第240話 ゴブリン戦役 中


 衛士隊の波をかき分けて前に進む。

 ほとんどの衛士は「こいつ誰だ?」という不審の目で見てくるけど、中には驚きと理解がないまぜになった視線を向けてくる人もいる。

 言うまでもないけど、白いうさぎ亭の常連達だ。


 慣れ親しんだ顔を見て少し緊張がほぐれ始めたころに、視界が開ける。

 待っていたのは、まんまと公国軍の狩り場に誘い込まれた、ゴブリンとオオカミ型の魔物が無数に倒れた光景。


 ゴブリンの黒とオオカミ型魔物の赤。

 二種類の血が入り混じって泥だらけの地面に流れている凄惨な様相から目をそらしながら、だけど一つの地獄の向こう側である防壁に空けられた穴を目指して、足を動かし続ける。


 そして、大小さまざまな瓦礫を踏み越えてたどり着いた、防壁の穴。

 その向こう側で待っていたのは、同じはずなのに櫓の上から見ていたのとは全く別の景色。


 例えるなら、大雨で増水した川の様子を見ているか、実際に川の中で溺れるか、そのくらいの違い。

 つまり、別世界ってことだ。


 咆哮と絶叫、それと地面を踏み鳴らすてんでバラバラなスタンプが、公国軍の先頭に出た俺の体に怒涛の勢いで押し寄せる。


 それはまあいい。

 ゴブリンの大軍はもちろん脅威だけど、死んでいるのに動いていて、死んでいるから生気が感じられないアンデッドの方がよっぽど恐い。気配も見せずに背後から襲い掛かられない分ずっとましだ。

 よくないのは、その奥からやってくるゴブリンの王。


 遠くからも感じる魔力量、深い緑の肌の巨体、恐怖を一度も感じたことがなさそうな醜悪で傲慢な怪物の顔。

 その出で立ちは、あのジェネラルオーガを彷彿とさせる。

 違いがあるとすれば、人族の言葉を解した大鬼の将軍とは似ても似つかない、両脇を固めるジェネラルゴブリンに喚き散らす様子一つとっても確信できる、知能の低さくらいだ。


 まあ、頭が良かろうが悪かろうが、あの怪物に防壁を超えられたらこっちの負けなんだよな。


 俺は、櫓から降りる直前にジオに告げられた言葉を思い返していた。






「さて、我が公国軍最大の切り札であるテイルに訊きたいんだけれど」


「いや、その今初めて出てきた肩書をお前が先に説明しろよ」


「あのゴブリンの大軍三万匹との戦いの、最高の勝利のかたちとは何だと思う?」


「……話を聞く気がないな、まあ予想はしていたけど。――そりゃもちろん、ゴブリンの全滅じゃないか」


「ちっちっち、残念、大不正解だ。盲目で不見識なテイルにもわかるように、この僕自ら説明してあげよう」


「なんかちょっとイラっとしたぞ」


「三万匹もの魔物の殲滅。それ自体は人族の生存圏を確保する最優先事項であり、人心を安らかしめるためにも必要なことだ。ただしそれは、敵が魔物のみの場合に限る」


「他の敵?」


「しっかりしてくれ。そもそも、ゴブリンの大軍を仕立て上げてマクシミリアン公爵領を脅かしているのは誰だったか、忘れたわけじゃあないだろう」


「あ、ガルドラ公爵か」


「確たる証拠は存在しないし、公爵本人の関わりも不明だけれど、長年のマクシミリアン公爵家との確執とアドナイ王国の現状を鑑みるとまず間違いない。そして、今僕達とゴブリンの大軍が正面切って戦って一番得をするのはいったい誰なのか、言うまでもないよね」


