第239話 ゴブリン戦役 上
ノービスのスキル『投石』はとても便利だ。
遠くから一歩的に敵を攻撃できる上に、地形にもよるけど補充はその辺の地面からいくらでも利く。
それが数千のノービスが防壁の向こう側のゴブリンに向けて一斉に石を投げる光景は、弓矢の掃射とは違った迫力を感じる。
あの石の雨の下にいると想像するだけで背筋が寒くなるほどに。
「うーん、思っていたのとちょっと、いやだいぶん違うかな。もっとゴブリンが脳漿をぶちまけて次々と倒れ伏す大惨事を想像していたんだけどな」
「公王陛下、周囲の耳もありますので放言はほどほどに。それに、投石の威力と効果は想定内です」
「そうなのかい?」
公王どころか貴族でも言わない残虐な言葉を並べ立てるジオを、短くも濃い付き合いのマクシミリアン公爵がやんわりとたしなめる。
そのやりとりには深い信頼関係が感じられて、一公国民の俺としては頼もしい限りだけど。
壮絶な殺し合いが目の前で起きている最中に言うことか?
「それにしても、よく逃げずに向かってくるものだね。ゴブリンの戦い方は常に数頼み。少しでも不利だと感じたら脇目も振らずに逃げると聞いていたんだけれど」
「率いているのがゴブリンリーダーやナイト程度でしたら、そのようなこともあったでしょう。ですが」
「ゴブリンキングは格が違う、というわけか」
「その通りです。今この場を逃げ出したとしてもあとで必ず自分の命運は尽きる。低能なゴブリンにすらそう確信させるほどのカリスマか腕力か未知のスキルか、そのようなものがゴブリンキングに備わっているそうです」
「つまりは、ゴブリン共の士気はそこそこで数はこちらの六倍。対する公国軍は練度が低く、頼みの綱は即席の防壁のみ。客観的に見てどちらが有利かは明らか、というわけだ」
「そして、おそらくゴブリンキングもその程度の理解はしているはずです」
そうマクシミリアン公爵が締めくくった瞬間、石の雨が降り注ぐ防壁の向こうから怒号のような唸りが聞こえてきた。
と同時に、
「矢だ!!上方警戒!!」 「盾を掲げろ!」 「怯むな!やり返せ!」
衛士隊の中から矢継ぎ早に指示が飛ぶけど、防壁を超えてきた矢の数々に投石の勢いが鈍っていく。
さらに、
ドオオォン!!
「な、なんだ!?」 「防壁からだ!」 「まさか、魔法!?」
爆音がした方を見ると、ゴブリン軍の先陣が通常種から木の盾を持った集団に入れ替わっていて、その隙間から魔法の光がいくつも漏れて防壁に向かって飛んでいた。
「弓隊で敵をけん制し、盾兵で守られた魔導士に城壁を崩させる。攻城戦における基本戦術の一つではあるけれど、まさか魔物ごときにしてのけられるとはね」
「例え拙くとも、相手が軍の体をなしているかいないかで、その脅威は天と地ほどの差があります。もしも、ゴブリンメイジの魔法攻撃に限りがないとすれば――」
ドガアアン!!
