第237話 合間の夢現
自分の意志で戦うか。それとも大切な人たちと一緒にいることを望むか。
結局は前者を選んだわけだけど、この数日間は本当に悩みに悩みぬいた。
おかげですっかり寝不足になり、ゴブリン討伐の前線基地に向かっているジオの馬車の大きなソファにに横たわって、毛布をかぶるなり深い眠りに落ちてしまったわけだけど。
意識だけは半端に残っていた。
気づいた時には、頭が割れていた。
自分でもなぜわかるのか不思議だけど、後頭部のさらに奥底をを冷たい空気がざらりと撫でているのだから間違えようがない。
指一本動かせない状態の俺の体を強い力が引っ張り上げて、どこかへ運んでいく。
その間、ずっと聞こえてくる無数の囁き。
声にならない声、だけど感情の色だけははっきりと耳に届く。
嘲り、侮蔑、冷笑。
その全てが同じ人族に向けた感情ではなく、明らかに下等生物を見下すものだった。
なぜだ?なぜなんだ?
俺とお前達は何が違うんだ?
そうしていくうちに、頭部に致命傷を負った肉体は言葉にするのも憚られるほどの「処理」を受けて、見るも無残な姿へと変貌していく。
人を人と思わない仕打ちの数々にどす黒い感情が全てを塗りつぶしかけた時。
俺の心に温かい光が宿った。
そうだ。この光景は俺の記憶じゃない。
大切な人達のことを思い出すのと同時に、これまでの一部始終に見覚えならぬ聞き覚えがあることに気づく。
その時、意識が浮き上がる感覚に襲われた。
「戻ってきたか」
聞き覚えのある、涼やかで中性的な声が聞こえる。
声の主を確かめようとしてみたけど、手足はおろか指の一本も動かない。
それどころか瞼も開かない。
「気にするな。お前が未だ夢の中にいる証だ。いわゆる半覚醒状態にあると思っておけばいい」
やたらと小難しい知識が、少なくとも俺の頭の中にないことだけは確かだ。
ただの夢じゃないのは実感できた。
でも、どうしてこんな状態に?
「お前が街から出てくるのを遠目に見ていたのだがな、尋常ではない気の流れを感じてこうして駆け付けたというわけだ」
それはどうも。
「ただ一つ気がかりなのは、この馬車に乗っている人族全員に幻惑魔法を掛けなくてはならなかったことだな。まず察知はされまいが、眠りから覚めた後で気づく者も出るかもしれん。まあ、その時はうまく誤魔化しておいてくれ」
誤魔化してって……。
「無理なら他の連中と同じ反応でもしておけ。そもそもこんなことを話しに来たのではない。本題は別にある」
本題?
いや、でもこれは夢なんじゃ……
「夢か現かは関係ない。私はお前の本心を聞きに来たのだから――本当にこのままでいいのか?」
このままって、……俺は悩んで悩みぬいて、決めたんだ。
「だが、私なら第三の選択を与えてやれる。率直に言おう、人族など捨てて私のところに逃げて来ないか?」
そんなこと、できるわけがない。
「そう言うと思っていた。なら、お前の大切な者達も共に受け入れる、と言ったらどうする?」
そんなこと……
「人族を深く憎む我らにはできるわけがない、と思うか?当然だな。だが、たった一つの例外においてのみ、我らは人族を許すことができる」
それは?
「五千年前、我らの先祖と盟を結び、我らやドワーフとの共存を望み、その考えがゆえに同胞から疎まれ、最後は同胞に殺された哀れな英雄とその眷属だ」
まさか……
「彼の眷属であるお前と、お前が信じる者達なら、我らは共に生きることができるだろう。だが、己が欲望のままに世界を蹂躙し、神の怒りを買った人族という種には僅かな憐憫すら感じない」
だ、だけど、ジオには……
「お前を利用しようとしている者達のことか?今のままでは敵対する勢力に一方的に敗北しそうだから、善戦できるように少し手を貸してやるだけだ。ドワーフ族の思惑までは知らんが、そうした方が人族同士で潰しあって滅びやすくなるからな」
なんでそこまで憎むんだ?
「憎んではいない。実のところ、私の父の件も今はそれほど恨んではいない。すでにこちらが提示した条件は受け入れられたからな。見返りを与えるだけのことだ。それに、奴らも我らの思惑を分かった上で助力を求め、条件を受け入れたはずだ」
どういうことだ?
「我らが人族の滅びを望んでいると理解した上で、話を持ち掛けてきたということだ。特に、あの公王を名乗る男は最初からこうなることを見透かしていたはずだ。その上で、人族が生き残る僅かな希望に全てを賭けている」
ジオはそこまで……
「呑気なことを言っているが、公王ジオグラルドに最も利用されているのはお前なんだぞ。まさか気づいていないわけでもあるまい?」
……。
「確かに、ジオグラルドの企みはお前にとっても都合がよく、時に命を賭ける価値があったのだろう。だが、これまでの道のりがジオグラルドによって誘い込まれ、他の選択肢を選ぶための思考力を奪われていたのではないか?」
……それは、そうかもしれない。
「ならば、もう一度よく考えろ。災厄が降りかかる危険な人族の街に留まるか、それとも結界で守られたエルフの森で暮らすか。どちらがお前と大切な者達を守ることになるのか」
……どうして、そこまで俺のことを?
「言っただろう、お前があの英雄の後継だからだ」
それだけで?
「……お前はおよそ人族らしくない。自分のことは後回しで他者の頼みを断れず、いつも他人のために走り回っている。人族と取引があるザグナルを通じて少し調べただけで、お前があの英雄と同じ、陰日向のない変わり者だと分かる」
……ありがとう。
「なら、私と共に来るのだな?」
いや、やっぱりこのままジオに付き合うことにするよ。
「なぜだ?その先に待っているのは破滅と絶望かもしれんのだぞ」
確かに、大切な人達には生きていてほしい。
そのためなら、ジュートノルに居続けるよりもシルエの誘いに乗った方が安全だって理屈もわかる。
だけど、それじゃみんなが笑っていてくれるとはどうしても思えないんだ。
「……」
ターシャさんが、リーナが、ダンさんが、ティアが、ジョルクさんやルミルや隊長さんや常連のみんなが白いうさぎ亭にいるからこそ、笑って生きていけるような気がするんだ。
「それは、単なるお前の我がままじゃないのか?」
そうだと思う。これは俺の我がままだ。
だけど、そう思ってしまったことも本当なんだ。
「希望は、万に一つあるかないかだぞ」
わかっている。
いや、わかっていないかもしれない。
もしかしたら、明日はシルエに頼っておけばよかったと思うかもしれない。
「私とて、明日は気が変わっているかもしれんぞ」
つまり、まだ俺達を受け入れてくれるつもりがあるってことだよな。
「好きに解釈しろ。お前の意志は聞いた。そろそろ夜が明けて眠っていた者達が起き始めるころだ。私は行く」
シルエ。
「なんだ」
ありがとう。
「……フン」
これが、俺が寝ていた間に起きた一部始終。
果たして実際に起きていたことなのか、それともただの夢の続きだったのか、今でも定かじゃない。
ただ一つ、俺の心が少し軽くなって、もう一度決意を固めるきっかけになったことだけは事実だった。
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