第247話 急ぐ帰路


 薄情だと言われたら返す言葉もない。

 ただ、独り言という名の言い訳をさせてほしい。


 ターシャさんからの手紙だったり、リーナとのこの先についてだったり、最近は大事なことが一気に起こりすぎて自分のことに真剣になるべき時期だったのは確かだ。

 正直、あっさりと決着がついてしまったゴブリンキングとの戦いは二の次で、魔物とはいえ命を奪うことへの葛藤の方が頭の中を占めていたくらいだ。


 これからのジオグラッド公国の先行きにしてもそうだ。


 ゴブリンの脅威を退けた今、いよいよ王都アドナイ奪還に向けて本格的に動き出すらしいけど、俺が聞いているのはそれだけ。

 具体的な奪還方法やマクシミリアン派以外の貴族との連携がどうなっているかなんて、俺は知らされていないし知るだけ無駄だと思う。

 人族の、俺自身を取り巻く環境が大きく渦巻き始めている今、大事なものを守るためにはよそ見をしている場合じゃなかったと思うし、それは正しかったんだろう。


 でも。


 何度も行動を共にして、時に助けられて、その何十分の一かは助けて、肩を並べて戦ったこともあって、なにより頼もしくて。

 俺が心配すること自体が失礼に当たるくらいに、あの人はいつも凛としていた。

 例え、この偶然がジオの企みの結果だったとして、それを差し引いても俺が不人情な男だって証明にしかならない。


 それを、久しぶりに再会したセレスさんが教えてくれた。






 お兄さんへの挨拶も無事済んで、当初の予定通りに防壁の完成を待ってから、ジュートノルに戻っているジオに合流することになるわけで。

 そのことを伝えると、


「なら、それまではここにいるのね!」


「ならば、それまではここで過ごすのか……」


 と嬉しそうなリーナと、愛しの妹を奪われる苦しみといつでも会える喜びの狭間で複雑そうなお兄さんが、妙に好対照だったり。

 そんな感じで、つかの間の普通の日々を密かに楽しみに思っていたんだけど。

 異変は二日後に起きた。


「命令書?ジオ様のくせに私達の邪魔をする気なの!」


 常にリーナがくっついているというもはや見回りとは呼べない別のなにかの最中、再び領境からミリアンレイクに呼び戻された俺達。

 幸せの時を妨害されたリーナが呼び戻した当人のお兄さんに食って掛かる中(その容赦のない一部始終はリーナの名誉のために墓場まで持っていくつもりだ)、それまでは物腰柔らかく妹に対して接していたお兄さんが、高価そうな赤い封筒を執務机の引き出しから大事そうに取り出して見せてきた途端に、


「アンジェリーナ、ジオグラッド公国ジオグラルド公王陛下直々の書状である。控えろ」


「はい、申し訳ございません……」


 これまで聞いたことがないような厳しい声でリーナを叱りつけた。


「これから公王陛下の御言葉を伝えるが、いかなる理由があろうとも決して途中で遮らぬように。その場合はテイルの拘束も止む無しとの命が私に下っているからそのつもりでいろ。では、読み上げる」


 そう前置きしたお兄さんがジオの手紙――公王の命令書を読み始めた。


 正直言って、上流階級特有の言い回しばかりが並んでいて、俺には手紙の内容がほとんどわからなかった。

 読んでいるお兄さんも俺の横で聞いているリーナも、貴族らしくしかつめらしい表情を崩さずに心の内をまるで見せなかったので、雰囲気も伝わってこなかった。

 ただ、この手紙が言いたいことは漠然と伝わってきた。


「要するに、今すぐジュートノルに帰って来いってことですか?」


「正確には、ジュートノル近郊の臨時関所に出頭せよ、とのことだな。なぜジュートノルの外なのかまでは、私は知らん」


 そう答えてくれたお兄さんだったけど、いつもはまっすぐ俺を見返してくるその瞳がわずかに揺れたことで、嘘をついていると気づいた。


「話は以上だ。命令書には可及的速やかにと付記されているゆえ、私が責任をもってテイルを送り届ける。至急、荷物をまとめておけ」






 宣言通り、お兄さんが手配してくれた馬車でミリアンレイクを出発。

 当然のようについてこようとするリーナは阻止されるかも、と思っていたら、意外にも何も言わなかったお兄さん。

 ジオの命令書には同行者に関して一言も書かれていなかった、つまり俺一人で来いと言っているのも同然にもかかわらず、だ。


 とはいえ、やりたい放題を許したわけでもなかったようだ。


「……ちょっと、なんであなた達まで乗り込んでくるのよ」


「任務ですので」 「どうか我らのことはお気になさらず」


「気にならないわけがないでしょう!」


 俺とリーナを斜め向かいに座らせるように同乗してきたのは、領境での防壁づくりに同行してきたマクシミリアン騎士団の二人。


 二人きりの馬車旅を想像していたらしいリーナは控えめに言っても激怒していて、二人の騎士は冷や汗をかきながらも降りる気配はない。

 任務を命じた人が誰なのかは言うまでもない以上、リーナもそれ以上抵抗するつもりはなかったらしく、居心地の悪い空気が馬車の中を支配する帰りの旅だった。






 急ぐ帰路と違って、五千の衛士隊が行軍する往路はそれなりに会話する機会も多く、その中の話題の一つがジュートノルを囲むように急ピッチで設けられている関所の存在だった。