「だからって、俺にどうしろと?」


「それをこれから話すんじゃあないか。なあに、そんなに難しいことはないよ」






 他のゴブリンが背後に回り込まないように、あくまでも防壁の穴に留まって迎え撃つ。


 対するゴブリンキングは、俺が臆病風に吹かれたと思ったのか、ゲラゲラと笑いながら大股でこっちに近づいてくる。


 その大きな素足で俺のところまであと三十歩くらいになった時、大きすぎる背中越しに柄だけが覗いていた得物――丸太ほどの太さのトゲ付き金棒を手に取った。

 あれを振り下ろされたら、人族の体なんて武器や鎧ごと押し潰されるだろう。


 ゴブリンキングが走り始める。

 従っていたジェネラルゴブリンやゴブリンガードは置き去り。王による殺戮ショーを見物するつもりらしい。

 実際、地響きを起こしながらトゲ付き金棒を振りかざして突進してくるゴブリンキングに警戒の色は微塵もなく、防壁を突破した後の蹂躙劇を想像しているようにしか見えない。


 だけど、あの時の大鬼の将軍に比べたら。


『使用者のみなぎる力と意思を観測しました。ギガンティックシリーズ、パワースタイルに移行。続いてギガライゼーション第一展開』


 鞘から引き抜いたショートソードを握りしめて、ジェネラルオーガと渡り合った力を発現させる。

 黒い光と共に変化した俺の姿にゴブリンキングは一瞬驚いた顔を見せたけど、しょせんは人族と見くびったのか、前進を突進に切り替えて襲い掛かってきた。


「テイル、どれほど大きくなろうが力をつけようがキングと呼ばれようが、ゴブリンという本質から逃れることはとても難しいものだ。奴らの行動のほとんどは威嚇かこけおどし。ただし、自分の勝利を確信、または錯覚した時だけは話が別だ。だから、正面から堂々と、全力を以てゴブリンキングの鼻っ柱を圧し折ってやれ」


「『スラッシュ』!!」


 ジオの言葉を支えに、ノービスが唯一使える武技スキルをなりふり構わず叩き込む。

 襲い掛かる側だったゴブリンキングは、逃げずに立ち向かった俺に驚いたのか、突如として巨大化した黒の剣に唖然としたのか、武技スキルが放つ光に目がくらんだのか。


 金棒で受け切れなかったゴブリンキングの右腕を黒の大剣が切り飛ばした。



 ドサッ   グギャアアアアアアアアア!!



 少しの静寂の後。

 約三万匹ものゴブリンの大軍の目を覚ましたのは、妙に響いたゴブリンキングの右腕が血しぶきをまき散らしながら地面に落ちた音と、元の持ち主の絶叫だった。


 当然、その後に起きるのは混乱に次ぐ混乱。


 俺の視界に入っている奴らはともかく、はるか遠くの方でも訳が分からないままのゴブリン達が押し合い圧し合いで戦場から逃げ出そうとしている。

 その中でも特に目立つのは、片腕を失い断面から少なくない血を流しながらも必死で俺から離れようとしているゴブリンキング。


 さすがに三万匹をどうかしようとは思わない。

 俺一人の手には余るし、この先はガルドラ公爵領だから下手に追いかけるわけにはいかない。


 だけど、ゴブリンキングだけは逃がすわけにはいかない。


『使用者の確固たる狙いを観測しました。ギガンティックシリーズ、シュートスタイルに移行します』


 使うのは投擲の能力。

 黒の装備の助けを借りて、さらに極限を目指す。


『使用者のさらなる意思を観測。ギガライゼーション第一展開』


 黒の大剣に代わって巨大化したのは、大地を踏みしめる脚部装甲と、右腕のガントレット。

 尻尾のようなアームが自動的にクレイワークを駆使して地面から抉り出した土塊を、そうするべきだという内なる声に従って右腕で掴む。


『クレイワーク成形……完了、ストリーム圧縮……完了、サイクロンバレル……完了、発射準備完了。使用者によるイグニッションでいつでも発射できます。どうぞ』


 ここでようやく、といっても微かにだけど、黒の装備のなすがままに任せていた状況に戸惑いを覚えた。

 だけど、近づいてきたよりも数倍の速度で一心不乱に逃げていく、左腕一本になったゴブリンキングを確実に仕留めるには、ジオの願いに応えるのはこれが最善だと分かる。

 迷っているのは、食べるためじゃない命を奪う行為に未だに慣れないせいだ。

 それを、生き抜くためだと覚悟を決めて、ゴブリンキングに向けた右腕に戦う意志と火の初級魔法を込める。


『着火を確認。ギガシュートカノン発射』


 機械音声。


 一瞬後の爆音。


 衝撃。


 気絶するまでのわずかな間にわかったのは、発射のショックに耐えきれずに後ろに吹き飛んだ俺の体と、圧縮した土塊の砲弾が命中して五体ならぬ四体を爆散させたゴブリンキングの惨たらしい末路だった。

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