第258話 SS ミリアンレイク


 マクシミリアン公爵領公都、ミリアンレイク。

 いつもは、豊かな水源である大きな湖に接した風光明媚な都市として知られているが、今は昼夜絶えず人と物が行き来し、かつてない喧騒に包まれている。

 その理由は、湖畔都市の中枢であるミリアンレイク城にあった。


「マクシミリアン公爵閣下、よくぞ立たれましたな!この混乱の最中にあるアドナイ王国を救えるのは閣下だけだと、このダグラス信じておりましたぞ!」


「う、うむ。騎士ダグラスには、先々代の盟友達との顔つなぎで随分と世話になった。王都奪還でも期待している」


「ありがたき幸せ!」


 年に似合わない筋骨隆々とした老騎士が退出すると、部屋の主であるマクシミリアン公爵が思わずため息をついた。

 それを見ていた、後ろに控える股肱の臣である従者が主を気遣った。


「アルベルト様、少し休憩なされた方がよろしいかと」


「いや、公国軍の編成も大詰めを迎えている。それに、情勢が動けばすぐにでも第一陣を動かさねばならなくなるかもしれん。主だった貴族とは、何としても今日中に会っておきたい」


「確かに、従来の騎士団や貴族軍に加えて中央教会の息がかかった治癒術士、さらには公王陛下直属の衛士隊で構成される公国軍の調整は、アルベルト様でなければ成し遂げられなかったでしょう」


「追従はよせ」


「いえ、事実です。特に、先々代とゆかりのある騎士達は、マクシミリアン公爵家の現当主であるアルベルト様のお言葉でなければ耳を傾けなかったはずです」


「マクシミリアン家への彼らの忠義は感謝してもしきれぬのだがな……」


「何かご不満でも?」


「お爺様のご気性をよく知るせいか、誰も彼も熱意の塊だった」


「良いことではありませんか」


「熱がありすぎるということだ。話題を一つ間違えれば、単独で王都に攻め込みかねない勢いだったのは、お前も聞いていただろう」


「では、あの方々の盟主であられるアルベルト様の手綱さばき次第ですね」


「簡単に言ってくれる。だが、お爺様の名を汚すわけにもいくまい」


「それでこそアルベルト様です。では、戦の前のひと時の安らぎとして、お茶でもいかがですか?」


「む、次の面会予定が迫っているのではないのか?」


「先ほど使い番から、先方の到着が遅れていると連絡がありました」


「遅れの理由は?」


「先方からはなにも」


「そうか。では、決まりだな」






 従者が淹れた茶をゆっくりと喫したマクシミリアン公爵。

 さらに、少しの休憩を取れるほどの時が流れた後、現れたのはでっぷりと太った初老の貴族。

 彼もまた公王ジオグラルドの名のもとに王都奪還を目指す一人だったが、マクシミリアン公爵の眼はあくまでも冷たかった。

 そして、開口一番その宣告はなされた。


「キヌル卿、貴殿にはお引き取り願おう」


「は……?よく聞こえなかったのでもう一度言ってもらえるかね、マクシミリアン公」


「貴殿のように、ことここに至っても危機感を覚えずに戦に遅参するような愚か者は、ジオグラッド公国に不要だと申しているのだ」


「んなっ!!いくらマクシミリアン公爵とは言えど、同じアドナイ貴族たる私にその無礼な物言い、どうなるか分かっておられるのだろうな!」


「ほう、どうなると言われるのだ?」


「そ、それは……し、しかるべき裁定を願うのだ!」


「裁定とは?それを担っていた王宮は今はないが」


「な、ならば、亡命政府を立てておられる王太子殿下に!」


「ほう、王都奪還の準備にかかりきりの殿下にか。特に派閥に入っていない貴殿の謁見が叶うのは、果たして何年後のことかな」


「な、ならばガルドラ公爵に――」


「奴は私よりはるかに厳しいぞ。確か、貴殿の私軍は公称ですら二百に満たないと記憶している。奴は貴殿が使えぬと判断すれば容赦なくすり潰してくるだろう。貴殿の領地ごとな」


「ぐぬぬぬぬ……」


「どうやらご理解いただけたようだ。ああ、念のために断っておくが、私のもとでさえなければ貴殿がどこの陣営に身を寄せようとも一切関知しない。では話は終わりだ、お引き取り願おう」


