第238話 ゴブリンキング

 壮観。


 平原が多い(らしい)アドナイ王国でこの言葉を使う機会は滅多にないと思うけど、櫓に上った俺の目の前にはそうとしか言いようがない光景が広がっていた。

 だけど、見る人が見ればいくらでも粗が見つかるようで、


「分かってはいたけれど、やっぱり急造軍の域を出ないね。まだまだドワーフの装備で統一できていない点は目を瞑るとしても、陣形の展開で部隊ごとの差が出るのはいただけない」


「特に、騎士団との連携は子供のごっこ遊びかと思うほどに絶望的です。ジュートノル帰還後の式典は小規模で済ませるべきでしょうな。なんとか王都奪還までに、他勢力に見劣りしないものに仕上げねば」


「さ、最善を尽くします……」 「も、もちろん我が騎士団もです」


 櫓の前の方で平原に集結した公国軍を眺めながら渋い顔をしているジオとマクシミリアン公爵に対して、俺の横で額に汗を浮かべている衛士隊の隊長さんと、マクシミリアン騎士団の幹部だという騎士鎧姿のナイスミドル。


 対する俺はというと、高級クッションを惜しげもなく使った馬車での寝心地がよっぽど良かったのかすっかり熟睡してしまい、日の出よりも太陽が天辺に届く方が早い頃合いに起床するという、およそ日常ではありえない大失態を侵してこの場に立っている。


 馬車から櫓まで案内してくれた顔見知りの衛士の人によると、「我らが英雄の出番はまだ先だからゆっくり寝かせておけばいいよ」と公王陛下直々の命令で、俺が赤っ恥をかく羽目になったらしい。

 ただまあ、いつもなら余計なお世話と文句の一つも言いたくなるジオの気づかいも、今回は感謝している。

 その根拠が――目の前の光景を壮観と思った最大の理由が、衛士隊を中心とした公国軍よりさらに先、俺も一役買った長大な防壁の向こう側に雲集する、薄汚れた緑一色のゴブリンの大軍という形で存在していた。


「それにしても、僕の方から指示したとはいえ、知恵無き魔物をよくもここまで集めることができたね。数はおおよそ――」


「三万匹前後、といったところでしょう。そう思うのでしたら、今回我らにタイミングを合わせてゴブリンを集結させた冒険者百名に相応の褒美を与えていただければ」


「ただ駆除するよりは難しいんだろうねえ」


「当然です。おい、公王陛下に説明して差し上げろ」


 そう命令されて一歩進み出たのは、ナイスミドルの騎士。


「私も専門外ですので把握しているのは概要のみですが、冒険者百人はこの日のためにガルドラ公爵領に潜入してゴブリンの集落を探索、発見し次第様々な手段を駆使して領境まで誘引したようです」


「へえ、それはすごい。どんな手段を使ったんだろうね?」


「は、襲撃を仕掛けて追わせたり、罠に掛けて足を鈍らせたり、二手に分かれて群れを分散させたり、などと聞いております」


「例えば、領境の防壁の手前にゴブリンの死体を置いて激怒させたり、とかかい?」


「な、なぜそれを……!?」


「なあに、その辺の事情に通じている知り合いから聞いたことがあるだけさ」


「い、いえ、騎士団として了承したわけではなく、目的さえ達成すれば手段は問わないとの不文律が冒険者にはありまして……」


「別に冒険者のやり方に口を出すつもりはないさ。兵は詭道とも言うし卑怯千万大いに結構。ただし、ガルドラ公爵から思わぬ形で足を掬われないためにも、公王として知っておくべきことがある」


