に一つも勝ち目がない。それになにより」
「王太子殿下直々の提案、でしたか」
「我らの旗印である殿下のお指図だ。表立って反対してくる貴族はおるまい。今はな」
「……先方との会談の準備を急がせます」
「急げよ。王家の威光が残っているうちにな」
王太子エドルザルドを戴く最大派閥、王太子派。
その実情が砂上の楼閣になっている事実を知る者は、まだ少ない。
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