第255話 災厄とジオ


「カトリーヌ様、ジオ様と共にいくつもの危機を乗り越えてきた私達に向かってその侮辱、もう一度言ってくれないかしら?」


 氷の騎士の二つ名はセレスさんのものだけど。

 今のリーナの殺気は本家に勝るとも劣らない冷気と迫力がある。


 それもそのはず。

 冒険者姿のリーナは当然帯剣したままで、キアベル夫人の次のセリフ次第では鞘から抜き放たれた剣が血を呼ぶのは避けられないだろう。


 災厄を利用した。


 さっきもジオがセレスさんに向けて言っていた気がしたけど、勘違いだと思っていた。

 キアベル夫人によってあれが勘違いじゃなかったと、リーナだけじゃなく俺も思い知らされている。


「聞き間違いではありませんよ、アンジェリーナ様。セレスと結ばれるため、邪魔な王国や教会を取り除く手段として災厄を利用したと、他ならぬジオグラルド公王陛下が申されたのですから」


「ジオ様がそんなこと言うわけないじゃない!」


「事実だと思いますよ。私も、同じ内容の話を公王陛下からお聞きしましたから」


「ミザリー大司教……!?」


 信じられないという表情のリーナだけど、ミザリー大司教は落ち着き払った態度を崩さない。


 子爵夫人に、元四神教の大司教。

 証言者は多ければ多いほど情報の確度が高まるけど、この二人の信用が掛け合わされば勝てる相手はそうそう居ない。

 その事実を悟ったんだろう、リーナのジオをかばう言葉が途切れた。


 なら、ここからは俺の番だ。


「一つ聞いてもいいですか、キアベル夫人」


「あら、平民のくせに随分と図々しいのね。この私との同席を許しているだけでは満足できなかったのかしら?」


「無礼は承知の上です。それでも、ジオのことを教えてもらいたいんです」


「単に疑問を投げかけるのなら、ミザリー大司教でもいいでしょう。私よりもよほど親切に接してもらえますよ」


「貴方が良いと思ったんです、キアベル夫人。俺に対して親切でも厳しくでもなく、それとジオのことを公平に見ている貴方に」


「どうしてそう思うのですか?」


「今、身分違いの俺と口を利いてくれているからです」


「……」


 キアベル夫人は俺に対して、一貫して冷たい態度を取っている。

 だけど、そもそも初対面の相手に親切にする方がおかしいし、礼儀を心得ようと思えば自然と堅苦しい言動になってしまうものだろう。貴族ならなおさらだ。

 唯一平民の俺をなんでこの場に呼んだのか、嫌なら騎士なり従者なりを使って追い出せばよかったのに、だ。

 どういう理由かはわからないけど、少なくとも俺に質問する機会を与えてくれたことは確かだ。

 キアベル夫人なら、ジオの親同然の関係で情実が混じりそうなミザリー大司教よりも、公平な視点で話してくれるはず。


 はたしてキアベル夫人は、


「あくまで私個人の印象を言わせてもらえば、ジオグラルド公王陛下は全ての責任を一身に引き受けようとしているのでは、と思えてなりません」


「それが、災厄を利用したって発言ですか?」


「順を追って話しましょう。かつて人族を滅ぼしかけた災厄の再来を、歴史研究を趣味としている当時のジオグラルド第三王子殿下が気づかれたのは知っていますね」


「はい。確か、中央教会にいたころだって聞いた覚えがあります」


「公王陛下は聡いお方です。再び災厄が人族を襲うと知った当時、絶え間なく発生する魔物の群れの脅威にアドナイ王国がどこまで抗しきれるか、検証に検証を重ねたはずです」


 確かに、ジオは物事の結末を確かめずにはいられない性格だ。

 そのくらいのことはしただろう。


「そして、多くの冒険者を使って魔物の領域を削り取ってきた歴史を持つアドナイ王国には、致命的な驕りが蔓延していると結論付けたそうです」


「致命的な驕り、ですか?」


「平和を謳歌する平民はもちろんのこと、貴族や商人の魔物に対する恐れが希薄なのです。おそらく、冒険者による討伐から得られる恩恵から自身の命を脅かす脅威へと、魔物に対する意識の変革が遅れていることが原因だと思われますが、こればかりは一朝一夕で改められるものではありません」


「彼らと比べれば、王国守護を旨とする騎士や、各地から迅速に情報を収集できるアドナイ国教会では、まだ事態を正しく把握していると思いますが、それでも災厄の脅威を積極的に喧伝するまでには至っていません」


「それらを総合的に検証した結果、当時のジオグラルド殿下は人族存続のために荒療治を決意したのだと思います」


「それが、災厄の利用ということですか」


 分かり切った俺の投げかけに、しっかりと頷いたキアベル夫人とミザリー大司教。

 この間に気を取り直したんだろう、疑いの目をしたリーナが、


「あの、虫も殺せないジオ様がそんな恐ろしいことを?何かの間違いでしょう?」


「意図的に行ったものではないのは確かです。災厄を自在に操ることなど先史文明にもできなかったのですから。ですが、公王陛下がアンデッドによる王都の被害を予見し、あえて阻止することもなかった結果、王国がかつてない危機を迎えているのは確かです」


