第257話 背負い、一人で進む道
「セレス、素敵だったわね」
「ああ。でも、それを言うならジオと二人一緒だろ」
「ジオ様はいいのよ。どんな格好をしていてもジオ様なんだから」
「ちょっとひどくないか?でもまあ、ジオならそんなものか」
「そんなものよ」
リーナと歩く、夜のジュートノル。
さすがにこの頃になると人通りはなく、昼間の商業都市の賑わいは見る影もない。
代わりに目にするのは、魔力で光る常夜灯の等間隔の明かりに照らされる、夜警装備の衛士の姿くらいだ。
その誰もが、夜中にふらついている男女を咎めるどころか、こっちに向かって敬礼してすれ違っていく。
公爵令嬢のリーナの顔を知っているんだろうか?
「そんなわけがないじゃない。明らかにテイルを見ていたわよ」
「やっぱりそうだよな……」
「なんで浮かない顔をしているのよ、ゴブリンキング討伐の英雄さん。せっかく尊敬してくれているんだから、手の一つくらい振ってあげなさいよ」
「嫌だ。断る」
「別に、挨拶を返すだけじゃない」
「俺がそういうの苦手だって知っているだろ」
「冒険者学校の頃からね。誰かさんが奥手なせいでこっちも随分と遠回りさせられたわ。ね、テイル」
そうからかってくるリーナの顔に常夜灯が反射して、いつもよりきれいに見える。
きっと、婚姻の儀式を無事に終えた、幸せいっぱいのジオとセレスさんの空気に当てられたせいだろう。
――いや、それは俺も同じか。
「セレスさん、あんなふうに笑う人だったんだな」
「ね、私も驚いたわ。なんだかんだ言って、セレスも本心ではジオ様と結ばれることを願っていたのよ」
「確かに。氷の騎士なんて呼ばれているのが嘘みたいだったな」
「氷の騎士……」
「リーナ?」
瞬間、不意にリーナが立ち止まったので慌てて振り返る。
その表情は思い悩んでいるというよりも、やがて来る出来事を確信しているように見えた。
「ねえ、セレスはこの先もジオ様の護衛を続けるのかしら?」
「いや、建設中の公都に建てている公王公邸に移り住んで、近々王都奪還出発するジオの留守を守るらしい。ジオの護衛も、衛士隊に名実ともに引き継ぐそうだ」
「そんな詳しい情報、誰から聞いたの?」
「ジオから」
「いつのまに……ああ、さっき、二人きりで話していた時ね」
「あいかわらず、こっちの都合なんかお構いなしに一方的に聞かされたよ。公都建設の目途が立ち次第、王都奪還のための公国軍第一陣が出発するんだとさ」
「そっか、建設の人手も王都奪還の兵も、両方とも衛士隊が担っているから、当然と言えば当然よね。それで、テイルはどうするの?」
「もちろん行くよ。といっても、俺はジオにくっついて第三陣での出発だから、もう少し先だけどな」
「私も行くわよ」
「今さら止めないよ。ジオからも、マクシミリアン公爵の妹君にこそこそ付いてこられるよりも目の届く範囲にいてもらった方がはるかにましだ、って言われているからな」
「私のこと、わかってきたじゃない。それにしても、ジオ様自ら軍を率いるのね」
「政務からは手を引くけど、象徴としての公王の役割は全うする。それが、マクシミリアン派の貴族にセレスさんとの結婚を認めさせる条件だったそうだ」
「総大将が前線に立てばもちろん士気は上がるでしょうけれど……危険じゃないの?」
「危険だと思ったから、もちろんジオに言ったさ」
だけど、その場の勢いで言ってしまった俺に対して、ジオの返答は考えに考え抜いたものだった。
「今回の王都奪還は、単なるアンデッドの殲滅じゃ済まないかもしれない。だから、ジュートノルの守りはマクシミリアン公爵に任せて、公王本人の親征がなによりも重要な意味を持つかもしれない、って言っていたよ」
「重要な意味って、どういうこと?」
「それは教えてくれなかった」
「なによ、ジオ様のくせに。……後でお兄様に訊いてみようかしら」
「リーナに本気でお願いされたらうっかりばらしちゃいそうだから、お兄さんに迷惑をかけるのはやめような」
そんな、とりとめもない会話をしながら、夜のジュートノルの街をリーナと歩く。
どこの街や村でもそうだと思うけど、平民の夜間外出は許されていない。
特に理由もなく夜中にうろつけば、罪になるまではいかなくても一晩牢屋で頭を冷やす羽目に陥るらしい。
ましてや、今は衛兵隊改めノービスの加護を得た衛士隊が夜警して回っているわけだ。
彼らの五感をすり抜けるのは並大抵のことじゃない。
