第246話 リーナとの三つの道
「良い機会なので聞いておく。アンジェリーナ、お前はこの盗人と今後どのようにして暮らしを立てていくつもりなのだ?」
お茶を用意したタイミングだろうか。
リーナのお兄さんの側仕えがいつの間にかに灯していった魔法の明かりが、闇色が濃くなった執務室で存在感を増していく。
その中で飛び出したお兄さんの唐突な言葉だけど、考えてみれば俺とリーナへの話は一貫している。
お兄さんは、リーナの将来を気遣っていた。
「わ、私達はまだそんな関係じゃ……」
「ならばどういう関係なのだ。そこの盗人と再会した際のあらましは、既に報告が来ている」
「なっ!?誰がそんなことを!」
驚くリーナだけど、察しはつく。
マクシミリアン公爵の直接の配下じゃなく、かつ防壁を守る駐屯地で残務処理に当たっていた某烈火騎士なら、リーナの怒りも軽々と受け流してしまうに違いない。
「誰が私に知らせたかなどどうでもいい。問題は、そこの盗人と相思の間柄としか見えていないという客観的事実だ。まさか、この先の生を共にするつもりがないわけではあるまい」
「そ、それは……私はテイルと一緒に生きていきたい、です」
「そうか。ではテイル、貴様はどうだ?」
「そ、そりゃあ、リーナのことは……え?」
「お、お兄様、今テイルのことを名前で……」
思わず呼び方を変えてしまうほどリーナが動揺しているけど、その百倍俺も驚いている。
あのお兄さんが、俺の名前を普通に呼んでいた。
「何を驚いている。私が愛しのアンジェリーナが懸想する男の名前を憶えていないわけがないだろう」
「けれど、これまではテイルのことをまともに扱ったことなどなかったではありませんか」
「当然だろう。初対面の際に私の前から一方的に逃げ出したのだ。愛しのアンジェリーナの相手としてふさわしいかどうか、平民ごときに手ずから試練を与えてやろうとしたというのにだぞ?そのような軟弱者を認めてやる必要だどこにあるというのだ」
リーナの疑問に答えるお兄さんの言葉が、執務室を沈黙で包み込む。
貴族とか平民とか、身分差なんて関係なく正論すぎて、俺もリーナも何も言えなくなったからだ。
……ただまあ、屈強な騎士十数人と決闘という無茶な試練だったら、やっぱり逃げ出すだろうけど。
「それなら、なぜ今になってテイルのことを?」
「それこそ愚問だな。我が領土に降りかかった災厄、ゴブリンの軍勢による侵攻を食い止めた英雄を認めぬなど、領主としてあり得ぬ話だ。為人も十分に知る今、半ば出奔している妹の恋路を邪魔するつもりはない」
「こ、恋路って……」
「恥じらう様子の可憐ぶりはさすがは我が愛しのアンジェリーナをいつまでも見ていたいところだが、見ての通り多忙でな、本題に入らせてもらおう」
執務机に山と積まれた書類をチラリと見て、お兄さんは表情を変えずに続けた。
「お前たち二人の行く先には三つの選択肢がある。まず一つが、このままのあいまいな関係を続ける道だ」
「あ、あいまいって……」
「そうではないか。テイルが経営しているという『白いうさぎ亭』とやらで使用人とも居候ともつかぬ立場で、冒険者の真似事を続けているというではないか。これがあいまいな関係と言わずしてなんだというのだ」
「それは、そうですけれど」
「しかも、テイルにはもう一人の想い人までいると報告を受けている。建国祭の際に私が見た、あの娘だな?」
「っ!?ターシャのことは関係ないわ!ですからお兄様!」
「心配するな。ティアエリーゼ姫殿下のこともある。少なくとも、私の方から白いうさぎ亭に関して手を出すことはない。マクシミリアンの名にかけて約束しよう」
一瞬息をのんだ後の、悲鳴にも似たリーナの叫びに、お兄さんはあくまでも冷静に返す。
そこに、言葉にしないどんなせめぎ合いがあったのか、俺にはわからない。
「二つ目は、アンジェリーナが正式に貴族身分を捨て、テイルと平民同士の夫婦になる道だ」
「それは私も考えたわ。でも、貴族をやめることがどんなに難しいか、お兄様が一番よくご存じのはずでしょう?」
「その通りだ。アンジェリーナが平民になればそれで万々歳、といった簡単な話ではないからな」
「どういうことですか?平民が貴族になるなんて夢物語、っていうのは分かりますけど」
「テイルが言いたいことは分かるわ。けれど、それは同時にテイルが平民の恐ろしさを知らないということでもあるのよ」
当然の常識のつもりで聞いた俺の疑問は、なぜかリーナの目を曇らせる結果になってしまった。
その答えをくれたのはお兄さんだった。
