第242話 居残りの日々


 ゴブリンの軍勢を撃退して十日。


 ジオを始めとしたジオグラッド公国軍の主力は、防壁の修理を含めた諸々の後始末を一部の部隊に任せて、ジュートノルへと帰っていった。


 なんでも、マクシミリアン派の貴族の領地を含めた公国連合を回らせていたノービス教の司祭が帰還するのと同時に、各地でノービスの加護を受けた衛士隊入隊予定者が続々とジュートノルにそろそろ集結し始めるらしい。

 彼らに、今もなおドワーフ族から供給され続けている武具を支給した上で、ゴブリン戦役に従軍した衛士を教官役にした促成栽培訓練が行われるそうだ。

 その新人衛士の数は総勢四万とも五万とも言われていて、もう衛士「隊」なんて規模じゃないなと平民の分際で感想を持ってみたり。


「お暇そうですね」


 そんなことをつらつら考えながら見回りをしている俺に、同じく居残り組のリーゼルさんが従者を連れながら声をかけてきた。


「暇と言えば暇ですけど」


「ならば、あちらの天幕で少し早いランチなどどうですか?」


「暇とは言いましたけど、これでも一応仕事中なんです」


「では、こちらで食べられるように支度しましょう。もちろん、テイル殿の監視任務に差しさわりないメニューにしますとも」


 まだ俺は、マクシミリアン公爵領とガルドラ公爵領の境界近くの防壁に留まったままだった。






 俺が、ジオ達と一緒にジュートノルに帰らなかった理由。


 ゴブリン撤退の見届け。

 ガルドラ公爵の出方をうかがう。

 防壁の修理と強化の手伝い。


 それらしい口実はいくつか挙げられるけど、本当に心に引っかかっていることは一つだけ。


 結局俺は、白いうさぎ亭のみんなと再会するのが怖かった。


 もちろん、戦うことに恐れを抱いているわけじゃない。

 戦って殺すことが、そして殺されることがどういうことか。

 まだまだ少ない経験の中で多少なりとも実感はしているし、最悪俺が死ぬことだってあるだろう。

 覚悟している。


 だけど、そんな俺が戦う姿を見てみんながどう思うか、そう考えただけで震えが来る。

 ルミルとティアとリーナとダンさんと、ターシャさんの顔を想像しただけで、決心が鈍りそうになる。


「まあ、テイルの好きにしたらいいよ。そう、公王陛下は仰っていましたよ」


「なんで俺の心を読んだみたいなことを言うんですか……」


「おや、そんなつもりはありませんでしたが、申し訳ありません。それはそれとして、監視しながらでも食べられるようなものにしてきたので、おひとついかがですか?」


 謝罪の言葉を口にしながらも、にこやかな笑顔のリーゼルさん。

 従者が持っていたバケスットを受け取って引き返させると、中に敷き詰められた色々な具材をパンで挟んだサンドを見せてきた。


「……いただきます」


「どうぞどうぞ」


 俺が分厚いベーコンのサンドを手に取ったのを確認して、リーゼルさんも野菜のサンドを頬張り始めた。


 昼下がりの空を、無数の雲が防壁の向こうへと流れていく。


 かつて、その下の地上には草原が広がっていたけど、三万匹のゴブリンが踏み荒らしたせいで見るも無残に黒い土がむき出しになっている。

 だけど、それだけ。

 あの戦いで打ち取ったゴブリンの死体は、衛士隊によってきれいに片づけられて跡形もない。

 時々鳥や獣の声がどこからともなく耳に届くけど、魔物の脅威はどこにも感じない。


「不思議なものですね」


「何がですか?」


 もう食べ終わったのか、不意に言ってきたリーゼルさんに、口の中のベーコンを慌てて飲み込んで返事をする。


「私としては、今回のゴブリン討伐軍にテイル殿は従軍せず、ジュートノルに残るものだとばかり思っていました」


「いや、それは」


「ああ、いいのです。テイル殿の胸の内を聞くつもりではありませんから。ただ」


「ただ?」


「テイル殿はティアエリーゼ様やアンジェリーナ様を守ることを第一に考え、このような血なまぐさい戦場で戦う道を選ばないと、私が勝手に思っていただけです。言ってみれば、ただの我がままですね」


「我がままって、俺、リーゼルさんに何かされましたっけ?」


「これまでは何も。ただ、将来的に白いうさぎ亭の安全が強固になるように、色々と動き始めていたところなのですが」


 こわっ!?貴族の権力こわっ!?

色々動き始めるって、なに!?


