第241話 ゴブリン戦役 下
「そろそろ起きてもいいんじゃあないかな」
目が覚めたきっかけは、ジオの声だった。
「おはよう、テイル。本当はもっと早くに起きてほしかったんだけれど、護衛の騎士達が激しく頭を打っている恐れがあるというのでね、ここで待たせてもらった」
「あ、ああ、ありがとう?」
「なあに、礼には及ばないさ」
寝起きのぼんやりとした頭に恩着せがましいジオの言葉が入り込んだせいで、なぜかお礼を言ってしまった自分に呆れながら土の上で寝ていた体を起こす。
日の傾き具合から言って、気絶してからそんなに経っていないだろうか。
そこまで確認してから、二つの異変に気付いた。
一つは、防壁が崩壊してできた瓦礫がきれいさっぱり片付けられていたこと。
もう一つは、防壁の穴の真ん中にいつの間に用意したのか真っ白なテーブルが置かれていて、対の椅子の片側にに座るジオの前には、ジュートノルにいる時とそん色ないティーセットと軽食が置かれていたこと。
つまり、戦場のど真ん中で優雅にティータイムを楽しむジオの姿が、そこにはあった。
「……よく、こんなところでお茶なんて飲んでいられるな」
「まったくだよ。道具だけは持ってきていたけれど従者の一人も連れてこなかったからね。自分で淹れたお茶がこれほど茶葉を無駄にするとは思わなかったよ」
「なら、飲むのを止めたらいいじゃないか」
「そう言わずに付き合ってくれないか。ゴブリンの残党を領境まで追い出したという報告を受けるまでは、ここに留まるつもりだからね」
「いや、この状況で無理があるだろう……」
誘いをかけてくるジオににべもない拒絶をした、その理由はもちろんある。
公王ジオグラルドの護衛のために背後に控えた烈火騎士団、人数は大体三十人くらいだろうか。
彼らが一糸乱れず正面の俺に注目している光景を見て「じゃあ遠慮なく」と図々しく席に座る度胸が、俺にあるだろうか?俺にあるだろうか?
「公王陛下の思し召しです。テイル殿、こちらへどうぞ」
大事なことなので心の中で二度呟いてみたけど、残念ながら俺の思いは届かなかったらしい。
烈火騎士団の中で数少ない知り合いのリーゼルさんが、ジオの向かいの椅子を引いて俺の退路を断ってきた。
仕方がないので、不承不承の顔というせめてもの抵抗を見せて、席に着いた。
「で、俺が気絶した後の話をしてくれるんだろうな?」
「もちろんさ。あの、投石とも魔法ともつかない攻撃でゴブリンキングを倒したところは見ているかい?」
「かろうじてだけどな」
「じゃあ、ゴブリンキングの後ろに従っていたジェネラルゴブリン二匹のうち、一匹が巻き添えを食らって深手を負ったところは?」
それは見ていない。
という考えが顔に出ていたのか、俺が返事をする前に独り合点でジオが頷くと、すぐ後ろに控えていたリーゼルさんが騎士達を指揮してテーブルのティーセットを片付け、代わりに地図を広げてその上に白と黒の駒を並べ始めた。
……俺、まだ一口も飲んでいないんだけどな。
「今、白の駒の公国軍は、黒の駒のゴブリンの軍勢を追っている。目的は二つで、奴らをマクシミリアン領から完全に排除するためと、ジェネラルゴブリンの片割れの首を取ることだ」
「片方だけ?倒せるなら両方とも倒した方がいいんじゃないのか?」
「テイル、それじゃあ駄目なんだよ。それじゃあ、さっきテイルに説明したとおりの、ガルドラ公爵を攻撃するための尖兵にできなくなる」
「確かに、ゴブリンキングと戦う直前にそんなようなことは聞いたけど」
ガルドラ公爵軍に、ゴブリンの軍勢をぶつける。
そういう趣旨の話は聞いたし、それができるならマクシミリアン公爵領の安全も確保できて、敵対するガルドラ公爵への嫌がらせにもなる。
だけど、さっきはゴブリンキングが今にも防壁に迫ろうかという中での話だった。
正直、深い理由までは聞けていなかったし、納得できる気もしなかった。
ただ直感でジオの言うことを信じただけだ。
「順を追って話そう。まず、ゴブリンキングがガルドラ公爵の手先だった」
