第254話 キアベル子爵夫人の証言


 セレスさんへの身分違いの想いを成就させるため、ジオが描いた壮大な野望の中身が今明かされる。


 と思ったところで、予想外の待ったがかかった。


「あー、テイル。少しの間、セレスと二人きりにしてもらいたいんだ。呼びつけておいて申し訳ないのだけれど、しばらくの間外してもらえないかな。もちろん、お節介者のリーナと一緒にね」


 いつもの傍若無人ぶりが鳴りを潜め、気まずそうな表情のジオにお願いされたら、さすがに断れない。

 同じ考えのリーナと目を合わせてから、俺達は部屋を後にした。


 とはいえ、


「これからどうしたものかな……」


「あまり人はいないようだけれど、勝手に歩き回るのは憚られるわね」


 かといって、上流階級の区画にあるらしいこの屋敷の外で暇つぶしができるとも思えない。

 そんな感じで二人で軽く途方に暮れていると、偶然にも通路の角の方から足音が聞こえてきた。

 日頃の行いが良いせいか、と期待を込めて待ってみると、思っていたのとはかなり違った。


「あら、公王陛下の睦み言を盗み聞きとは、随分と躾のなっていない平民ね」


 通路の角から現れたのは騎士や召使なんかじゃなく。

 数人の側仕えを従え、艶やかな薄紅色のドレスと金銀宝石の装飾品の数々を身に付け、それでもなお見劣りしない美しさを備えた、貴族夫人と思える妙齢の女性だった。


 だけど、突然の貴族夫人の登場に面くらっている俺以上に、驚きを隠せなかった人物が一人。


「礼儀を知らない平民はともかく、貴方は何をしているのですか、アンジェリーナ様」


「カ、カトリーナ様!?こ、これは、その」


「冗談ですわ。中庭に席を用意してありますから、話の続きはそちらでいたしましょう」


 そうリーナに誘いをかける貴族夫人の、薄く笑みを浮かべた冷たさが誰かに似ている気がした。






 屋敷の小さな中庭には純白のテーブルセットが置かれていて、思いもかけない先客が待ち受けていた。


「お久しぶりですね、テイルさんにアンジェリーナ様」


「ミザリー大司教!なんでここに?」


 四つある白い椅子の一つに座っていたのは、四つの基本ジョブを崇める四神教からノービスを信仰する初心教に鞍替えした、ミザリー大司教。

 今はジオグラッド公国にノービスの加護を広めている最中の彼女がなぜここに?と思っていると、


「そちらのキアベル夫人に招かれたのですよ。ジオグラルド様の恋路の決着を見届けませんか、との誘い文句は非常に魅力的でしたから」


「ちょ、ちょっと待ってください……キアベル子爵夫人?あなたが?」


「自己紹介がまだでしたわね。あなたのことは息子のリーゼルから一通り聞いています。特別に、この場に居合わせることを許しましょう」


 とっさに見たリーナも頷いたから、間違いない。

 この女性がキアベル夫人。

 ジオの側近、キアベル子爵の奥方で、リーゼルさんの母親。

 そして、セレスさんの義母だ。






 興奮と困惑の気持ちが逸るけど、この三人の前で率先して発言するのは憚られる、というか無理だ。

 空いている最後の席について、キアベル夫人の側仕えがお茶を用意するのを待って。

 形ばかりに口を付けた後で口火を切ったのはリーナだった。


「この屋敷にいるということは、二人はジオ様の企みとセレスへの想いを知っていたということよね?」


「ええ、その通りです。他ならぬ公王陛下に打ち明けられ、協力を持ち掛けられましたから」


「誤解のないように先に述べておきますが、ミザリー大司教も私も、事実を知ったのはごく最近のことです。公王陛下の企みにはほとんど関わっていないのです」


 確かに、誰かに相談しながら事を進めるというよりは、真意をひた隠しにして自分の思い通りに他人を動かす方が、俺の知っているジオのイメージに近い気がする。

 そう納得しかけているところに、


「騙されちゃあ駄目よ、テイル。協力を持ち掛けられたのは最近でも、ジオ様の目的を把握したのが同じ時期とは限らないわ。特に、アドナイ王国の社交界に広くその名が知られているキアベル夫人はね」


