第253話 ジオの野望の果てに


 ジオとセレスさんの関係を疑ったことは一度もない。

 ――この場合の関係っていうのは、主従の信頼って意味だ。

 下種の勘繰りなんかしていない。


 王子とは思えないほどにおしゃべりなジオに、辛辣なツッコミを入れるセレスさん。

 それでいて一線を引くべきところはきっちりと引いている、不思議な距離感の主従。

 それが、見ているこっちも妙にしっくりきて、いつの間にかに居心地のいい雰囲気に巻き込まれている。


 戦いのときもそうだ。


 護衛対象が出しゃばったらどんなに騎士が優秀でも手に負えないだろうけど、ジオは対極の存在といっていい。

 なにしろ、ほんとうに自分からは何もしない。

 襲撃されている間は一歩も動かないし、口出しも一切しない。

 何かするとしたら、セレスさんが指示するままに動くだけだ。

 最初の頃は、少しは命の危機を感じろよと思ったことも何度かあったけど、やがてこれはこれで信頼の証なのかもしれないと考え直した。


 貴族の世界はほとんど知らないけど、こんな関係もあるんだなと、ジオとセレスさんのことをちょっとうらやましく思っている。


 だけど、ジオとセレスさんの関係を疑ってもいる。

 ――この場合の関係っていうのは、男女の仲って意味だ。

 下種の勘繰りそのものでしかない。


 考えてみればわかるというか、ジオとセレスさんは先史文明の遺跡や文献を調べるために、しばらくの間二人きりで旅をしている。

 多くの人の目がある王宮にいたころはともかく、旅の間に怪しい雰囲気になったこともあっただろう。

 宿で同じ部屋に泊まった時とか、着替えの最中とか。


 これは俺の想像というか妄想でしかないけど、ジオが一言命令しただけでセレスさんは何でも受け入れる。

 また、セレスさんの性格を考えたら、その逆はあり得ない。

 そう確信できるくらいの付き合いはある。


 つまり、一夜の過ちが起きるとしたらジオからの一方通行な要求しか考えられないわけだ。

 だけど、二人の間にそんな雰囲気は一度も、一瞬もなかった。

 朴念仁の自覚がある俺でも、そのくらいは分かる。


 二人きりで旅を続けていたジオとセレスさん。

 その間に一線を越えなかった理由があるとすれば、可能性は二つ。


 ジオがセレスさんを異性として全く眼中にないか。


 愛の深さからとても大切に想っていたかのどっちかだ。






 窓に鉄格子がはめられた、まるで牢屋のような小さな部屋。

 その窓際の椅子に座るドレス姿の、囚われのお姫様といった雰囲気の美しい女性。

 そして、この日のために用意してきたのか純白の衣装に身を包み、お姫様の前に跪いて愛を告白する若者。

 まるでおとぎ話から飛び出してきたかのような一幕が、まさに目の前で繰り広げられている。


 それを踏まえた上でも、ジオがセレスさんに求婚しているという事実を受け止め切れていない俺がいた。


 ふと気になって、隣のリーナを見てみると、困惑しきった眼と合った。

 どうやら、俺と同じく全く気付いていなかったらしい。


 そう確信してはいるけど、声にして確かめたい。

 だって、あのジオとセレスさんだぞ?