「そんな顔をせずともご心配なく。これからはテイル殿に相談しながら事を進めますよ。現に、こうやって打ち明けたでしょう?」


「俺に打ち明けても意味ないんですよ。白いうさぎ亭は、男よりも女の方が強いんですから」


「こういうことは女性には内緒で行うものなのですよ。では、ジュートノル屈指の料理長に密かに伝えておきましょう」


 そう言って爽やかな笑みを浮かべたリーゼルさんはさっと立ち上がると、


「さて、ジュートノルに帰りたがらないテイル殿が思いのほか元気だったと確認できましたので、私も仕事に戻ります」


「えっ!?」


「さる筋から鳥便が毎日三回、テイル殿のことを報告せよと矢の催促でしてね。権力に逆らえない騎士のつらいところです」


 俺が驚きの声を上げた時には、すでにリーゼルさんは颯爽とした歩みで防壁から遠ざかり始めていた。

 残ったのは、きっちり半分だけ食べられたサンドが入ったバスケットだった。






 次の日の夜。


 監視の目は多いに越したことはないと思って夜警を買って出たところ、「テイル殿にそんなことをさせられません」と衛士隊の人達に恐縮されてしまった。


 ゴブリンキングを倒した件で、どうも俺は目撃した衛士から英雄扱いされ始めているらしい。

 あれはジオの――公王ジオグラルド陛下の命令でやっただけで別に俺は貴族でも騎士でもない、と説明しても、彼らの態度は変わらなかった。

 本音を言えば、ゴブリンの軍勢撃退後の尊敬と畏怖が混じった無数の視線に居心地が悪くなって、できるだけ一人になりたいだけなんだけど、さすがにそのまま言うわけにもいかない。


 そこへ、


「ではテイル殿、よろしくお願いします。ああ、その黒の装備だと目立つのでこちらをご利用ください」


 と割って入ってくれたリーゼルさんに、衛士隊標準装備になっているドワーフ族謹製の槍と厚手のマントを渡されて、普通の家のように頑丈で大きな天幕から、涼しい風が通り抜ける草原へと歩き出した。


 夏場とはいえ近くに遮るもののない平地なうえに、日が落ちて十分に冷えた空気に晒されるとそれなりに肌寒さを感じる。

 だけど、エンシェントノービスの加護を得て以来、病気らしい病気を一度もしたことがないせいで、今の俺にはこの雨露をしのぐためのマントがなくても何の不都合もない。

 そのことは、俺のことを調べたというリーゼルさんも察していると思ったんだけど。

 もう忘れたのかな?


 それでも、俺の望みを汲み取って夜警に出してくれたリーゼルさんには感謝しないといけない。

 ここに残っている数少ない公国軍の騎士の一人がリーゼルさんだけで、ジオを含めた他の人達は、全員ジュートノルに帰ってしまった。


 ……いや、知り合いがほとんどいないからこそ、心が重くならずに済んでいるのかもしれない。


 とりあえず、夜明け前まで一人静かに過ごせそうだと思ったその時。


 草原に微かな馬蹄の音が一つ、聞こえ始めた。

 しかも、明らかにこっちの方角を目指して走っている。


 衛士隊の一員じゃない俺は、こういう非常時にどうすればいいのかという訓練を受けていない。

 急いで天幕に戻るか、それともここから魔法で危険を知らせるか。

 エンシェントノービスの強化された視覚に頼ろうにも、今夜は月がほとんど雲に隠れていて、よほど接近しないと正体までは確認できそうにない。


 わずかな間悩んだ後、何もしないで近づいてくる馬を待つことにした。

 理由は二つ。

 一つは馬が来た方角がジュートノル方面だったこと。

 もう一つは、風下に立つ俺の五感が、敵意を感じなかったせいだ。


 やがて、立ち止まっていた俺の近くまでやって来た馬が止まり、騎乗していた影が飛び降りた。

 警戒は必要なかった。下馬する立ち居振る舞いだけで、正体が分かったからだ。


 細身のシルエットを見なくても、腰の細身の剣の高価さに気づかなくても、薄暗い闇夜でなお輝くプラチナブロンドが風になびかなくても。


 目の前にいるのがリーナだってことはすぐにわかった。



 パァン!!



 だから、強い眼差しでまっすぐ見ながら俺の左頬を子気味よく鳴らした平手打ちも、避ける気は全くなかった。


「なにか言いたいことはある?」


「いいや、なんにも」


 これが特に年月が経ったわけでもない、リーナとの再会だった。

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