「あら、社交に疎いアンジェリーナ様にまで知られているとは、光栄ですわね」


「冒険者としての知識よ。依頼を受ける時の要注意人物の一人として、ね」


 まるで火花を散らすように互いの目を見続ける、リーナとキアベル夫人。


 ……どこで火がついたのか知らないけど、これはさすがに口を出せない。

 そんなところに救いの手を差し出したのは、ミザリー大司教だった。


「キアベル夫人、ここは女たちの戦いの場ではないのでしょう?あまり若い方たちを困らせるのは感心いたしませんよ」


「……わかりました。ミザリー大司教の顔に免じて、ここは私が折れましょう。確かに、ジオグラルド公王陛下の動静は以前から把握していましたし、王都陥落前から真の目的にも気づいていました」


「やっぱりそうだったのね」


「ただし、セレスとの婚姻に関して知ったのは、公王陛下からお話を戴く直前のことです。そうでなければ、ジオグラッド公国のために、私はあらゆる手を尽くして計画を潰していたでしょう」


「公国のため?キアベル子爵家のためじゃない」


「公国のためでもあり、キアベル家のためでもあります。もっとも、貴族社会に嫌悪を感じているアンジェリーナ様にはご理解いただけないかもしれませんが」


「詭弁よ。そもそも、幼いころから問題児として有名だったジオ様を監視するのがセレスの目的。そして、セレスをジオ様のもとに送り込んだのが、貴方だったんだから」


「そうなのか!?」


 前言撤回。

 というよりも、今になって知らされた衝撃的な事実に思わず声を出してしまったというのが正しい。

 そんな俺に、ニコニコと二人の会話を見守っていたミザリー大司教が話しかけてくれた。


「王族の側近は、得てしてそういう側面を持っているものなのですよ。王族の考えを深く知ると共に、時に助言や貢物という形で、自分たちの都合がいいように誘導するのはむしろ常套手段。権力闘争の基本中の基本なのですよ」


「あのセレスが、当時のジオグラルド殿下から情報を引き出せるとでも?それは買い被りというものですよ、ミザリー大司教」


「殿下の居場所を報告させるくらいのことはしていたのでしょう?それから、万が一にも殿下の存在がキアベル子爵家の害になるようなら非情の手段を取れるように」


「さあ、どうだったでしょうね」


 絶対に聞きたくなかったし、どう見ても平民が聞いちゃいけないような会話が、目の前で繰り広げられている。

 場違いすぎて、できれば今すぐこの場を後にしたいくらいだ。


 ――会話の内容がジオとセレスさんのことじゃなかったらの話だけど。


「殿下に遠慮したのか、セレスからの報告は詳細というには程遠いものでしたが、それでもキアベル家の行く末を占う判断材料として有意義なものでした。もしも、セレスが殿下のお側に仕えていなければ、夫がジオグラッド公国の要職に就くことはなかったでしょう」


「そして、公国への貢献を認められたキアベル夫人と私は、公王陛下から今回の秘事を打ち明けられ、こうしてお手伝い申し上げているというわけです」


「手伝いって、セレスのことよね?」


 ようやく話が本筋に戻ってきたことで、しびれを切らしたリーナにキアベル夫人が、


「ええ、私がセレスの淑女教育を」


「私が聖職者として婚姻の見届け役として、こうして時が満ちるのを待っているのです」


 なるほど、一つ謎が解けた。


 ジオが言っていた、セレスさんの花嫁修業の教師役がキアベル夫人だったってことだ。

 考えてみれば、キアベル子爵家はジオグラッド公国の重臣であると同時に、名目上とはいえセレスさんの実家でもある。

 セレスさんが反抗しづらいのも大きなポイントだ。


 さらにキアベル夫人は続ける。


「ですが、いくら公王陛下の頼みと言えど、王国の身分制度を根幹から否定する手伝いをするわけにはいきません。少なくとも、そうするにふさわしい事情を聞かないことには」


「そのことを見越していたのでしょう。公王陛下は、私達それぞれにこれまでの計画と真意を打ち明けてくださったのです。下手をすれば、私達のどちらかから暗殺される危険を承知の上で」


「暗殺!?どんな話を聞いたらそんな考えになるんですか!ジオが何をしたっていうんですか!?」


 ジオほど破天荒な奴を、俺は知らない。


 神出鬼没で人使いが荒く、いつも周りを振り回して自分はニヤニヤと眺めているような性格。

 だけど、なぜか人を惹きつけ、その言葉に誰もが耳を傾けるカリスマも持ち合わせている。

 出会った頃から王子とは思えない行動力で、何度も危機を切り抜けてきた。

 そんなジオに俺は助けられているし、信用もしている。


 だけど、キアベル夫人の言葉は簡潔で、少なくとも疑いの素振りはなかった。


「ジオグラルド公王陛下は己が野望を叶えるために、人族を滅ぼさんとする災厄を利用したのです」

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