 二人の空気とか距離感とか、なにより王子と護衛騎士という身分の差とか。

 あれだけ男女の仲を感じさせなかったのに。


 だけど、今この場の主役は俺達じゃない。

 言葉を紡ぐべきは、俺達のことを忘れたかのように互いを見つめ合っているこの二人だ。


「ジオ、様……?」


「セレス、僕と夫婦の契りを交わしてほしいんだ」


「……申し訳ありません。よく聞こえなかったのでもう一度お願いします」


「僕と二人、夫と妻という関係になって共にこの先の生を歩んでほしいんだ、セレス」


「何の冗談ですか……?」


「僕が冗談なんか言ったこと、あったかい?」


「星の数ほど」


「そうか。でも、今は嘘偽りなく本気だ」


「……」


 飄々と前言を翻すジオに、セレスさんは言葉を返さない。

 その代わりに、視線だけで殺せそうなほどにジオを睨みつけている。


 いつもなら、始まった瞬間から結果が分かっている勝負。

 だけど、この時は、この時だけは、ジオはセレスさんから目を逸らさなかった。


 しばらくの間、誰も何も言えない張り詰めた空気が支配した後で、しびれを切らしたセレスさんが口火を切った。


「ジオ様と私が結ばれるなど、天地がひっくり返ってもあり得ません」


「あり得ないのかい?」


「当然です。身分違いの恋を禁じる法や規律が、アドナイ王国にはいくつもあります。全てのアドナイの民の規範たる王族にあらせられるジオ様に、このようなことを申し上げるのは無礼なほどです」


「あいにく、僕は興味がないことは忘れる質でね。教えてくれないかな」


「護衛騎士が主である王子に懸想するだけでも極刑ものの大罪です。恋仲はもちろんのこと、夫婦になるなどもってのほかです」


「なるほど。他には?」


「王子との婚姻となると、相手は他国の姫君か自国の大貴族の令嬢に限られます。護衛騎士ごときが選ばれるなど、王国の根幹を揺るがす事態です」


「うんうん、それで?」


「四神教の問題もあります。婚姻の儀式を司る中央教会はことのほか序列の優劣に厳しく、仮に王国が許しても教会が認めなければ神が許さなかったも同様です」


「筋は通っているね」


「それになにより」


「言ってごらん」


「騎士といえど、由緒ある家柄の血筋なら万に一つの望みもあるでしょう。ですが私は――」


「母親は卑しい身分で、孤児の過去がある、と?」


「その通りです」


「そうか」


 その一言の後、少しの間ジオが沈黙した。

 それは、セレスさんへの返事を迷っているんじゃなく、決戦を前に呼吸を整えているように見えた。


 やがて、椅子に座って身じろぎもしないセレスさんを見上げながら、跪いた姿勢のままのジオが口を開いた。


「セレス、始めに言わせてもらうよ――セレスはどこまで愚かなんだい?」


「お、愚か……?」


「ああ、この世で最も愚かな者が居るとすれば、それは自己評価が不当に低く、かつ他者の声に耳を貸さない者だと僕は考える」


「私のどこが愚かだというのですか?」


「セレスが、僕の騎士であることを不当に低く評価していることだよ」


「っ!?」


「自分で言うのもなんだけれど、僕の扱いは本当に面倒くさい。面倒くさすぎて、数多の有能な官吏や侍従が仕える王宮ですら、僕の相手をできる者が一人もいなかったくらいだ」


 あくまでも優しく語り掛けるジオ。

 その愛する人に向けている表情は、俺はもちろんこれまで誰一人として見たことがないに違いない。

 なにしろ、一番ジオの側に居たセレスさんが一番驚いているから。


「そんな僕に辛抱強く付き合い、また『氷の騎士』としてその剣名が王都に響き渡ったセレスを蔑む者など、このアドナイ王国には一人も存在しない」


「そんなことは……」


「もしそんな輩がいるのだとしたら、この僕が許さないさ。セレスのことを一番理解している僕がね。それと」


「それと?」


「セレスが考えている全ての障害は、すでに取り払ってあるよ」


「なにを……おっしゃっているのですか?」


「僕はもう王族じゃあない。貴族ですらない。セレス、君と結婚するために僕が持てる全てを使い、王国も四神教も貴族も利用し、災厄すらも悪用して、僕は僕の野望を叶えようとしているんだ」


 僕の野望――ジオの野望。


 それは、王国のためでも人族のためでも自分のためでもない、たった一人のセレスさんと結ばれるためだった。

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