その時、これまでよりも腹に響くような爆音がしたのと同時に、防壁から大小の破片が飛び散るのが見えた。
「まずいね。もう防壁の綻びがばれてしまったようだ」
「ですな」
「綻び?どういうことなんだ!?」
差し出がましいとは思いながら、焦りも手伝って呑気な公王と公爵の会話に割って入る。
すると、ジオが頭をかきながら、
「いやあ、テイルの協力もあってマクシミリアン公爵領とガルドラ公爵領との間を分ける長大な防壁を造り上げたまではよかったんだけれどね」
「資材と工期の不足から、ごく一部を通常の土壁にせざるを得なくなってな。そのうちの一か所に運悪くゴブリンメイジの魔法が命中してしまったようだ」
「つまり、さっきの音は……」
「防壁が破られ始めている証だね」
「なっ!?」
俺が絶句する一方、ここよりも異変を感じ取っているだろう前線でも、衛士隊の投石の勢いが落ち、隊列が乱れ始めていた。
さらに、
「いよいよまずいね。後方に控えていたゴブリンライダーが魔法が集中してる箇所に集まり出した」
「数はおよそ千騎。城門突破後の騎兵突撃、といったところでしょうか。あれに公国軍の後背に回られれば敗北は必至ですな」
「な、なら、すぐになんとかしないと!!」
「まあまあ、テイルの出番はまだ先だから、まずは落ち着きなよ」
「で、でも!!」
居てもたってもいられずに櫓から降りようとした俺を、落ち着き払ったままのジオの声が引き留めた。
それでも俺が抗おうとすると、
「公王陛下に口答えとは、身の程を弁えろ、未熟者。この状況が我らの策の通りだと、なぜ気づかぬ」
「え?」
マクシミリアン公爵から思いがけない言葉を聞いて、眼下の戦場を見直す。
すると、隊列を乱しながら後退していく数千の衛士隊の動きが、やけに規則的なことに気づいた。
そして、防壁の魔法が集中している個所を半円状に取り囲む形で踏みとどまったかと思うと、
『クレイワーク』
決して大きくはないけど初級土魔法の一斉詠唱は俺の耳に届き、力ある言葉と共に衛士隊の前の地面が隆起して即席の土壁を造り上げた。
直後、最後の悲鳴ともいえる破壊音が防壁から鳴り響いてきて、一度に十人くらいは侵入できそうな穴を作って崩落、間髪入れずに今か今かと待機していたゴブリンライダー部隊が勢いよく突入して。
立ちはだかる土壁の前になすすべもなく停止した。
「第二魔法、撃て!!」
『ストリーム』
指揮官の声と共に、衛士隊の次なる魔法が戦場に行使される。
ただし、向かう相手は敵であるゴブリンライダー部隊じゃなく、その足元の地面。
水を生み出すのではなく操るだけの簡素な魔法は地中をすり抜け、その奥にある地下水脈に及び、いくつもの強烈な水流となって地上に噴出した。
何匹かのゴブリンとオオカミ型の魔物が悲鳴と共に宙に舞う。ダメージとしてはそれだけ。
だけど、地面に残された大量の水は瞬く間に湿った土を泥水に変え、泡を食って防壁の穴を戻ろうとしたゴブリンライダー部隊の大半が足を取られてその場にすっころんだ。
「今だ!!総員全力投石!!」
指揮官の命令を聞いたか聞く前か、助走をつければ飛び越えられる程度の高さの土壁越しに、半包囲した衛士隊の手から容赦のない石礫が一斉に投げられ始めた。
「さすがは知恵の足りないゴブリン。あからさまな罠に引っかかり、簡単に狩場に入り込んでくれましたな」
「あまり悪し様に言うものじゃあないよ、マクシミリアン公爵。もしもこちらの攻撃手段が投石じゃあなく弓矢だったら、ゴブリンも少しは警戒したかもしれないよ」
「なるほど、弓兵を用意できない、練度の低い敵だとゴブリン共が想定したのなら、我が陣への安直な突入も納得できます」
「まあ、おそらくは買い被りだろうけれどね。その証拠に、敵将自ら戦局を挽回するようだよ」
もはや、衛士隊が一方的にゴブリンライダー部隊を叩いている目下の状況には興味がないのか、遠くを見ているジオの視線。
その先にいるゴブリンキングがここからでもわかるほどの怒りを放ちながら、左右にちょっと体格で劣る二匹のジェネラルゴブリンを、さらにその後ろに護衛であるゴブリンガードを引き連れて前進を始めた。
「さて、そろそろ切り札の切りどころかな」
「切り札?ゴブリンキングを倒せるような、すごい秘密兵器があるのか」
「いや、ないよ。だから、ちょっと行ってきてくれないか」
「は?」
ジオのことだ、俺には内緒であのゴブリンキングを倒せる冒険者か騎士でも用意していたのか、と余裕を取り戻しながらつぶやくと、即座に当の本人から否定の相槌が打たれた。
行くって、誰が?どこに?
「秘密兵器もなにも、僕の切り札と言ったらテイル、君のことに決まっているじゃあないか」
「今からあのゴブリンキングを倒してこい。可能なら、防壁の向こう側でな。こちら側では衛士隊に被害が出る。まあ、お前が味方に犠牲が出ても構わんというなら好きにしろ」
「は……、はああ!?」
始まりは、五千人対三万匹の、ジオグラッド公国とゴブリンとの戦い。
そのうち、ゴブリンライダー部隊千匹に大打撃を与えたけど、それでも相手は二万九千。
その二万九千匹のゴブリンの大軍を一人で敵に回して、俺は戦わないといけないらしかった。
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