第252話 セレスとジオ 4


 ジオ様から旅の概要を聞かされた際に、驚かなかったと言えば嘘になります。


 かつて人族を滅亡の淵まで追い込んだ災厄。

 それが五千年の時を経て再び起こるかもしれない。

 その詳細と、先史文明が講じた対抗策を記した文献の探索。


 あまりに壮大で重大な目的に、初めは理解が追いつきませんでした。


 当然です。

 私はジオ様の護衛騎士兼従者であって、主の身の回りの世話と安全の確保が役目です。

 今回の旅も、第二王子ルイヴラルドとそれに与する貴族が送り続けてきている刺客から逃れるため、ジオ様をかくまっていた中央教会にこれ以上の迷惑をかけないため、と思い込んでいましたから。

 二手三手先どころか、人族が生き残れる遥か彼方の景色を見ていた。

 それが我が主、ジオグラルド第三王子殿下だったのです。



 旅の準備に関しては、以前ジオ様が仰っていましたね。

 では、もう少し詳しく。


 旅に出るにあたっての最大の関門は、王都を出るまでに予想される刺客の襲撃と、その後の追手でした。

 そこで、ジオ様は王国の主な派閥をめぐる表敬訪問を始められました。

 もちろん、教会騎士団の十分な護衛をつけた上で。


 表向きは、改めての王位継承権放棄の宣言と、王都を離れる前の別れの挨拶。

 内実は、刺客の中止要請と、聞き入れられなかった場合の反撃宣言。


 これまで襲撃してきた刺客は生かしていたのか、ですか?

 まさか。半端な憐憫はジオ様の御命を危うくするだけですよ。

 この場合の反撃宣言とは、刺客を放った者達に直接意趣返しをするという意味です。

 もちろん、剣に訴えるしか能がない私が実行者で、意趣返しの方法は言うまでもありません。


 詳細を語ると少々血生臭くなってしまうので、結果だけを述べます。

 この時期、十ほどの貴族家がほぼ同時に代替わりをしたそうです。


 いいえ、大貴族は一つも含まれていません。中小の貴族だけです。

 ジオ様の命を狙っていた中小の貴族の目的は、大貴族へのアピール。

 つまり忖度です。

 大貴族は王子暗殺に直接手を染めませんし、手を染めていたとしたらいい脅しになったと思います。


 大貴族でも、護衛を皆殺しにされた上に、人生の最後に首を飛ばされたくはないでしょう?

 それに、私を止めたければ、あいさつ回りの間にジオ様を護衛していたグランドマスターレナート程度の戦力を持ってこなければ命を無駄にするだけですし、実際そうでしたから。

 まあ、権威が通用しない貴族など、その程度だということです。



 旅の間のことは、話すつもりはありません。


 表向きは王都にいたままになっているジオ様の立場を保障していただいたミザリー大司教に、無用の迷惑をかけることになりかねませんので。


 ……いえ、この際です、正直に言ってしまいましょう。


 先史文明の痕跡を探す、当てのない旅。

 はたから見れば無謀にして過酷な試みに見えるでしょうし、旅のことを知る数少ない人々も似たり寄ったりの感想を抱いていたようです。

 テイルとリーナ様もそうだったのでしょう?


 ですが、ジオ様にとって、あれほど何物にも縛られずに好きなことに没頭できた時期は、後にも先にもないでしょう。

 もちろん、そんなジオ様の御側に仕えられた私にとっても、至福の時でした。

 本音を言ってしまえば、人族の存続などどうでもよくなっていたほどです。

 

 ああ、これはジオ様には内緒でお願いします。



 そんな、ある意味で最も穏やかだった日々は、突然終わりを告げました。


 ここまで言えばもう分かっているでしょう。

 テイル、あなたに出会ったからです。


 それまでのジオ様が王宮のしがらみから解放されて自由になったとすれば、テイルと出会ってからのジオ様は使命に目覚めたと言うべきでしょう。


 とてもそうは見えませんでしたか?

 テイルに語り掛けるジオ様は常に悠然とした態度だったと。

 私には、宝物を見つけた子供のようにそわそわしていたように思えましたが。



 人族存続のために災厄に立ち向かう。


 ジオ様の目的は崇高なものでしたし、私も護衛騎士として命を懸ける機会を得られて密かに高揚を抑えるのに苦労する日々でした。


 なぜか?

