第245話 盗人の意味


 涙が溢れて止まらなかった。


 溢れた涙が落ちて、ターシャさんからの手紙を濡らして。

 慌てて袖で拭ってしばらく手紙から目を離して。

 少し落ち着いてもう一度手紙を向き合って、また涙が溢れた。






 リーナと再会した翌朝。

 リーナのお兄さんへの挨拶を少し待ってもらって、リーゼルさんが俺専用で用意してくれた天幕の中で、手紙を読んだ。

 結論から言うと大失敗だった。

 ターシャさんの思いが詰まった手紙は、その何倍も何十倍も俺の深くまで沁みわたって、心を立て直すことができなくなった。

 そんな俺を救ったのは、


「もう、とっくに約束の頃合いは過ぎたわよ――って、どうしたのテイル、大丈夫?」


「リーナ……」


 いつのまにかに天幕に入ってきていたリーナが、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「ああ、ターシャからの手紙を読んでいたのね。テイルも男なんだから、手紙の一つや二つくらいで泣いていたら恥ずかしいわよ」


「う、うるさいな、俺の勝手だろ」


「なによ、テイルのくせに生意気――って、思った通り、かなりの大作じゃない。ターシャはどんなことを書いてきたの?」


「い、いや、実はまだ一枚目しか読んでなくて……」


 と俺が手にしている紙の束を見たリーナにそう言うと、


「もう、そんなペースじゃあ日が暮れちゃうわよ。ちょっと貸しなさい……ぷふっ、なにこれ」


「お、おい、なに勝手に人の手紙を……なんだこれ?」


 一言で言うと、絶句だった。

 俺の手から手紙をさらっていったリーナから慌てて取り戻して、二枚目以降の文面が初めて目に入った。


「なになに、『追伸。いい機会なので、テイル君に今まで言えなかったことを一つづつ書いていこうと思います。まずは、テイル君がいきなりいなくなったことで生じた、困ったことや損害について』やるわね、ターシャ。転んでもタダじゃあ起きなかったか」


 今もクスクス笑い続けているリーナ。

 それもそのはず、封筒を分厚くしていたターシャさんの手紙の本文は一枚目だけで、それ以外は全部俺へのお小言というか恨み言というか、とにかく積もりに積もった不満がこれでもかと並べ立てられていたのだ。


「雑用全般、特に力仕事はやっていたわよね。それに、買い出しだと重いもの専門だったんでしょう?それが書置き一つ残さずに消えたら激怒して当然よね。実際、ターシャは怒っていたし。ねえテイル、これ、別の意味で帰れなくなっているんじゃあない?」


「頼む、頼むから今は言わないでくれ……」


「ダメ。ジュートノルを出る時に、ターシャから『怒るべき時はきちんと怒ってあげて』って頼まれているから。私が責任感の強い性格だって知っているわよね?じゃあ続きを読むわ」


 そんなやり取りが何度続いたことか。

 ターシャさんの力を借りた執拗な攻撃に抵抗することに必死で心の余裕をなくしていた俺は、リーナがこの天幕を訪れたそもそもの目的を、すっかり忘れてしまっていたのだった。






「この馬鹿者が!!いくら王都が陥落し権威が失墜しているとはいえ、公爵相手に約束を取り付けた身でありながら大幅に遅れてくるとは何事か!!」


「「も、申し訳ございません……」」


 あれから、二人ほぼ同時に今後の予定を思い出した俺とリーナは、


「なぜ知らせてくれなかったのかと言われましても、泡沫貴族の出の一介の騎士に過ぎない私が、マクシミリアン公爵閣下の妹君にあらせられるアンジェリーナ様に差し出がましい口を利くなど、とてもとても。ああ、私もそろそろ残務整理が終わりますので、ミリアンレイクでお会いしましょう」


 と、なぜか慇懃無礼な態度のリーゼルさんが用意してくれた馬車を全力で飛ばして(飛ばしたのはリーナに脅された御者の人だけど)、予定から大幅に遅れてミリアンレイクに到着。

 本来ならランチを囲みながらの兄妹の再会になるはずだったらしいけど(リーナ談)、取り次いでくれた近衛騎士に通されたのは、夕暮れの真っ赤な日差しが小さな窓越しに差し込む、公爵の執務室だった。