そんな中で、例外としておおっぴらに夜のジュートノルを歩けることに、ちょっと優越感を感じたりもする。
だけど、隣で同じ光景を見ているリーナは、ちょっと幻想的な非日常に惑わされてくれなかったみたいだ。
「テイル、そっちは白いうさぎ亭の方角じゃあないわよ」
「もちろん、わかっているよ」
「それならどこに行くの?もしも、私とのデートを続けたいっていうのなら大歓迎だけれど」
「とても魅力的な話だけど、それも違う。白いうさぎ亭には帰らない」
「本気なの?」
「建設中の公都に、衛士隊の宿舎が一足先に建っているらしくてな、今日はそこに泊まるつもりなんだ。もちろん、ジオの許可は取っている」
「とりあえず、テイルが野宿するつもりじゃあないって聞いてほっとしているけれど、私が知りたいのはそこじゃないのよ」
「それもわかっている」
「それならどうして――」
「みんなに、ターシャさんに会いたくないんだ」
ターシャさんに会いたくない。
もし、少し前の俺がこの言葉を聞いたら、問答無用で殴り掛かっているだろうな。
いや、殴り殺すかもしれない。
ターシャさんの笑顔を見ることが喜びで、ターシャさんの声を聴くことが生きる活力で、ターシャさんと一緒にいることが夢のような俺が、一生口にするはずのない言葉だ。
そのhずだった。
「弱虫だって笑ってくれてもいい。今、ターシャさんに会えば、きっと決意が鈍る」
ターシャさんと会っても、王都へ向かう気持ちは変わらないだろう。
ジオの指示は聞くつもりだし、アンデッドと戦う覚悟はできている。
必要なら、死霊魔法に操られた女子供の死体に剣を突き立てることもするだろう。
「だけど、この程度覚悟じゃ足りないかもしれない」
「その程度じゃないって……まさか」
「同じ人族と戦うかもしれないってことだ」
ジオは言っていた、王都を奪還したいのはジオグラッド公国だけじゃないと。
これまで敵対してきたガルドラ公爵はもちろんのこと。
未だに信じられないけど、ジオのお兄さんの王太子もいつのまにか対立する立場になっているらしい。
他にも、情勢によっては中小の貴族もジオに牙を剥いてくるかもしれないそうだ。
「もちろん、そうならないように交渉とかは続けていくらしいけど、いざという時のための準備もしていくって、ジオは言っていたよ」
「……そう、もしかしたらとは思っていたけれど、やっぱり私達がレオンと戦う可能性はあるのね」
「そうなった時、俺だけが戦わずに逃げてもいいのかって、今も考えている」
「テイルは公国軍の兵士じゃあないわ。逃げてもいいのよ」
「俺もそうするつもりだ。だけど、必ずしも逃げられるとは限らない。もし、逃げた先に敵がいて、戦うしか方法がなくなったら?」
「テイルが、私たちが生き残るためだもの。他に選択肢はないわ」
「それも覚悟している。だけど、いざ剣を振り上げた時にターシャさんの笑顔が頭をよぎったら?」
「それは……」
「たかだか一目会う会わないの話だけど、それで迷いがわずかでも晴れるなら、ためらわずに剣を振り下ろせるなら、今はターシャさんに会わない方が良いと思っている。俺の考え、おかしいかな?」
「……正解だとは全く思わない」
「リーナ」
「けれど、間違いだとも思えない」
その声と共にリーナが立ち止まって、俺も止まる。
すでに場所はジュートノルの正門前。
正門そのものは閉じ切っているけど、通用門の衛士に一声かければ俺なら顔パスで通れるはずだ。
建設中の公都はここからでも目視できるくらいの近さだから、門の外に出たからといって魔物に襲われる心配はまずない。
それでも、ここが境界線。
ターシャさんに会いに行くならこの先は駄目だとリーナが言っているのが、言葉にしなくても伝わってきた。
正門に備え付けられた篝火が、俺の前に立ちはだかったリーナの瞳に映ってキラキラと輝いている。
それはまるで、嘘は絶対に許さないというリーナの意志を表しているようで、一瞬息が止まった。
一つ、大きく息を吸って、俺は答えた。
「行くよ」
それだけでリーナは道を空けて、先を行く俺を追ってこなかった。
きっと、その足で白いうさぎ亭に戻るんだろう。
通用門を通って外に出る。
ただジュートノルを出るんじゃない、この背中にある大切なものを守るために、俺は進む。
後ろは、振り返らなかった。
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