第251話 セレスとジオ 3
軍神の再来。
天が二物を与えし英雄。
アドナイの賢公。
先々代マクシミリアン公爵を称える名は数知れず。
派閥の貴族や騎士といった公の教え子たちが、今やジオグラッド公国の中核をなしつつある現状を鑑みるだけで、その先見性もうかがえるというものです。
その多くの物事を見通す稀代の眼力が、よりにもよって誰よりも王族の責務から逃げていたジオ様に向けられたのは、抗いがたい運命だったとしか言いようがないのでしょうね。
私が出会った頃のジオ様は貴族院をお辞めになる直前で、以来他者との関わりがほとんどない暮らしでした。
貴族や騎士はもちろん、ご家族でさえも儀礼の場以外でお会いになることはなく、またジオ様の元を訪ねる人も数えるほどでした。
もちろん、その中には名目上とはいえ婚約者であらせられた、まだ幼いリーナ様もおられましたが、特別な印象が私の記憶に残ったわけではありませんでした。
ある意味で、ジオ様との仲が深まったのはジュートノルで再会して以降のことです。
そんな中で、護衛騎士兼従者の私の役目はというと、毎日違う場所で読書に勤しむジオ様のために、第三王子宮内の書庫との間を行き来することでした。
なにしろ、生誕の際に王家からつけられた由緒ある家柄の従者や騎士といった側近は、ジオ様ご自身の意志で全て解任されており、お側に侍っているのは私一人という有様でした。
あとは、第三王子という立場上どうしても必要な取次役と警護の騎士か、身分が低すぎて直答が許されない召使の類しかいなかったのです。
まさに王宮という名の籠の鳥のジオ様の元に頻繁に訪れていた「変わり者」が、先々代マクシミリアン公爵でした。
護衛騎士兼従者の役目に就こうとした私を王子という地位をかさに着て追い出そうとしたジオ様ですが、一方で王族として最低限の責務も負っていらっしゃいました。
その一つが、確たる理由もなく同じ王族の訪れは断れない、というものです。
まあ、王家でも厄介者で通っていたジオ様と積極的に関わろうという方はほぼ皆無だったのは知っての通りですが、唯一といっていい例外が、当時のマクシミリアン公爵です。
いえ、マクシミリアン公が直接が訪れたことはほとんどなかったようですし、私も拝謁の栄誉に預かったことは、その時まではありませんでした。
ただ、時候の挨拶は欠かさず、王族にふさわしい贈り物を添えて代理の者を遣わしていたそうです。
しかも、贈り物のほとんどはジオ様の知識欲を満たすような希少本の数々だったそうですから、ジオ様も悪い気はしていなかったと聞いています。
それが、ある日事前の知らせもなく突然に第三王子宮を訪れたマクシミリアン公は、自身の側近も含めて完全な人払いを命じると、まだ子供のジオ様と二人きりで長い話し合いをして、帰っていきました。
あの時、ジオ様の私室を出て廊下を去って行くマクシミリアン公のことは、とてもよく覚えています。
カイゼル髭の口角を深く持ち上げ、獲物を見定めた獅子のように爛々と輝く瞳で虚空を睨みつけながら、一騎当千の側近達を引き連れる姿は、まさに噂通りの人物でした。
ジオ様も、マクシミリアン公の本性は察していたようで、「僕に対する好々爺とした笑みと世間の評価、果たしてどっちが真実なのだろうね」と仰られていたのを今でもよく覚えています。
しかし、そのような不安定で不穏な時期は、マクシミリアン公の急死という形で終わりを迎えました。
同時に、ジオ様の深慮遠謀を知るきっかけとなったのです。
「セレス、どうやらここにはもう居られなくなったらしい」
ジオ様にそう言われたのは、マクシミリアン公急逝の知らせが王都を駆け巡る直前のことでした。
ええ、私が一報を受けて衝撃を受けたのは、四神教中央教会に移った後のことでしたから、記憶に間違いありません。
これも後にわかったことですが、ジオ様はギルドを通さずに個人的に冒険者を雇い、マクシミリアン公の周辺を密かに見張らせていたそうです。
