第243話 リーナとの夜


「別に怒っていないわよ」


 今も頭が揺れている気がするくらいの強烈な一撃を食らった身としては、ちょっと信じられないリーナの言葉。


 夜はさらに更け、涼気は冷気に変わって素肌で過ごすのは厳しい頃合いになってきた。

 もし、リーゼルさんにこのマントをもらっていなかったら、他の衛士と鉢合わせした時に変な目で見られたに違ない。

 違いないんだけど……


「さっきの一発はターシャから頼まれた分よ。ああでも、ターシャも怒っていたわけじゃあなくって」


 さっきから一方的にまくしたてるリーナ。

 確かに、生き物どころか木の一本もない夜の平原で二人きりだから、会話くらいしかすることがないのは分かる。


 だけど、リーナが俺のマントに潜り込んで顔を出してきたこの状況は、いくらなんでも理解できない。

 なんで?


「ちょっとテイル、聞いているの?」


「いや、ちょっと、それどころじゃないっていうか……」


 今俺達は、薄明かりの草原の中に浮かぶように突き出た平岩の上に座っている。

 纏っているマントは動きやすいようにかなりの余裕があって、俺とリーナを包んでもギリギリ夜風を凌げるけど、互いの身を寄せ合わないとはみ出てしまうくらいのサイズだ。

 つまり、リーナは俺と体を密着させながら話をしている、色々な意味で信じられない状況だった。


「なによ、こんなの冒険者をやっていればいつものことなんだから、緊張することないわよ」


「い、いつものこと……?」


「うそ」


「はあ?」


「私を誰だと思っているのよ。いくら仲間だからって、簡単に肌に触れることを許すはずがないでしょう?」


「で、でも、こうやって……」


「そんなの、テイルだから許しているに決まっているじゃない」


「リ、リーナ!?」


 不意に顔を寄せてきたリーナに、身動きが取れなくなる。

 背中に寄り添うリーナの、肌の温もり、息遣い、痛いほどの突き刺さってくる視線に、頭がくらくらしてくる。


 ここまでされてリーナの想いを勘違いするほど、俺も恋愛に疎いわけじゃない。

 もう抱き着いてきているといっても過言じゃないリーナに声をかけようとして、


「あ、う……」


 言葉が出なかった。


「テイル?」


「あ、いや、その」


「いいのよ。別に応えてくれなくても。わかっているわよ、今、ターシャのことを考えていたことくらい」


「そ、それは」


「違うの?」


「……いや、違わない」


 我ながら女々しいというか、未練がましいというか。

 自分から背を向けたくせに、災厄が収まるまでは帰らないと決めたはずなのに、気が付くとターシャさんのことばかり考えている。

 忙しすぎて無理していないかとか、変な男に言い寄られていないだろうかとか、俺よりも大事な人ができていないかとか。

 このグチャグチャでドロドロの思いを一滴でも漏らせば、確実にターシャさんに嫌われる自信がある。


 だけど、


「わかっているわよ、今の私じゃターシャに勝てないことくらい。美人で優しくて愛想がよくて、一人でお店の表を切り盛りしてきて人気があって。魔物と戦うことしか能がない私とは大違い」