 魔物の動きを監視すると同時にある程度の防御施設として建てられている関所は思っていたよりもしっかりとした造りだ。

 関所に隣接していて馬車も余裕で停められる、大勢のノービスという破格の労働力を駆使しただろう石造りの建物の前には、意外な奴が俺達を待ち受けていた。


「ミルズ?」


「よう、久しぶりだなテイル。それと……」


「ふうん、その反応っていうことは私の正体を聞かされたってことね、ミルズ?」


「ひ、ひゃいっ!こ、これからは無礼な言葉は絶対に使いませんからなにとぞお許しを……」


 いかにも小者っぽい感じでリーナに許しを乞うているのは冒険者学校の同期で、今は衛士隊に所属しているミルズだ。

 どうやら俺達共通の顔見知りということで、迎えの役を命じられたらしい。


「おい、リーナ」


「冗談よテイル、あとミルズも。それに、知り合いにここまで態度を変えられると周りに不要な誤解を与えかねないわ。今まで通りにしてちょうだい」


「そ、そうか?なら遠慮なくこれまで通りにさせてもらうぜ」


「それでいいのよ。それで、ミルズは私達を呼び戻した理由を説明してくれるのかしら?」


「いいや、俺はただの案内役だ。とある場所までお前達を連れて行くように、って命令されてる。まずは、馬車を換えてもらう」


「ではアンジェリーナ様、我らはここで」


 意外にも二人の騎士はついて来ることなく別れ、俺とリーナはミルズの言うままに、マクシミリアン家所有の旅馬車からジュートノルでは珍しくもない乗合馬車へ移動した。

 小さな窓にはカーテンが閉められて一切外が見えない中、やがて下から響く土や石を踏む車輪の音から石畳のそれへと変わった。


 と思ったら、


「降りてくれ。次はこっちだ」


 どこかの倉庫の中か、たった一人で御者をしているミルズに勧められるままに、また別の馬車へ。


「リーナ、これってどういうことなんだ?」


「よほど隠したいなにか……例えば人とか物とか、それがある場所に私たちを連れて行こうとしているみたいだけれど……」


 緊張しっぱなしのミルズ本人に聞くのは躊躇われたからリーナに話を振ると、自信なさげな言葉が返ってきた。


 そうして、さらに三度の馬車の乗り換えを行った俺達はついに、


「着いたぜ」


 ミルズの声で俺が先に馬車を降りてみると、何の変哲もない小さな屋敷の裏口の前に立っていた。


「悪いが俺がここまでだ。……なあ、本当にリーナも一緒に?命令はテイル一人だって――」


「なにか言ったかしら?」


「おっと急用を思い出した!俺は何も見てねえからな!」


 そんな捨て台詞を吐いて、ミルズは馬車と一緒に去って行った。


「ジオ様、よっぽどテイル一人で来させたかったみたいだけれど、この屋敷の中に入れっていうことかしら」


「たぶん。それにしても、裏口から入れなんてかなり用心深いな」


 馬車が走り去った後の辺りを見回してみると、似たような屋敷の壁が並ぶばかりで寒々しい光景としか言いようがない。

 馬車に乗っていた時の気配から察するに、ここがジュートノルだってことは間違いないんだけど、あまりに見慣れない様子にちょっと自信がなくなる。


「とにかく入らないことには始まらないわ。間違っていたら謝ればいいんだし」


「ああ、そうだな」


 リーナに励まされてようやく裏口の取っ手に手を掛けようとした、その時だった。


 蝶番が軋む不快な音の後に、


「お待ちしておりました、テイル殿、リーナ様」


 中から裏口を開けたのは、いかにも庭師といった風体の中年の男。

 だけどリーナは、


「あなた見た顔ね。もしかして」


「リーナ様、お静かに中にお入りください。すぐに案内の者が来ますので」


 男にそう言われて困惑するリーナとは別に、俺も気づいた。

 見たのはたった一度だけど、オーガの群れ襲撃の最中に刻まれた顔は今も頭に残っている。


 庭師に扮した烈火の騎士に迎えられた俺達は、屋敷の中で意外な人物と再会することになった。

 そして、ジオの野望の行き着く先を、この目で目撃することになる。


 それは、壮大で深慮遠謀で血と泥に塗れてささやかで単純で一途な、夢だった。

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