「聞いたな。この次は裏表に限らず詳細な報告書を作成し、ジュートノルに送るように。決して公王陛下が事の後で知ることがないようにな」


「は、ははっ!」


「というわけなんだけれど、テイルはどう思う?」


「いやいやいや、このタイミングで俺に振られても」


 ていうか、限られた人数しかいられない櫓の上にいるお前は何者だ?みたいな感じで、さっきからずっとナイスミドルの騎士がチラチラ見てきているんだけど。


「まあまあ、そんなつれないこと言わずに。ノービスの専門家として率直な意見を聞きたいだけさ」


「そうだな……、なんでゴブリンは防壁を超えてこようとしないんだ?こっち側に俺達がいることはとっくにわかっているだろうに」


「それは、奴らの中にも一応の規律が存在するからですな」


 俺の疑問を受けたジオから視線を送られて、しぶしぶといった体でナイスミドルが答える。


「魔物は集団としての数が増えれば増えるほど、序列が生まれ命令系統が確立されていきます。ゴブリンは特にその傾向が顕著で、群れの頂点の命令は絶対です。もっともその支配構造は単純な暴力に頼ったもので、ゴブリン自身の知能の低さから好き勝手に動く個体も少なくないですが」


「なるほど。だから勝手に群れから離れようとしている連中も現れるわけだ。あんな感じで」


 そう、遠くを見ながら突然話題を変えたジオの視線の先を追ってみると、ゴブリンの大軍のせいですっかり茶色い地肌しか見えなくなっている防壁の向こう側で、何匹かのゴブリンが群れから離脱しようとしていた。

 そこへ、


「おや、本当にタイミングが良かったようだ。王の登場だ」


 そう言いながら櫓に備え付けの望遠鏡を持ち出したジオ達に対して、裸眼で十分に観察できる俺は目撃してしまった。


 小高い丘を登り切って地平線の向こうに消えようとしていたゴブリン達の行く手に立ち塞がるように現れたのは、オーガと見紛うほどのサイズの巨大な二足歩行の魔物。

 黒ずんだ緑といった風の肌に、筋骨隆々の体格にボロボロの黒のマントを羽織った巨大ゴブリンは、手にしていた得物を横なぎにしていくつかの血の花を咲かせた。


「ひゅう、さしずめ逃げる兵を粛清する暴君といった風格だね」


「あ、あれは……」


「やはり『ゴブリンキング』が誕生していたか。万を超えるゴブリンの軍勢が集結していたことから察してはいたが……」


 震える俺の声に応えるようにマクシミリアン公爵がその名を口にする。


 ゴブリンキング。


 ゴブリンの集団の頂点には、その規模に応じて様々な名前が付けられるけど、ゴブリンキングは最悪から二番目の名前として、冒険者を始めとした魔物にかかわる者なら知らない者はいない。

 ちなみに、最悪の規模になるとゴブリンエンペラーと呼ばれる個体が生まれるそうだけどこの千年は出てきたことがないらしく、伝説の魔物という名の一種のファンタジーになっている。

 つまり、考えられる限りの最悪の事態というわけだ。


「率いる通常種は万を超え、ゴブリンウォーリアやメイジといった上位種も数知れず、さらに王の周囲はゴブリンガードといった上級冒険者でも手こずる強者が常に付き従うという。ここまでくると一個の国に匹敵するね」


「公王陛下、感心するのはけっこうですが、今は下の将校に下知を。ゴブリンキングが到着した以上、すぐにでもこちらへの侵攻を開始するでしょう。あの数が防壁を超えた時点で敗北は必至ですので」


「そうだね。それじゃあ始めてくれ。ただし、くれぐれも本陣の指示を見逃さないように、改めて全軍に徹底するように」


「公王陛下の下知はなされた。衛士隊に投石攻撃を開始させろ」


「ははっ!!」


 マクシミリアン公爵に応じたナイスミドルの騎士が敬礼と共に櫓を降りていく。


 数拍後、数千の衛士隊から無数の礫が弧を描いて防壁を超え、王の到着と同時にこちらに向かって進軍を開始したゴブリンの大軍に降り注ぎ始めた。


 後にゴブリン戦役の名で語り継がれる、ジオグラッド公国軍の初陣の始まりだった。

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