「それは、ジオ様は王宮での発言力がなかったせいで……」


「あの公王陛下ならば、裏から手を回すなり人を介して問題提起するなり、公王陛下なりの王都を救う方法があったと思いませんか?」


「……」


 王都陥落を目撃した一人として、言葉が出ないリーナ。


 確かに、災厄を予見していたジオにしては、どこか物事を悠長に構えていたような覚えがある。

 思い返してみれば、アンデッドの大軍の発生を未然に防ぐなら、もっとやりようがあったのかもしれない。

 少なくとも、キアベル夫人の考えには共感できるものがあった。


「王宮、貴族、四神教、ご自身の御立場。公王陛下がセレスと結ばれるには数々の乗り越えがたい障害がありました。これらを打ち砕く手段として災厄を利用したと、公王陛下は仰られました」


「結果として王宮の権威は崩壊、貴族や騎士、教会も王国の仕来りどころではなくなり、ジオグラルド公王陛下は実質的に政治的立場を手放して王族の責務を果たす必要性が薄れました。――セレスとの婚姻を許される程度に」


「本当にそんなことが許されるんですか?」


 キアベル夫人とミザリー大司教の説明を聞いても、やっぱり理解できたとは言えない俺がいる。


 もちろん、ジオとセレスさんが互いに想い合っているなら、結ばれてほしいと思う。

 二人のことをそれなりに見てきて、それでも気づけないほど隠し通してきた二人の想いがどれほど深いか、俺にもよく分かる。


 だけど、そんなにうまくいくのか?


 アドナイ王国にはジオのお兄さんの王太子がいるし、ガルドラ公爵家だってジオに敵対している。

 それに、勝手に初心教なんて代物を作ったことを四神教の総本山が知ったらどう思うか。

 災厄に立ち向かうためのジオグラッド公国だけど、味方のはずの人族まで敵に回したら生き残れるはずがない。


 そんな思いを込めた俺の疑問にキアベル夫人は、


「さあ、どうなのでしょうね?」


「さあ、って……」


「一つ言えるのは、どのような結果になろうとも、キアベル家はジオグラルド公王陛下にお味方するだけということです。かつてのアドナイ王国のままでは家名断絶の憂き目に遭う運命だったところを、公王陛下に救っていただきましたので。おそらくは、サツスキー家もマクシミリアン公爵を始めとした派閥の貴族も、同じ考えのことでしょう」


「私は四神教の聖職者でしたが、同時にアドナイ王国の信徒を守る使命も背負っています。今までのように総本山の意向に従うだけでは信徒を死なせてしまうと確信し、公王陛下の御誘いに乗りました。本日は、そのささやかな恩返しのつもりなのですよ」


「恩返しですか?」


「ええ、私はお二人の婚姻の承認役を」


「私は義母として、セレスの付き添いです」


「じゃあ、ジオの方の参列者は……?」


 一瞬、ふさわしい人物として、リーナのお兄さんの顔が浮かぶ。

 だけど、今頃はゴブリンの軍勢の後始末の最中で、ミリアンレイクを離れられないはず。

 なら、キアベル子爵かサツスキー男爵だろうか、と思った俺に、リーナを含めた全員の視線が集まっていた。


 それで気づいた。


「まさか……俺ですか?」


「テイル、気づいていなかったの?」


「他には思い当たりませんね」


「婚姻の儀式を行うにあたって、公王陛下から参列者として聞かされたのはテイルさん、あなただけです。まあ、思わぬ同行者のアンジェリーナ様は特別扱いだとしても、他の方のお名前は一切知りません」


「で、でも、俺は――」


「平民だから、という言い訳は無しです」


「キアベル夫人……」


「いくら政務から遠ざかるとはいえ、公王陛下の婚姻ともなれば王国内外の賓客を招き、公国の結束を喧伝する絶好の機会です。それを押して、あなただけを招いた公王陛下のお気持ちに応えるのが筋というものでしょう」


 その言葉に雷に打たれたような錯覚に陥った。


 俺に嘘はつかないといったジオが隠し通した、たった一つの小さな願い。

 それはささやかでありながら、アドナイ王国そのものを滅ぼしかねず、全ての人族を敵に回すような悪の所業だ。

 本当なら、一人でも多くの味方を得るために盛大に祝うべきだろうセレスさんとの婚姻に、家族のような立場で出てほしいと、ジオは言っているらしい。


「あれこれと話しましたが、全ては公王陛下から打ち明けられた内容を踏まえた推測にすぎません。残る疑問は、直接ご本人に訊くといいですよ」


「そろそろ、セレスへの話も終わられたことでしょう。私達は新婦の衣装替えがありますから、あなたは公王陛下のお相手をしなさい。いいですね」


「あ、はい」


「じゃ、じゃあ私も」


「あなた達、アンジェリーナ様をこちらに」


「あっ、ちょっとなにするのよ!って力強過ぎよ!あなた達衛士ね!放しなさいよ!」


 かしましくもノービスの加護を受けたらしき側仕えの女性二人に両腕を掴まれ、キアベル夫人とミザリー大司教と一緒に中庭を後にするリーナ。


 さて俺はどうしたものだろうと見回すと、中庭の端からセレスさんがいた部屋に案内してくれた執事姿の人がこっちを見て一礼してきた。


 ――どうやら、本当にジオから話を聞くしかなさそうだ。

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