第256話 婚姻の儀式
「やあ、テイル。まずは、呼び出しておきながら挨拶もせずに部屋から追い出した無礼を謝らせてほしい。すまなかった」
「別にそれはどうでもいいけど、セレスさんとはちゃんと話したのか?」
案内されたのは、セレスさんが軟禁されていたのとは違って、きちんと調度品が整えられた部屋。
そのソファに俺が腰を落ち着けるなり、開口一番で謝ってきたジオ。
もちろん、あまり心がこもっていないジオの言葉に興味はないので、本題を急かす。
すると、予測していたようにジオは、
「もちろん、誠心誠意、心と言葉を尽くしてセレスに許してもらったよ」
「それはよかっ……おいジオ、その手はどうしたんだ?」
視界に見慣れない色があると思ったら、ジオの手の甲に虫の行列のような紫の痕ができていた。
「ああ、これかい?説得の最中にちょっと暴れられてね。制止しようとセレスの手を握ったら、逆に手首をつかまれてそのままガブリと噛まれたよ、ははっ」
「いやいやいやいや、ははっ、じゃないだろ。手を噛んだ?あのセレスさんが?」
「日ごろの僕へのうっ憤を晴らすためなのか、二人きりだとよくあることだよ。今日のは特別に激しかったけれどね」
「よくある!?」
「体の動きに支障がない程度にボディやすねを殴られたり蹴られたり、って感じだね。他にも、つねられたり足を踏まれたりは数知れず。経験を経るごとに人目につかないタイミングをつかんだのか、年々ひどくなってきているよ」
「ええぇ……」
「なにをちょっと引いているのさ!あのセレスが僕の我がままをこの程度で許してくれているんだよ?ここは僕への愛のなせる業だと感動するところじゃあないか!」
「いや、どう見ても違うだろ」
「異性との経験が浅いテイルになぜそこまで言えるのさ!」
「確かに、俺に恋人ができたことはない。だけど、お前の恋愛観が変態的だってことだけは断言できる。いやできます」
「テイル、ちょっとよそよそしくないかい!?」
「いえいえ、そんなことは全くございません」
「テイルが絶対によそよそしい!?」
「別に、お前の性癖がどれだけ変態的でも咎めるつもりは毛頭ないんだ。ただ、これ見よがしに自慢されるとちょっと、いやかなり困る」
「頼むからそんなこと言わないでくれないか!僕とテイルの仲じゃあないか!」
「ふーん、どういう仲なんだ?」
「そ、それはもちろん、ゆ、友人だと思っているとも」
「友達なら、災厄を利用したわけも、これから先のことも話してくれるんだよな」
一瞬の豹変の後、ジオが見てくる。
俺も見返す。
その視線の奥にどんな感情があるのか、今でも俺にはわからないし、想像もつかない。
俺の言葉の重さに思い悩んでいるのかもしれないし、冷徹に真意を明かすことと俺を切り捨てることのリスクの比較をしているだけかもしれない。
やがて、ジオが口を開いた。
「必死になってひたすら走り続けてきた結果、って言ったら信じるかい?」
「いいや。大なり小なり計算があったと思っているよ」
「まあね」
「お前のことだ、事情があるんだろ」
「やがて来る災厄に対して、アドナイ王国が愚かな真似に出て自ら崩壊を早めると予測していたからね。それに合わせて臣籍降下で土地と兵力を整え、王都という要を失った貴族や騎士を糾合して一大勢力を築き上げる。その程度の絵図面は頭に描いていた」
「わざと魔物をけしかけたことはあったのか?」
「正直に言おう。襲撃してくる魔物と生態さえ分かっていれば、おそらくは可能だったかもしれない。実際、ゴブリンの軍勢の際にそんな考えが頭をよぎったのは確かだよ。例えば、ゴブリンキングを生かしたままにしてガルドラ公爵領の街々を襲わせようか、とかね」
「なんでそうしなかったんだ?」
「見られているからね、いつも、どこにいても、なにをしていても、たとえ離れていても」
「セレスさんか」
「その通り。例え現場を見ていなくとも、僕の心にわずかでもやましさや引け目が残っていれば、セレスは必ず気づく。だから、非道な手段はとれなかった」
「非道?卑怯な手段じゃなくて?」