「ちょ、ちょっと待った!!」
「待たない。僕の話を聞くんだ。詳しい方法までは分からないけれど、魔法か、毒か、人質か、あるいはそれ以外の方法か。ガルドラ公爵はゴブリンキングを操って、マクシミリアン領へとゴブリンの軍勢を差し向けた。でなければ、ガルドラ領でこちらほどの対応を取らなかった道理が見つからない」
つまり、元はガルドラ公爵のおひざ元で大量発生したゴブリンだから、ジオが察知できるくらいのガルドラ公爵軍とゴブリンの軍勢との戦いが一度も起きていないのはおかしい、ってことか。
「僕としては、その大量発生すらガルドラの手の者が意図した結果じゃあないかと疑っているけれどね。それはそれとして、操られていた王を失ったゴブリンの軍勢は、今や純粋な魔物の群れとなった。さて、ここで一つテイルに問題を出そう。この後、ゴブリンの軍勢はどういう行動をとると思う?」
「そりゃ、自分達の巣に帰って、平和に暮らすんじゃないのか」
「残念、大外れだ」
「テイル殿、ゴブリンの本質は弱者からの略奪です。我ら人族と同じ手足を持ちながら自ら生み出すことは一切せず、ひたすら数に任せた略奪で無計画に数を増やし続けるだけなのです」
ちょっと、いやかなり本気で残念なものを見る目を俺に向けてきたジオに代わって、リーゼルさんが説明してくれた。
――いや、だから俺の魔物に関する知識はかなり偏っているって言っただろ?
「じゃあ、またここに攻めてくる可能性も……」
「それはない。なぜなら、ここには王を打ち倒せるほどの強者がいるとゴブリン達の前で証明したからね。奴らは自分達よりも強い生き物には決して近づこうとしない。ましてや、もっと近い場所に手頃な獲物がいるのだから。それこそ、群れのボスが操られでもしない限りはね」
「そういうことか。……ん?なら、なんでジェネラルゴブリンを一匹だけ始末しようとしているんだ?ガルドラ公爵領に向ける戦力が欲しいなら、一匹でもゴブリンを生かしておきたいんじゃないのか?」
「船頭多くして船山に上る、ということわざが海に面した国にはあるそうだけれど」
俺の疑問に答えるつもりなのか、よく分からない言葉を口にしたジオ。
「要は、二人の将軍が同時に別々の命令を発したら、兵は混乱して戦いどころじゃあなくなるってことさ。ゴブリンが愚行を取ることは本来喜ばしいことだけれど、軍容にてガルドラ公爵軍に圧倒的に劣るジオグラッド公国連合が対抗するためには、魔物の手を借りる必要があるのさ」
そう言って、ジオは黒の駒のうち、一番大きい二つの片方をつまむと後ろに放り投げた。
さらに、白の駒の中で一番小さいものをいくつか、黒の駒の周りに次々と置いていく。
「とはいえ、道理すら弁えないゴブリンごときに期待しすぎるのは愚か者の誹りを免れない。そこで、ゴブリンの軍勢をここまで誘導してくれた冒険者達を使って、さらに誘導を続ける」
「つまり、ガルドラ公爵領の町や村を襲わせるために……」
「どうやって誘導するのか、は聞かない方がいい。テイルがどうしてもっていうなら吝かではないけれど、聞けば後悔することを請け負えるからね」
「そんなことで請け負うなよ……」
「僕なりのテイルへの親切心、忠告だよ。世の中、知るべき立場の者とそうでない者の二種類に分かれるからね。テイルは後者さ」
「お前は前者なのか?」
「僕の場合は、知りたくもないのに知らなきゃあならない立場、と言うべきだね――お、噂をすれば」
そう、自分を特別扱いしたジオが空を見上げる。
つられて上を見ると、一羽の白い鳥がこっちに向かって一直線に飛んでくる様子が見えた。
その黒い足に括りつけられた紙片が、強化された視覚ではっきりとわかる。
そして、紙片の中身が負傷したジェネラルゴブリンを仕留め、ゴブリンの軍勢が完全にマクシミリアン領から撤退したという冒険者からの知らせだと、この時の俺は感づくことができた。
なぜか、他の可能性は一切頭になかった。
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