第249話 セレスとジオ 1


 改めまして、お久しぶりです、テイル、リーナ様。

 私の過去を話す前に、一つ質しておきたいことがあります。


 私がジオ様の護衛を外れたことをいつ知りましたか?

 おそらくですが、二人が予想しているよりも早い段階で、私は護衛騎士の任を解かれていたと思います。


 そう、ジオ様の代理でジュートノルに残っていたと言われたはずです。

 その頃には、私はすでに籠の鳥となり、花嫁修業の最中でした。


 いいえ。礼儀作法の覚え直しなどではありません。

 私は、淑女としての教育を受けたことなど一度もありません。

 そもそも、お茶会やダンスの片手間にジオ様を守れるものですか。


 私がジオ様の護衛騎士になった理由は、それしか道がなかったからです。



 私の出自のことはリーナ様はある程度はご存じでしょうが、テイルのために改めて説明を。


 私の実家はキアベル子爵家。

 かつてはアドナイ王国にて唯一の第三王子派として日陰者に甘んじ、今はジオグラッド公国の最古参として諸侯に広く名を知られる中級貴族です。


 ここまで言えば、テイルも理解が追いついたでしょう。

 そう、現キアベル子爵は私の父、嫡子のリーゼルは私の弟です。


 もっとも、正妻の子のリーゼルとは母親が違いますし、私は公の場でキアベルと名乗ることを禁じられていますが。


 私が物心ついた時には、王都の孤児院にいました。

 それ以前の記憶は全くなく、今となっては母親の顔すら定かではありません。

 後に聞いた話によると、父はとある社交場で召使をしていた母のことを見初めたらしく、しばらく妾として囲われていたそうです。


 どうして父と別れてしまったのか、なぜ私が母から捨てられたのか、母は生きているのか。

 その辺りのことは知りませんし、知りたいとも思いませんでした。

 孤児として日々の糧を得るのに精一杯でしたから。


 私がいた孤児院は、常に定員すれすれの、ごくありふれた貧しい孤児院でした。

 当然、満足する量の食事などしたことがなく、暇さえあれば外で食べ物を探す日々でした。


 有体に言ってしまえば、盗みを働いたことは一度や二度ではありません。

 といっても、空腹でどうしようもなくなった時に、その日分のわずかな食料を市場から盗む程度です。

 屈強な護衛を雇っている金持ちを狙えば後でどうなるかは、同じ孤児の無残な最期で嫌というほど知っていましたから。


 そうですね。こんな私が騎士を名乗ることが果たして許されるのか、今も自問自答していますよ。



 そんな、明日をも知れない日々を生きていたある日のことです。


 父の従者を名乗る男が数ある孤児院の中から私を探し当て、そのまま屋敷へと連れて行きました。

 そこで父と名乗るキアベル子爵から――実際には代理で執事が喋っていたのですが、私の出自を聞かされました。


 貴族の血を引いていること。

 今日からここで暮らすこと。

 ただし卑しい血が半分入っているので貴族としては扱わず、従者としての教育を施すこと。


 一度には頭に入ってこない内容でしたが、どこか他人事のような目で見る父の顔だけは、今もはっきりと覚えています。

 ああ、この人は私に何の関心もないのだ、と。


 その日から、良くも悪くも新しい生活が始まりました。


 良いことは、まともな服を着れて食事に困らず、隙間風の吹かない部屋で眠れること。

 悪いことは、私が従者になるために死にたくなるほど厳しい試練が与えられたこと。


 まるでこれまでの私の人生を上書きするように、物事の是非や人並みの教養、時には矛盾する世間の常識を頭に詰め込まれる作業の苦しさは、今も言葉にできない経験です。

 さらに、どうやら孤児を嫌い抜いていたらしい教育係が、手にした鞭を私に対して振るったのは一度や二度ではありませんでした。

 それでも、水も飲めなくなるほどの空腹よりはましでしたが。



 再び私の運命が変わったのは、従者のたしなみとして護身術の基本を教わった時でした。


 屋敷の庭でのことです。

 幼い私の手にも収まる小さなナイフを持たされ、薄ら笑いを浮かべながら木剣を振るおうとした教育係の隙だらけの振り下ろしを掻い潜り、その青白い手首の腱を断ち切った様子を、たまたま通りかかったキアベル家の騎士が目撃したのです。


 それから数日の間、私の従者教育は中断し、その後再開した時には内容が様変わりしていました。

 要は、私に剣の才を見出した誰かが、騎士教育を受けさせた方が良いと判断したわけです。


 騎士になるための訓練はこれまで以上に厳しいものになりましたが、以前のような理不尽な嫌がらせがなくなった分、辛さが少なくなりました。

 剣の面白みに目覚めたことも、一役買っていたと思います。


 やがて、キアベル家の剣術指南の動きに何とか食らいつけるようになった頃から、私の世界はさらに広がりました。

 私を御しきれなくなったと感じたのでしょう、剣術指南が屋敷の外に時折連れ出して出稽古をさせてくれるようになったのです。


 様々なところに出向きました。

 剣術指南と同門の騎士、他流派、騎士団、冒険者ギルド総本部に足を踏み入れたこともありました。

 この時、魔法の修行も同時に行いました。

 どうやら剣術と同じ程度の才が私にはあったようですが、騎士にしたいキアベル家の方針で、あくまでも騎士道の片手間で覚えたにすぎません。

 その内に、大半の騎士よりも腕が立つようになってからは、逆に教官役を引き受けさせられたのは良い思い出ですし、私個人の伝手を作るきっかけにもなりました。

 年上の教え子と再会した際にひきつった笑みで応対されるのは、心外でしかないですが。


 そんな稽古漬けの日々を送っている内に、私の剣名が広まったと人づてに聞きました。

『氷の騎士』の二つ名がついたのも、この頃だそうです。

 もっとも、元孤児の素性を晒したくないキアベル家によって外界から隔離されていたので、当時の私に伝わることはありませんでした。



 キアベル子爵家にいたころの私は、まさに青春を謳歌していたと言っていいと思います。

 人並みの生活を保障され、無心に剣に打ち込んでいられたのですから、文句のつけようもありません。


 同時に、当時の私はただの子供に過ぎなかったと言わざるを得ません。


 元孤児で、実の父から認知されない身分がどういうことか。

 剣の腕を磨いた先に何が待っているのか。

 愛妾の子を屋敷の中に入れた奥方様がどれほど苦しんだのか。


 まさに世間知らずの未熟者だったわけです。


 ある朝のことです。

 突然、少ない荷物をまとめて裏門に来るように言われ、命じられるままに裏門に向かった私は、そのまま待たされていた馬車に乗せられ、長年住み暮らしたキアベル子爵の屋敷を後にしました。

 あまりに唐突なことで理解が追いつかない中、馬車が着いた先はなんと王宮でした。


 そして、私は一人の王子に謁見することになったのです。


 私の子供時代は、ジオ様との出会いによって幕を閉じました。

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