第250話 セレスとジオ 2
再び天涯孤独の身となった私を王宮の通用門で迎えたのは、王宮の侍従らしき老人でした。
そこから、どう見ても非効率な道順を辿り、何人もの騎士や衛兵に呼び止められては許しを得て、ようやくたどり着いたのは、果てが見えないほどに広い王宮の庭の一角にある、小さな東屋でした。
そこに、テーブルセットを持ち込み、左手で茶をたしなみながら右手でテーブルの上の本のページをめくるという無作法をなしている、王族の衣装を着た少年がいました。
「殿下、新しい従者兼護衛騎士を連れてまいりました」
「あ、そうかい。じゃあ、そいつは首だ。さっさと連れ帰ってくれ」
「で、殿下、それはさすがに……」
「外聞が悪いというのかい?それならば、今日一日は側に置こう。そして明日の朝一番に解任だ。理由は任務に遅刻したからとでもでっち上げておくといい。僕が許す」
「殿下……」
「なんだい、僕の言うことが聞けないとでもいうのかい?」
その時、それまで本から目を離さなかった少年が顔を上げて侍従を一瞥しました。
その少年の目を、私は生涯忘れることはないでしょう。
昏く、冷たく、感情など何もなく、目に映る全てが心底邪魔だと言葉以上に物言う、何物も拒絶する孤独な瞳。
まあ、それはそれとして、
「痛っ!?え……頭が痛い?な、殴られたのか、この僕が?」
「セ、セレス殿!?」
そうです。
私はジオ様の頭に拳骨を食らわせました。
理由は単純です。
己が身を守る護衛騎士との顔合わせの場で、書物に目を落としながら茶を喫するという、王子にあるまじき無作法を咎めたのです。
「セレス殿、気は確かか!恐れ多くも殿下に手を上げるなど!」
「確かに恐れ多いことですが、護衛騎士として主の無作法を指摘しただけです。罰は後ほど甘んじてお受けします」
剣の才を認められて騎士の教育を受けた私ですが、習得したのはそれだけではありません。
アドナイ王国の歴史や礼儀作法の一通り、主に仕える騎士としての心構えなど、立場にふさわしい教養を身に付けたつもりです。
最も大事なのは、いざという時に主を諫める覚悟と勇気だと。
「こ、この!父上にも殴られたことがない僕を良くも殴ったな!お前など首だ!すぐに出ていギャッ!!」
というわけで、反抗的な目で睨んできたジオ様の頭頂部に、再度拳骨を食らわせました。
「セ、セレス殿、乱心されたか!?」
「護衛騎士は、常に主に付き従う責務が課され、役目に就くには厳しい審査があると聞きます。当然、すぐに代わりなど見つかるわけがなく、王族の独断で決められるものではありません」
「た、確かに法典でもそう定められてはいるが……」
「ジオグラルド殿下の発言は、護衛騎士の役目を軽んじると共に御身の生命を危うくする、およそ王族の自覚が欠如した愚行です。僭越ながら、側近として諫めるべきかと愚考しました」
「だ、だが、いくらなんでも――で、殿下!どちらへ!?」
「ふん!お前が去らないのなら、僕の方から離れてやる!これで清々する――は、早い!?」
「逃がしません」
そのようなやり取りが幾度か続き、ジオ様の頭部が歪な形になり始めたころ、その日の護衛任務は終了しました。
ご寝所の警備を担う近衛騎士に引き継ぎ、あてがわれた自室に初めて足を踏み入れてそのままベッドに飛び込んで、しばらく無心で過ごした後、今日の出来事を振り返りました。
ああ、これで明日をも知れない身になったな、と。
日中はあのような真似に出ましたが、これでも一通りの常識は心得ています。
確かに主を諫めるのは護衛騎士の役目ですが、己の保身を考えるなら唯々諾々と従うのが普通でしょう。
今日の私がジオ様に行った所業を考えれば、良くて王都から追放、悪くしなくても王族侮辱の罪で処刑といったところでしょう。
まあ、それはそれでよかったのです。
唯一の居場所だったキアベル家から出され、王宮に来たばかりの私には、生きる意味も与えられる義務も存在しませんでしたから。
もしかすれば、キアベル家のどなたかの意志が働いて私が王宮に仕えることになったのでしょうが、直接命を受けていない以上、忖度する必要を感じませんでした。
そこまでの義理もありませんでしたから。
ただ、目の前に現れたジオ様を見て、その短くもわがまま放題の生を一目で感じ取った時、有体に言って腹が立ちました。
断崖の淵を歩んできた私のこれまでと対極だったからか、それとも何もかもを諦めたような冷めきった眼が似ていると思ったせいか。
どちらが私を突き動かしたのかはわかりません。
とりあえず、これまでと比べて格段に柔らかすぎるベッドに慣れなければと思って、明日のことは明日の私に任せることにして、眠ることにしました。
翌日、私を待っていたのは王宮追放でも処刑でもなく、昨日と変わらずジオ様のお側に就く護衛騎士の役目でした。
「いいか?もし昨日のようなことをこの僕に向けてやったら、王都中を引き回した後で火あぶりにしてやるからな!わかったらそこに跪いて――ウギャッ!?」
「殿下、お食事中はよそ見厳禁です。特に、口に物が入っている時は絶対に喋ってはなりません」
後にわかったことですが、ジオ様への不敬に関して居合わせていた侍従から報告がしかるべき筋に上げられ、私の処分が話し合われたそうです。
どうやら、厄介者の第三王子に面と向かって意見できる逸材だと逆に重宝がられ、処分保留で済んだようです。
さらに、一番の問題のジオ様も、
「いいかセレス、本当に僕の従者兼護衛騎士になりたかったら、全てを完璧にこなすんだ。なにしろ、僕は無能な兄と愚かな兄とは違って、アドナイ王国史上最高の頭脳だからな。最高の僕に見合うだけの能力がないなら、すぐに捨ててやるんだからな!」
大人顔負けの知識量こそすでにお持ちでしたが、周囲に反感を持たれない処世術にかけてはまだまだ未熟だった当時のジオ様に、こう言われました。
おそらく、遠回しに私のことを認めていただけたのでしょう。
そして、言葉遣いこそ褒められたものではなかったですが、ジオ様の最初のご命令は極めて的を射た予言となりました。
それから数年ほど、これまでとのあまりの差異に戸惑いを覚えるほどの、ジオ様と二人きりの平穏な日々が続きました。
よほどジオ様に近づきたくなかったのでしょう、最初に私を案内してくれた侍従は以来ほとんど姿を見せませんでしたし、他の官吏や騎士も例外なく事務的な態度を崩しませんでした。
そのような日常は唐突に崩れました。
それまで全くと言っていいほどに接点がなかった先々代のマクシミリアン公爵が、ジオ様に急接近なされたのです。
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