第248話 籠の鳥の騎士


 案内役の執事――を装った騎士に連れてこられたのは、さほど広くない一室。

 そこには深層の令嬢という言葉がぴったり似合う、清楚なドレスに身を包んだ若い女性が一人、窓の外をぼんやりと眺めていた。


 なんて言ったらいいのかわからないけど、女性を見ているだけで心が震える。

 絵筆の一本も握ったことがないのに、記憶だけじゃ物足りなくて壮大な絵画として残しておきたい衝動が沸いてくる。


 そうして、ぼーっと突っ立っているだけでどれくらい経っただろうか。

 俺とリーナを案内した執事服の騎士は、いつの間にかにいなくなっていた。

 事情を聞くなら目の前の女性しかいない。

 そう思って声をかけようとしたところで、


「テイル」


 リーナに呼び止められて、初めて違和感に気づいた。


 平民の俺がどうかと思うけど、主にジオのおかげで貴族の屋敷という代物をそれなりに見てきている。

 貴族が大事にするのは、一も二もなく見栄えだ。そのためには可能な限りお金をかける。

 柱や壁に上質な素材を使うのはもちろん、余白は悪と断ずるように装飾を施し、目の毒になるほどに美術品を並べ立てる。

 もちろん、貴族の懐具合やセンスによって人それぞれなのは間違いないけど、この部屋はそんな範疇をはるかに超えていた。


 飴色の床に白磁の壁。

 柱は大理石で、天井には神話を再現したと思われる荘厳な一枚絵。

 ただし、家具は一人用のベッドと机と椅子、小さな棚といった最低限だけ。

 壺などの置物の類はなく、貴金属や宝石の輝きが一つも見当たらない。

 身だしなみには必須の鏡すらなく、よく見れば女性の視線の先にある窓には細工物の鉄格子がはめられていて、外の空気を取り入れられる構造になっていない。


 これじゃまるで……


 そして、俺はもう一つの失態に気づいた。いや、気づかされた。


「……おや、テイルにリーナ様ではありませんか。お久しぶりですね」


「セ、レス……セレスなの?」


 リーナの言う通り、振り返った女性はセレスさんだった。

 だけど、一度も見たことがないドレス姿、ドアが開いてからの反応の鈍さ、なによりいつもの凛とした佇まいはどこへやらで、そよ風で折れてしまいそうな儚げな雰囲気。

 今のセレスさんに、常にジオに付き従っていた凛とした氷の騎士の面影はどこにもなかった。


「今までどうしていたの?それに、その恰好は……」


「見ての通りですよ。ジオ様のお側から外され、私はお払い箱というわけです」


「そんな!?あのジオ様がそんなことをするわけが――」


「代わりに命じられたのが、礼儀作法の習得やアドナイ王国貴族とその家族の名前の記憶などです」


「貴族令嬢のたしなみを覚え直しているの?なぜ今さら?」


「もちろん、どこかの貴族家に嫁入りさせるためでしょう」


「っ!?」


 淡々とした語り口だけど、その内容にリーナも俺も絶句せざるを得なかった。


 あのジオが、セレスさんを手放す?他の貴族に嫁がせる?

 何の冗談だ?


「セレス、ジオ様にはちゃんと確かめたの?」


「私はジオ様の護衛騎士であり、従者です。主の決定には従うのみです」


「あなたの一生を決める問題なのよ?」


「同時に、ジオ様のお役に立てる機会でもあります」


「政略結婚を認めるというの?よりにもよってあなたが?」


 いきなり話を飛躍させたリーナ。

 だけど、セレスさんは理解のまなざしを向けていた。


「自惚れのそしりは免れませんが、これでも長年ジオ様のお側に仕えた最側近の自負はあります。例えば、この私が日和見派の重鎮の元に嫁げば、王太子派やガルドラ派の貴族への大きな揺さぶりとなるでしょう。すでに衛士隊という十分な護衛戦力を得たジオ様にとって、これが最も有効な私の使い道なのですよ」


「セレスさんはそれでいいんですか?」


「テイル?」


 まるで子供を諭すような語り口のセレスさんにだんだんと焦りを見せ始めていたリーナが、沈黙を破った俺を見た。


「ジオを思うセレスさんの考えは分かりました。でも、そこにセレスさん自身の思いはあるんですか?」


「言ったでしょう、ジオ様の意志が私の意志なのです。例え遠くに離れようともジオ様のお役に立てるのなら本望です」


「それなら、なんでそんな顔をしているんですか」


「……別に、いつも通りです」


「そんなわけがない。俺が知っているセレスさんなら、そんな言い訳みたいな言い方じゃなく、もっと俺の目を見て堂々としているはずだ。本当にジオは、セレスさんによその貴族に嫁げなんてひどいことを言ったんですか?」


「テイルには関係のない話です!」


「関係ないかどうかは話を聞いてから決めます!教えてください、ジオは本当に命じたんですか?」


 俺にだって、踏み込んではならない一線の区別くらいはつく。

 これだけセレスさんが嫌がっているんだ、どれだけ悩んで苦しんだかはともかく、相当な覚悟を決めていることは見ていればわかる。

 相手は貴族だ、本人の意思に反した結婚だってあるだろうし、時には全てを飲み込んで嘘を貫き通す必要だってあるのかもしれない。


 だから、俺が怒っているのはジオだ。

 わざわざマクシミリアン領の端からジュートノルまで呼び戻しておいて、俺に見せたかったのはセレスさんの弱々しい姿だったのか?

 明らかに不本意な結婚をさせられると聞いて、俺がおめでとうと言うと思ったのか?


 だとしたら、あいつを一発殴らないといけなくなる。

 俺の何百倍も何万倍も苦楽を共にしてきたセレスさんを、用が済んだからお払い箱みたいな扱いをしているのかどうか、言葉よりも先に拳で語らないとならなくなる。


「……ジオ様から、直接命じられたわけではありません」


 幸いなことに、俺の心配は杞憂だった。

 根負けしたかのように目を伏せながらそう言ったセレスさんは、


「ですが、こうして半ば監禁のように一つ所に留め置かれて、花嫁修業の真似事をしているのは事実です。どこかの貴族に嫁ぐ以外の解釈があるとはとても思えません」


「それなら、私がジオ様に確かめて――」


「やめてください!!」


 話の流れのままに部屋を飛び出そうとしたリーナを、一番強い口調で制止したセレスさん。


「リーナ様、お願いですからやめてください。ジオグラッド公国が災厄に立ち向かおうというこの大事な時期に、私ごときのことでジオ様御心を砕かせるわけにはいかないのです」


「セレス……」


「セレスさん……」


「どうしても納得していただけないのなら、私の話を聞いてください。私がジオ様に救われた話を。ジオ様に、永遠の忠誠を捧げる話を」


 こうして、俺とリーナはセレスさんの話を聞いた。


 氷の騎士の過去に隠された、暗く悲しい一人の少女が一人の王子に救われる話を。

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