 俺に体を預けたままのリーナ。

 その吐息が温かくてくすぐったくて、思わず身をよじろうとしたから俺が逃げようとしていると勘違いしたのか、後ろから両腕を回して抱き着いてきた。


 リーナの華奢な体が震えている。

 普段は強気で行動力があるのに、たったこれだけのことでどれだけ勇気を振り絞ったんだろうか。


 そう思って俺の胸に回った手を振り払えずにいると、伝わっているた震えが少しづつ収まってきた。


「だからね、ターシャにはできない、私にしかできないことをやろうと思ったの」


「それで俺に会いに、たった一人で?」


 無言の静寂。

 だけど、背後でこくりとうなずく気配がした。


「リーナが今ここにいること、みんな知っているのか?お兄さんは?」


 今度は二度の、首を横に振る気配。


 そりゃそうか。

 いくらリーナでも街の外に、しかもたった一人で出るなんて知れば、誰だって反対する。

 特に、あのお兄さんがリーナの無茶を知れば、絶対にこんな状況を許さないはずだ。いろいろな意味で。


「けれど、ターシャにだけは話したわ。荷物や馬を用意してくれたのもターシャだし」


「ターシャさん、けっこう顔が広いからな。あの人がその気になったら大概のものは揃えられると思う。でも、よく許してくれたな」


 俺が言うのもなんだけど、誰の許しを得るのが難しいって、ターシャさん以上に説得が大変な人もいない。

 普段の愛想の良さからは想像もできないほど、一度こうと決めたら梃子でも動かないのがターシャさんだ。


「テイルの想像通りよ。正直、ターシャがあんなに頑固だとは思ってもみなかった。けれど、説得しないって考えは最初から無かった」


「なんで?」


「ライバルだから」


「……」


「正々堂々戦うために、どうしても隠し事や抜け駆けはしたくなかったの。ターシャがそうしてくれたから」


「どういうことだ?」


 ものすごく傲慢な想像をしていると自覚して、それでもリーナの話を聞き続ける。

 それが、二人にあいまいな態度を続けている俺の最低限の責任だと思ったからだ。


「テイルは、貴族の出の私が白いうさぎ亭で働けるようになったこと、不思議じゃあなかった?」


「まあ、気にならないわけじゃなかったけど、ターシャさんが決めたことだったから」


「じゃあ、ターシャが私を採用した理由は何だと思う?」


「リーナだったら何でもそつなくこなすだろうし、やる気も人一倍あるからだろ。実際そうだし」


「けれど、貴族の令嬢の従業員なんて厄介の種を抱え込むほどの理由じゃあない。そう思わない?」


「それは……」


「ターシャは貴族をもてなした経験もあるんだから、私を雇うリスクも十分すぎるほどわかっている。それでも私を受け入れたのは、テイル、あなたとのことでフェアでいたかった。私はそう思っているわ」


「俺の、ことで……?」


「すごいわよね。ターシャはテイルのそばにいるけれど、横に並んで魔物と戦うことなんてできない。それでも、自分のテリトリーに私を迎え入れることで、テイルが安心できる環境を作ることを優先したのよ」


 そんな馬鹿な、と否定できない。


 だんだんと災厄の脅威が増して街の中でも安全と言い切れない今、リーナが白いうさぎ亭にいてくれることでどれだけありがたいと思ったことか。

 俺が留守にしている最中も、いざという時にはリーナが何とかしてくれるという意識が、頭の片隅にいつもあったことは確かだ。


「ああ、今回はちゃんと烈火騎士団に毎日見回りをしてくれるように頼んできたから、心配はいらないわよ。まあ、白いうさぎ亭の常連が勝手に守ってくれるだろうから、余計なお節介だったかもしれないけれど」


「ははっ、なんだよそれ」


「ふふっ、あはは」


 狭い白いうさぎ亭の中で、烈火騎士団と衛士隊が競い合うようにランチを注文し、ターシャさんが生き生きと客をさばいている。

 そんな風景がリーナも思い浮かんだんだろう、二人してクスクスと笑いあう。


「ああそうそう、これから先、テイルが帰ってくるまで、私もついていくわよ」


「えっ!?」


 突然の宣言に思わず振り向く俺。

 そんな動きを予測していたんだろう、不意に差し込んだ月明かりでキラキラと輝く瞳を見たと思った瞬間、唇を塞がれた。


 少しの間の静寂。


 やがて、マントの中のほんの少ししかない隙間を再び空けたリーナは、


「言ったでしょう、私は戦うことしか能がないって。一緒にいられないターシャのためにも、私がテイルの背中を守る。そう約束してジュートノルを出てきたの」


「駄目だ。危険なんてものじゃない、王都の時なんか比べ物にならないくらいの危険が待っているかもしれないんだぞ?」


「あまり私を見くびらないで。あのダンジョン以来、こういう時が来るかもしれないと思って、私は鍛錬を続けてきた。クラスチェンジ後の体の変化にも慣れた今、そうそう後れは取らないわよ」


「でも……」


「いい?私がテイルといることで、ターシャもダンもティアもルミルも安心するの。言ってみれば、私は白いうさぎ亭を代表してここにいるわけ。これ、テイルが覆せると思う?」


「……一つだけ、俺が逃げろと言ったら絶対に逃げること。この条件を飲んでくれたら、リーナの言うことを聞く」


「まあ、その辺りが落としどころよね、わかったわ。じゃあ、改めてこれからよろしくね、テイル」


「ああ、よろしく」


 こうして、ジュートノルを出る時に決めた覚悟をあっさりと翻して、リーナついてくることになった。

 いつの間にかに雲がなくなった月夜の空が、彼女の顔を美しく照らしていた。






 とまあ、これでこの夜が終わってくれたらさぞ幻想的な一幕だったんだろうけど、少しだけ続きがある。


 それも、背筋が凍りつくような続きが。


「あ、そうそう、さすがにここまで来て挨拶もなしというわけにはいかないから、朝一番でお兄様に会いに行くわよ」


「え、あっ!?」


「それから、ターシャから手紙を預かっているからあとで渡すわね。ちょっと見ないくらいに分厚い内容みたいだから、恨み言の百や二百は覚悟した方がいいわよ」


「あああっ!!」

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