「本来ならば愛しのアンジェリーナとの再会を我がミリアンレイク城を挙げて祝したいところだが、その前に例え血の涙がこの目を伝おうとも言っておかねばならぬことがある!!」


「拝聴いたします、兄上……」


「確かに、先代はアンジェリーナの冒険者としてジュートノルでの暮らしを認めはしたが、貴族の身分を捨てることまで許してはいない。この約定は父上の後継たる私も受け継いでいる。ここまでは間違いないな?」


「その通りです、兄上」


「当然、貴族に連なる者にはそれ相応の危険が付きまとうものであり、特に身分を偽って市井で暮らす血族には監視と護衛を兼ねた影警護が付けられる。よもや忘れたとは言わせぬぞ」


「そ、それは……」


「では、夜陰に乗じて影警護の前から姿をくらまし、ガルドラや王太子派、果ては他国による拉致監禁の恐れありと、ジュートノルを中心に騎士団や衛士隊数十名を捜索網を展開し、現在は命令の取り消し書と各所への謝罪の書状にサインし続け、この二日間睡眠を摂っていない私以下マクシミリアン公爵家一党が苦労している間、そこの盗人と淫らな行為に及んでいたと言うのだな、愛しのアンジェリーナよ」


「は、はあああっ!?」


「み、み、み、みみ淫らな行為!?」


「なんだ、違うというのか」


「「違います!!」」


「報告では、二人してかなりの時を天幕で過ごし、時折あられもない声が聞こえていたということだが」


「私とテイルはまだそんな関係じゃあありません!!」


「ほう、まだ、か」


「っ~~~~~~~~~!?」


 本気なのか冗談なのか、執務机越しに立ったままの俺達を弄ぶように推測を述べるお兄さんに、あのリーナが狼狽えっぱなしでまるで反論できていない。


 ……いや、年頃の男女が二人っきりで一つの天幕にいるなんて状況。

 客観的に見れば、これで関係を怪しまない方がどうかしている。

 俺だって客商売の端くれだ、恋愛の機微というか愛し合う二人が最後に行き着く行為、その時に外に漏れる音がどういうものか、全く知らないわけじゃない。

 ただ、いざ自分が当事者として周りに誤解されない行動をとれるかというと、全くの別問題だったというわけだ。


「どうやら、私の邪推が過ぎたようだ。少なくとも、マクシミリアン家の血族たる愛しのアンジェリーナが、好いた相手との契りを私に向かって偽ることなどあり得ぬからな。ひとまずは信じよう」


「当たり前です!!」


「しかし、お前が多くの手を煩わせてしまった事実は変わらぬ。謝罪行脚とまでは言わぬが、この城の主だった者達に詫び、今後ジュートノルを出る時には影警護を撒くような真似はせぬように。さすがに夜陰に紛れて街壁を非常手段で超え、外に待機させていた馬ですぐさま移動されては監視の目も届かぬ」


「……はい。以後はそうします」


「うむ。では、説教は終わりだ。休憩にしよう」


 そう締めくくったお兄さんが、呼び鈴を鳴らして側仕えにお茶を用意させながら俺達を執務室に備え付けられたソファに座らせた。

 そして、都合三つのティーカップがソファテーブルに並び、お兄さんが反対側に座ってカップを手に取ると、


「いや、これはこれで問題か――お前達、いつになったら夫婦になるのだ?」


 同時にカップに口をつけていた俺とリーナから茶色い噴水が飛び出した。


「あ、兄上!!冗談はもうお止めになってください!!」


「冗談?妹が余所の男と添い遂げる話が冗談であるはずがあるまい。おい盗人、貴様まさか、この期に及んで我が愛しのアンジェリーナに不満があるというのではあるまいな?」


 俺としても、このお兄さんの発言がさっきの冗談の延長線上だったらいいなと思いたくもなるけど。

 この真剣そのものの目を見て茶化すことは、とてもできそうになかった。






 ……いや、茶化した瞬間に処刑されそうだけど。

 ていうか、盗人ってそういう意味だったのか。

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