当時、まだ十歳にも満たない子供のすることではないと私も思いましたが、そのおかげで命を救われた事実があるので言葉もありません。
そうです。
開口一番、ジオ様の命により、とるものもとりあえず着の身着のまま、目立たぬように裏口から第三王子宮を抜け出しました。
人数は、ジオ様と私の二人だけ。
あまりの急展開に、この頃にはジオ様の思い付きにもある程度慣れてきていた私でさえ、頭がついて行っていませんでした。
深刻な事態に気づけたのは、裏口の扉を閉めたばかりの第三王子宮から複数の悲鳴が聞こえてきた直後でした。
風の噂によると、この日正体不明の賊の襲撃を受けた第三王子宮は、たまたま所用で外出していた第三王子とその従者を除いて皆殺しに遭った上、火付けによって全焼したそうです。
そうです。以前、テイルが見た第三王子宮は一度更地にして建て直したものです。
少なくとも、アンデッドの類は出なかったはずです、多分。
命からがら第三王子宮を脱出したジオ様と私は、そのまますんなり中央教会にたどり着き、無事に保護されました。
――と、以前のジオ様の説明ではそのような印象を受けたことでしょうが、事実は少々異なります。
すでにお分かりでしょうが、第三王子宮を襲った賊の正体は、マクシミリアン公を暗殺した第二王子ルイヴラルドが放った刺客です。
ですが、刺客の標的は言うまでもなくジオ様であって、あっさりと逃がすわけにはいきません。
いえ、特に命の危険はありませんでした。
ジオ様にも、私にも。
強いて難点を挙げるなら、私にとって生死を懸けた初めての実戦であったことと、相手がいわゆる殺しのプロだったとはいえ我が剣を血に染めてしまったことくらいです。
なんということはない、そう言い聞かせています。
こうして、ジオ様に付き従う形で、第三王子宮から四神教中央教会へと居を移したわけですが、私個人に関してはあまり平穏無事な時期とは言い難いものがありました。
毒薬、偽装、潜入、夜襲、内通。
マクシミリアン公という後ろ盾を失ったジオ様を、どなたかの意向を勝手に解釈した何者かが、あらゆる手段で暗殺にかかったのです。
もちろん、中央教会を敵に回すことを恐れてほとんどが目立たない方法に限定されましたが、表立って協力を要請するわけにもいかず、その対処をジオ様の唯一の従者である私が一手に引き受けざるを得ませんでした。
結果ですか?
ジオ様と私が今も五体無事に過ごしていることが、何よりの証拠です。
あまり知られていませんが、高貴なるお方の警護のためには、あらゆる暗殺手段と対処法への精通も必須知識の一つなのです。
キアベル家時代の過酷な騎士教育がこのような形で実を結ぶとは、皮肉以外の何物でもないですが。
それでも、塵が積もれば山となるように、不穏な出来事がいくつも続けば自然と上層部の耳に届くものです。
中央教会にとっても扱いが難しいジオ様に、人格者で知られるミザリー大司教という後ろ盾がついたのは、今日に至るまで天運だったと言わざるを得ません。
当時はまだまだクソガ――王子らしからぬ振る舞いが目立っていたジオ様が一通りの礼儀を心得るようになったのは、まさにミザリー大司教による薫陶の賜物です。
あくまで私見ですが、家族を顧みることのなかった国王夫妻よりも、ジオ様がミザリー大司教に親愛の情を持っていたように、私は思います。
ですが、四神教大司教の力をもってしても、事は収まりませんでした。
とうとう、中央教会の司祭の一人が暗殺未遂の巻き添えを受けて深手を負ったことで、ジオ様は決断しました。
「セレス、ちょっと王国中の文献を調べに行こうか」
そんな建前のもと、ジオ様と私、二人だけの旅の始まりました。
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