「ま、待て!待ってくれ!待っていただきたい!」


 始めから自分のことを受け入れるつもりがなかったと、ようやく自分の置かれた状況を理解したのか、急激に下手に出始めた初老の貴族。

 それを見たマクシミリアン公爵は、強制退出させるために部屋の扉を守る騎士を呼ぼうとした従者の動きを、軽く手を上げて制止した。


「知らせを寄越さずに遅参したことは謝罪する!だが、たかが遅参程度で我がキヌル家を見捨てるのか!?キヌル家はマクシミリアン一門に名を連ねる名家だぞ!」


「ふむ、そうだったか?」


「なっ!?」


「十代目当主の奥方様のご実家が、確かキヌル家だったかと」


 背後から歩み寄った従者の囁きに頷いたマクシミリアン公爵だが、


「なるほど、事実ならば一門との関わりがないとは言えまいな」


「そうだろうとも!」


「だが、それがどうした」


「どうしただと!?貴族は血のつながりこそが全てではないか!」


「その血のつながりが災厄に立ち向かう力になるのなら、そもそも王都はあんなことにはならなかった。そのことに関しては全てのアドナイ貴族の責任であり、当然王都奪還の重責も我らが担うべきであろう。だが、今まさに奪還のための軍を興そうという段階で、貴殿のような物見遊山気分で遅参する愚か者は、不要どころか周囲を毒する病巣にしかならぬ」


「あ、あ、あああ……!!」


「疾く、去れ。ああ、貴領の領民だけなら公国で受け入れる用意はできている。労働力はいつでも大歓迎だ」


「き。貴様ー!!ガフッ――」


「連れていけ。いい加減に目障りだ」


 激高してつかみかかろうとした初老の貴族は、動きを予測していた護衛の騎士に組み伏せられ、マクシミリアン公爵の侮蔑の眼を受けながら強制的に退出させられた。






 初老の貴族が退室してしばらくして。


 再びティーセットを運んできた従者が、執務机の椅子に寄りかかって瞑目していたマクシミリアン公爵に声をかけた。


「お疲れさまでした」


「これで主だった貴族の対応は終わったな」


「はい。あとは調略を進めている貴族や小規模の騎士団などは残っていますが、王都奪還までの外交的問題は概ね解消したかと」


「……正直、キヌル卿の処遇は最後まで迷ったのだがな」


「今回は特に、獅子身中の虫を公国内に入れないことが重要でした。アルベルト様のご判断を私は支持いたします」


「その結果が出るのは、無事王都を奪還した時だ。人事は尽くした。あとは天命を待つとしよう」


「はっ」


 そこで、茶を供されたマクシミリアン公爵が少しぬるめの琥珀の液体を口の中に広げながら、


「それで、他の勢力の動静はどうなっている?」


「王太子派は予想通りの行動をとっています」


「弱体化の一途を辿っているか」


「はい。元々大所帯で王太子殿下の統制が利きづらい面がありましたが、王宮という柱を失ったことで派閥内で分裂と暗闘を繰り返しているようです」


「お定まりの宮廷闘争というやつだな。もっとも、その王宮が存在しないというのにな。で、ガルドラの方は?」


「こちらも、ゴブリンキングの残党との戦いでかなりの消耗が続いているようです」


「どういうことだ?ガルドラの軍事力なら、とうの昔に殲滅が完了しているはずだろう」


「それが、ゴブリンの残党がガルドラ領に再侵攻した際には激しい戦いが起きていたようですが、ガルドラ領の奥に戦場が移るにつれて、戦況が把握しづらくなっておりまして。未だゴブリンの軍勢が残っていること以外は分かっておりません。申し訳ございません」


「……ガルドラ領の監視の目を増やせ。ただし、監視の冒険者には身の安全を最優先にするように周知徹底しろ」


「かしこまりました」


「大きな勢力は概ね想定通りか。あとは……」


「例の勢力に関しては、ガルドラ以上に情報が集まっておりません」


「仕方があるまい。あそこは、下手にちょっかいをかけようものなら手痛いしっぺ返しを食らう。それに、間者の生還率が極めて低いことでも有名だ」


「あらゆる動きを想定して、準備を進めます」


「頼む」


 各所に当主の命令を伝達するために、従者が部屋を後にする。


 一人残ったマクシミリアン公爵は、残った茶を一気に喉に流し込むと、一言呟いた。


「神聖帝国、どう出てくる?」

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