「平民にとって、貴族とは魔物よりも強く恐ろしいということだ。これまで自分たちを支配していた者が、ある日突然隣人となったらどういう反応を示すか。髪の毛一本に至るまで滅ぼし尽くしたい衝動に駆られると断言できる」
「そんな!だって、リーナは現に俺達と暮らしているじゃないですか!」
「それは、私がお忍びで平民のふりをしている貴族だからよ。私の正体を知っているほとんどの人は、貴族のお遊びに付き合っている感覚なのよ。あくまでね」
「ゆえに、アンジェリーナが平民身分に落ち、テイルと対等に暮らすというのなら、それ相応の影護衛部隊をつけることが必須条件となる」
「そ、それっていつまで?」
「「一生だ(よ)」」
平静と憂鬱。
お兄さんとリーナの表情に違いはあっても、二人とも淡々と受け入れている感じは変わらない。
そんな空気に俺がついていけずにいると、
「最後に、三つ目の道。今のアンジェリーナにふさわしい立場を地位をテイルが手に入れる」
「立場と地位?それって……」
「テイル、本当にわからないの?」
「いやだって、平民の俺がリーナにふさわしいって」
「そんなの、テイルが貴族になるっていう意味に決まっているじゃない」
「き、貴族!?俺が?」
「然り」
と、リーナに同意するように短く頷くお兄さんだったけど、その眉間にしわが寄っていた。
「当然、簡単な話ではない。平民を貴族の末席に加える方法はたった一つ、既存の貴族家との養子縁組だ。だが、王宮を始めとした考えるのも無益なほどの各所への根回し、貴族としての礼儀作法や知識の習得、家臣一同に貴族と認めさせる器量、平民上がりと蔑まれる残りの半生への覚悟。他にも細々と挙げればきりがない」
「これでも、テイルの場合だと障害が少ない方よ。ゴブリンキングを討伐した武勲があるし、マクシミリアン公爵というこれ以上ないほどの後ろ盾がついている。お兄様がここまで言う以上、養子先の貴族家にも心当たりがあるのだろうし」
「家名断絶の危機を救った貸しがいくつかあるだけだ。いずれも吹けば飛ぶような木っ端貴族に過ぎん」
……いや、その木っ端貴族の足元にも及ばないのが、平民の俺なんですが。
貴族?無理無理。なるどころか想像もできない。
だけど、そんな俺の心を無視したかのように、お兄さんは話を進める。
「だが、木っ端貴族と言えどそれなりの手順を踏まぬわけにはいかん。陥落した王都への配慮が不要だとしても、テイルに貴族意を授けるために最低三年の期間は見なければならん」
「三年!?じゃなくて、貴族になんてなりたくないんですけど……」
「だが、アンジェリーナの身の安全を図るのなら、これが最も安全な方法になる。さらに、ジオグラルド公王陛下の切り札たる、ノービスの英雄の政治的立場を固めることにもつながる」
「ああ、ジオ様の了承も得ているのね」
なにかを察したようなリーナの相槌にお兄さんは頷くと、
「ただし、テイルの意志が最優先だと公王陛下に注文を付けられた。正直、私としてもかなり面倒が増えるが、最も推奨できる方法だという結論に達した」
「確かに、この方法ならお兄様の心の平穏を保てそうね。それで、テイルはどうするの?」
「ど、どうするって、リーナのことでもあるだろ。リーナはどうなんだ?」
我ながら卑怯な返事だと思うけど、この兄弟の会話に全く頭がついていけていない。
そんな心境で人生の重大な決断をしろと言われても、とてもじゃないけど無理な話だ。
「そうね……私としては、マクシミリアン公爵家も白いうさぎ亭も全部無視して、二人っきりの駆け落ちに憧れているけれど」
「じょ、冗談だろ!?」
「冗談よ」
……この時の俺の反応は、言うまでもないと思う。
そして、椅子から滑り落ちた俺を見て楽しそうに笑ったリーナは、
「兄上、今すぐ決めろ、という話ではないですよね?」
「うむ。私としては、テイルが混乱している内にこちらの都合のいい方向へと誘導するつもりだったのだがな。アンジェリーナはいいのか?」
「災厄に立ち向かうのも、滅びを待つのも、何もかもから逃げるのも。テイルと一緒の道を選ぶと決めていますから」
「そうか。ならばいい。決断の際に知らせさえすれば、進むも止まるも引くも、好きにするといい」
そう言って、お兄さんはすっかり冷めてしまっただろうお茶に口をつけた。
「あの二人よりはましな道だろうからな」
その後で、意味不明な呟きを執務室の暗闇に紛らせた。
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