「セレスは騎士だからね。民を苦しめたり傷つけたりするやり方は決して好まない。特にはそんな政治的判断も仕方ないと理解はしているけれど、僕としてもセレスが悲しむ顔は見たくないからね」
「騎士なら卑怯の方が嫌うんじゃないのか?」
「テイル、終わり良ければ全て良し、という言葉を知らないのかい?誰も声を挙げなければ卑怯じゃあないのさ」
「誰も知らなければ、じゃないんだな……」
「これでまた一つ、僕とテイルの秘密が増えたわけだ。ははっ」
「笑い事じゃないだろ」
「でも、付き合ってくれるんだろう?」
「まあな」
「じゃあ、この先の話をしよう。僕とセレスと、ついでに公国の民が生きるための、この先の話を」
そう話すジオの目は、一点の曇りもなく澄み切っていた。
それから少しして。
俺の装いを含めた支度が慌ただしくも行われ、集められたのはこの屋敷で一番広いと思われる部屋。
広間というには少し手狭な感じだけど、壁や天井、装飾品は白で統一され、厳かな雰囲気が漂っている。
出席者は当事者も含めて全部で六人。
部屋の一番奥にはミザリー大司教が立ち。
そして、なぜかジオの親戚役として、品のあるドレス姿のリーナとそれなりの格好の俺が向かい合う。
そして、婚姻の儀式にふさわしい装いに着替えたジオはというと、
「テイル、ちょっと遅くはないかな?もしかして、セレスがやっぱり止めたなんて言い出していないかな?」
「ちょっと落ち着けよ。あのセレスさんが今さらドタキャンなんかしないだろ」
「けれど、婚姻の儀式の直前に本当の想いに気づいて逃げ出す花嫁の話は枚挙に暇がないじゃあないか」
「もう、ジオ様のくせに往生際が悪いのよ……ぷっ」
「な、なにがおかしいんだ!?あっ、テイルもか!ミザリー大司教まで!」
「だって、ですよね」
「ええ、実にジオグラルド様らしいと思いますよ」
なんて風に盛り上がっていたところで、
「いらっしゃったようですよ」
ミザリー大司教の言葉に呼ばれたように、両開きの扉が静かに開かれ始めた。
その間の静寂。
そして、扉の向こうから現れたのは、純白の衣装に身を包み、花嫁の証であるヴェールを被った、キアベル夫人に手を引かれるセレスさんだった。
その相手であるジオを横目に見ると、ポカンとした表情で顔を真っ赤にしながら見惚れていた。
やがて、キアベル夫人に先導されるまま歩いてきたセレスさんが、放心状態のジオの隣に立った。
最初に沈黙を破ったのは、二人の前に立つミザリー大司教だった。
「さて、本来ならば四神教の戒律に則った手順を踏まなければならないところなのですが、残念なことに私はすでに四神教の徒ではなく、またこの場にいらっしゃる両人も、できる限り簡素な儀式をお望みと聞いています。お間違いないですか」
「「はい」」
ミザリー大司教の方を向いている、ジオとセレスさんの表情は見えない。
だけど、さっきまで感情の起伏が激しかったはずの二人の声がぴたりと揃っていた。
「では、天上の神々の失礼に当たらない程度に、両人の覚悟を問いましょう。新郎、ジオグラッド公国公王ジオグラルド。あなたはこの先新婦を――」
そこから先のことはほとんど覚えていない。
教会に行っての婚姻の儀式なんて、上流階級を除けばごく一部の金持ちにしか許されない贅沢だ。
ジオとセレスさんがミザリー大司教からの問いに答えていた内容なんて覚えていないし、思い出せる気もしなかった。
それでも、二人が次第に幸せを実感していく表情だけは、明確に記憶に刻まれた。
そして、
「病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、神々が護るときも試すときも、変わらず互いを愛すると誓いますか?」
「「誓います」」
「では神々の前で誓いの口づけを」
ミザリー大司教の言葉で、ジオはセレスさんのヴェールを上げて、キスをした。
身分も年も何もかもが違う、ただお互いを愛している二人が、この日夫婦になった。
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