 そう言われても、それが騎士というものですから。


 常に主の後ろに控え、決して目立たず出しゃばらず。

 一挙手一投足も見逃さず、さざ波ほども心を揺らさず。

 前を遮る者がいれば退け、後ろから追う者がいれば立ち塞がって先に逃がし。

 名誉を守るためなら躊躇いなく一命を賭す。


 別に、現実との折り合いがついていないわけではありません。


 かつて教官によって脳裏に刻まれた王国騎士の理想を体現できている者など、数えるほどしかいないでしょう。

 ですが、幸か不幸か、私はそのうちの一人でした。

 別に自惚れるつもりはありません。

 孤立無援のジオ様を一人でお守りし、従者の真似事も兼ねるとなれば、そのくらいの自覚は必要だという客観的事実があるからです。

 正式な王族復帰やジオグラッド公国建国に向けてジオ様が暗躍する中、私の能力は十全に生かされていた実感もありました。


 私の全盛期といっても過言ではありません。

 そんな日々でした。



 ですが、昇る太陽は必ず暮れます。

 全盛期があるということは、凋落の時が必ず訪れるということです。


 そのことを最初に実感したのは、公国建国の準備の一環で衛士隊が整備され始めた頃でした。

 ジオ様の護衛として、新たに数名の衛士が私の他に就くようになったのです。


 初めのうちは、護衛戦力が増大してジオ様の安全の確保が容易になったと、内心喜んでいました。

 ですが、次第に私の役割が徐々に縮小している事実に気づきました。

 平たく言えば、私が警戒するまでもなく、ジオ様の身の安全は図られるようになってきたというわけです。


 広い視野、鋭い聴覚、異臭を感知する嗅覚。

 一流の冒険者の動きにも何とか対応できて、投石や魔法といった牽制手段も豊富。

 そんな衛士が十人ほど護衛に就けばほとんどの脅威は退けられ、万が一の事態でもジオ様を逃がすことくらいはできるでしょう。



 そうですね。

 役目を失いつつもジオ様の御側に居続けることに、辛さや寂しさを感じなかったわけではありません。

 ですが、ジオ様の護衛という大任と、私個人の心情はまるで関係がありません。

 孤児からキアベル家に引き取られ、ただ剣と騎士の道のみを突き進んできた私にとって、与えられた役目を全うすることだけが矜持です。

 自ら護衛騎士の任を退き、ジオ様の前から姿を消すなど自己満足でしかなく。

 主に疎まれ嫌われぬいて不要と断じられるまで、ジオ様の御側を離れない覚悟でした。



 その時は案外早く訪れました。


 ある日、ジオ様から告げられたのは、王都陥落前に家族ともどもジュートノルに居を移したキアベル子爵夫人への文使いでした。

 その書状に何が書かれていたのかは知りませんが、キアベル夫人が手紙を読み終えた直後、私はこの屋敷に軟禁されることになりました。

 もちろん、ジオ様の命令だとキアベル夫人に聞かされた上でのことです。


 命令の真偽を疑う余地などありません。

 公王となられたジオ様の最側近の一人であるキアベル子爵。

 そのキアベル家を実質的に支配している夫人は、ジオ様が最も信頼している人物の一人です。

 そのキアベル夫人の言葉を疑いジオ様に問いただせば、それはそのままジオ様を疑うことに直結します。

 私に選択の余地はありませんでした。



 表向きは義理の母になるキアベル夫人の言いなりになっている内に、私が行っているのは貴族の淑女としての教育、つまり花嫁修業だと分かってきました。


 その意図など、考えるまでもありません。

 私を一人前の貴族令嬢に仕立て上げた上で、どこかの貴族家に嫁がせる。

 騎士道一本で生きてきた私に今さら淑女の教養を身に付けさせようなど、それ以外の目的は考えられませんし、命じたのがジオ様その人だと誰でもわかります。


 正直、貴族の礼儀作法は苦手ですし、付け焼刃で覚えても貴族に嫁げるとはとても思えません。

 ですが、ジオ様の命とあれば、ティーカップの持ち上げ方も覚えますし、身の毛もよだつような殿方の喜ばせることも厭いません。

 嫁ぎ先で貞淑な妻を生涯演じる苦難にも耐えきって見せましょう。



 ですから。

 ですからせめて一言。


 お前は用済みだ。

 最後に他の男の物になって役に立て。


 そう命じてほしい。


 他の誰かではなく、ジオ様の御言葉で。


 何もない私を側に置き。

 役目を与えてくださったジオ様だけが、この愛を終わらせることができるのだから。


 最後に、いつからか芽生えた私の想いを手ずから摘み取ってほしい。


 そんな願いは、ただの私の我がままなのでしょうか?






「いいや。

 僕は君を手放すつもりはない。

 きみは永遠に僕のものだ。

 だから、この僕の花嫁になるんだ、セレス」

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